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2024年2月23日金曜日

《三遠地区使信 №1298》20230211「神学校の夕べ」

今月25日、宣教百年記念会堂(東京教会)で4年ぶりの「神学校の夕べ」が行われます。今年は4人の神学生が「共に在せ、わが主よ」のテーマで主のみ言葉を語ります。 

私も今から19年前の2005年に「神学校の夕べ」でみ言葉を語る機会を与えられました。そのテーマは「十字架の喜望」。十字架をねがいのぞむ希望ではなく、十字架を喜び望む「喜望」です。私は、このテーマについて当時、「みなさんの中には、神学校の夕べのポスターやパンフレットを見て、間違いではないかと思われた方もおみえではなかったでしょうか。では、なぜ、十字架をねがいのぞむ希望ではなく、十字架を喜び望む『喜望』なのか。このテーマを決める時、私たち三人は、そこに二つの意味が込めました。その一つは、今日のこの神学校の夕べが、今ここにいる三人のためだけではなく、私たち三人にとってのもう一人、つまり、今、病床にいる榎津重喜神学生のためのものでもあると考えたからです。つまり、十字架を喜んで望む『喜望』の『喜ぶ』という文字は、榎津重喜神学生の重喜の『喜』の字を意味しています。みなさんもご存知の通り、榎津神学生は、昨年の4月、急性白血病により緊急入院をし、ご自分の娘さんからの骨髄移植を受け、その後、自分の体を異物として認識する免疫作用と戦いながら、その苦しみの中で、その不安の中で、これまで長期の入院生活をされてきました。そして、私たち三人は、その姿を見ながら、神学生として、何ができるのかをそれぞれ自分自身に問うてきました。私たち三人とってこの一年は、まさに、榎津神学生の闘病生活と共にあったといっても過言ではないかもしれません。そして、それは、まさに、これから宣教の場に、牧会の場に派遣される私たちにとって、一つの試練であったということができるかもしれません。」と語りました。

そして、その時の私の説教題は「十字架につけられたキリストを宣べ伝える」。み言葉はコリントの信徒への手紙一。このみ言葉は私たちに「十字架につけられたキリスト」を信ずること、それは、「人の知恵によってではなくではなく、神の力によって信じるようになる」ことであると語り、そして、このみ言葉を信ずる時、私たちのために十字架につけられ、私たちと同じように苦しまれたキリストの救いが、私たちの下にやってくると言うのです。そこにこそ、私たちの「十字架の喜望」、十字架を喜び望む「喜望」のもう一つの意味があるのです。

この世の重い苦難と恐れと不安を「十字架」において共に担ってくださるキリスト。このキリストを宣べ伝えることが、この19年間、私が派遣された二日市・福岡西教会、佐賀県・牛津幼稚園、東日本大震災ルーテル教会救援「となりびと」、長野・松本教会、みのり・岡崎教会の場で、私に与えられた使命であったのです。

今年「神学校の夕べに」臨まれる4人にも新たな使命が与えられ、宣教の場に派遣されます。新たに派遣される4人の上に神さまの祝福が豊かにありますよう祈りたいと思います。                        みのり・岡崎 野口勝彦 



2024年1月22日月曜日

《三遠地区使信 №1295》20230121「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」

 昨日は、大寒、これから立春までが一年で最も寒さが厳しくなる季節です。能登半島地震の被災者の方々は、被災後、はじめての大寒を迎える中、避難所の不自由な生活を強いられています。これから仮設住宅に移られ、復興公営住宅に入居されるまで、何回かの大寒を経なければなりません。被災地の一日も早い復旧・復興を祈りたいと思います。

さて、私は昨年12月の使信に「少し早いクリスマスプレゼント」、「年の終わりに」と題して、各地から届くクリスマスプレゼントについてのメッセージを皆様にお伝えましたが、その後も、2019年10月に台風19号による千曲川の氾濫によって壊滅的な被害を受けたりんご園のりんごや東日本大震災の津波によって壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市の牡蠣などがクリスマスに合わせて次々と届きました。届いたりんごや牡蠣は、4年ぶりに行われた昨年の田原、豊橋、岡崎の*クリスマス祝会で美味しくいただきました。そして、信徒の皆さんには、昨年の記録的な猛暑の影響で安曇野や長野市のりんごを送ってくれた方々からは一様に「今年はりんごが不作で、あまり良いものではないですが」との一言が添えられて、牡蠣養殖の方からは「今年は牡蠣が7割死滅し、沿岸部で捕れる魚の種類も大きくかわった」とのお話をお聴きしたことをお伝えしました。私はこれらのお話をお聴きし、最近の気候変動の影響によって多くの方が苦しまれているのではないかと感じざるを得ませんでしたが、笹かまぼこを送ってくださった車いすダンスの方からは、宮城県の福祉活動の最高位の賞をいただいたという喜びのお電話もいただきました。

昨年のクリスマス時に私は、毎年、多くの方からクリスマスに様々なプレゼントが届き、交流が続いている理由について改めて考えました。そして、その理由は、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ロマ12:15)のみ言葉なのではないかと感じたのです。

昨年の夏、4年ぶりに東日本大震災の被災地を訪問した時に、被災当時、現地の支援情報を提供してくださったご夫婦と再会し、新しくできた国営祈念公園で、以前の使信で紹介した「お佐藤山」のインタビュー画像などを視聴し、火災で全焼した震災遺構の門脇小学校などを案内していただきました。門脇小学校では、偶然にも「となりびと」時の現地スタッフの配偶者で現地の支援活動情報の提供者の方と再会し、被災当時の門脇小学校の校長先生にもお会いすることができました。そして、最後に、震災後に旧北上川沿いに新設された「いしのまき元気いちば」で牡蠣のかんかん焼きをご馳走していただきましたが、その食事の最中になぜ10年の間、交流が続けられるのかを次のように語られたのです。「野口牧師が、はじめて、漁協で被災状況の話を聴かれた時、涙を流されていたからだよ」

 私は、そのことをすっかり忘れていましたが、被災された方々は、そのことをずっと思い続けてこられたのです。そんな思いの中、昨年12月23日、田原キャンドル・サービ直前に、大阪・岸和田市で103歳のお母様の音楽葬をさせていただいた卒寿を迎えた松本教会のステンドグラス作家の信徒の方から24日のみ言葉の*天使のステンドグラスが突然届いたのです。

*となりびとブログhttps://lutheran-tonaribito.blogspot.com/

*みのり教会ブログhttps://minorichurch.blogspot.com/

*岡崎教会教会ブログhttps://okazakichurch.blogspot.com/

 みのり・岡崎 野口勝彦



2023年9月20日水曜日

《三遠地区使信 №1277》20230917「現代の方舟」

 現地時間9月8日夜、モロッコで発生したM6.8の地震により2,900人以上の方が、12日には、リビアで洪水の発生により1万人以上の方が天に召されました。被災地の一日も早い復旧と復興を祈りたいと思います。

 さて、私は先月、4年ぶりに主日の夏休みをいただき、東日本大震災の被災地を訪問してきました。震災から12年目の夏を迎えた被災地には、様々なインフラが整備されています。そのインフラの一つに三陸沿岸道路(仙台~八戸359km)があります。この道路は復興道路として2021年12月28日に全線が開通しました。今回はこの道路を利用し、仙台から八戸まで*「となりびと」での支援者の方々や各地に整備された震災関連施設等を訪問してきました。

 その中で石巻の支援者の方から一冊の絵本を紹介していただきました。その絵本の名は『おさとうやま』。この名は、東松島市野蒜(のびる)地区の「おさとうやま」として地域内外に親しまれる里山のことです。この山は震災の12年前、地元の佐藤善文さんが購入し、いつ来るかも分からない災害に備えて整備された私設避難所です。震災前、周囲の人たちにとって、この避難所の整備は理解しにくいものでしたが、震災時の津波襲来時には70余人もの命を救いました。住民の命を救ったことで「佐藤山」の呼称に「御」が付き、国内外から多くの見学者が足を運ぶようになり、この絵本ができあがったのです。

 この絵本のお話を聞き「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている」「七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした」(創7:1・4)のみ言葉を私は思い出しました。

 佐藤さんは、まさにこのみ言葉に登場するノアのように、周りの人々の無理解を超え、会社近くの里山を自費で購入し、65歳で私設避難所整備を決断したのです。

先のみ言葉は次のように続きます。

「わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」(創9:13~16)

 今回の被災地訪問の初日、私は中部国際空港で、そして、最後の日、青森でダブルレインボー、二重の虹に出会いました。それは、私にとって「神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」希望のしるしとなりました。

 *ルーテル「となりびと」http://lutheran-tonaribito.blogspot.com

みのり・岡崎 野口勝彦


2023年5月15日月曜日

《三遠地区使信 №1259》20230514「支えられて」

ゴールデンウイークも終わり、季節は初夏に移り変わります。みのり教会宣教70周年(2023年11月8日)まであと半年を切りました。そのような中、今、10月22日の宣教70周年記念礼拝時での配布を目指し、宣教70周年記念誌の編集作業が進められています。先日、その資料整理をしていたところ、一枚の写真が出てきました。その写真は、田原礼拝所(田原教会)の宣教のはじまりと関係のある小嶋三義牧師を囲み、当時のみのり教会牧師の三浦知夫先生をはじめ、田原礼拝所に関係のある方々との記念写真でした。現在、小嶋先生には、宣教70周年記念誌の原稿を依頼していますので、その写真も参考資料としてメールで送信しました。暫くすると小嶋先生からお礼のメールが届き、その中に、田原礼拝所教籍簿1号のI兄が今年1月に天に召されたということが記されていました。

I兄について、小嶋先生は、みのり教会宣教50周年記念誌に「母教会田原」と題して、次のように綴られています。「田原教会は、私の父が、 病気で耳が不自由になった私の弟のことで悩み、ルーテル・アワーに聖書の送付を頼んだ事から始まりました。当時のネルソン宣教師が聖書を持参して尋ねてくださいました。その時から、我が家の仕事場が集会所になって、家庭集会が始まりました」「当時私は、夜間高校に行っていて、集会にはほとんど出られませんでした。せいぜい、祝祷に間に合うのが精一杯でした。でも、仲間が温かく迎えてくださり、その交わりの中で信仰を育てられました。高校3年の時だと思いますが、I兄、S兄、もう一人大人の人と女性の5人で洗礼を受けました。町の集会所を借りてのクリスマス集会の夜でした」「田原を出てから」「もう40年余りになります」「この40年間、母教会のことを忘れたことはありません。東京では、一緒に洗礼を受けたI兄ともよく話し合いました。信仰の友との交わり、特に一緒に誕生したもの同志の親しみは、また特別のものでした。そして、I兄と話す時はいつも田原の話題になりました」

I兄は、1955年12月22日に洗礼を受け、1972年1月30日には東京の教会に転出されています。私がみのり教会に赴任した時、I兄から毎月、献金が送金されていましたので、御礼状をお送りしていましたが、ある日、I兄からお電話があり、御礼状は不要、献金をしているのは、人生の基盤がネルソン先生に与えられた感謝であるということでした。その後も毎月、献金は送金されていましたが教会口座変更により献金が止まりました。その頃、I兄は施設に移られ、闘病生活をされていたようです。その後、昨年末に配偶者の方から、献金を送金したい旨のお電話をいただきました。I兄は、東京に転出されてから50年、母教会、田原を忘らずに支え続けてくださったのです。

みのり教会は、このようにゆかりのある方々に支えられ、今年宣教70周年を迎えます。I兄のご召天を覚え、この50年間、教会を支えて下さったことに改めて感謝したいと思います。    

みのり・岡崎 野口勝彦


 

2023年4月24日月曜日

《三遠地区使信 №1256》20230423「ガリラヤで会おう」

  イースターから二週間が過ぎました。今年のイースターは、コロナ感染終息の兆しもあり、例年以上に喜び満ちたイースターになりました。そのイースターの日に、福岡から一つのプレゼントが届きました。そのプレゼントは、福岡の教会の90歳を超えた一人の信徒の方のからのプレゼントで、イースターに合わせて福岡銘菓のひよ子を送ってくださいました。

その方は、長く教会役員を務められ、私がその教会を牧会している時には、よく礼拝後に、教会に来られない信徒の方々への訪問や聖餐などのお供をしてくださいました。その方の配偶者の信徒の方の召天時は、教会定期総会の日でしたが、病室でその配偶者の方を囲み、ご家族と一緒に聖餐式を行い、最期の時を共に過ごしました。90歳を超えた今もお一人で、JRに乗って、毎週、礼拝に出席されています。

さて、今年のイースター(4月9日)の福音書には次のように記されていました。

「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました」(マタイ 28:7)

「ガリラヤ」、それは、イエスさまの生涯とその宣教活動の主要舞台となった土地です。そして、その土地は、イエスさまの生活の場であり、苦しみと喜びの場です。今、死から復活されたイエスさまは、その苦しみと喜びの場におられると言うのです。

私が牧師としてはじめて迎えたイースターは、先の信徒の方の教会で、今から18年前の2005年3月27日ですが、その日の礼拝は、笠井牧師の召天により、2001年度末からその年3月末までの約4年間にわたり牧会委嘱されていた園田牧師(2020年3月29日召天)の牧会委嘱最後の説教で守られました。その礼拝の中では、毎週献花の奉仕をされていた信徒の方のお母様の洗礼式が行われ、礼拝後、イースター祝会と共に、洗礼のお祝い、園田牧師ご夫妻の感謝会を共に持ちました。

この時の説教題は「ガリラヤで会おう」。その前週の主日、つまり、2005年3月20日10時53分、牧師としての初めての説教直前で最大震度6弱の福岡県西方沖地震が発生し、当時、牧会していた福岡市内のもう一つの教会の牧師館が大きな被害を受けました。

そして、その翌週のイースター、まさに復活されたイエスさまが、私たちの苦しみと喜びの生活の場である「ガリラヤ」で待っていてくださり、その後の福岡での様々な苦しみも喜びも共にしてくださいました。被災した牧師館も2年後には、その使命を終え、解体され、教会菜園として見事に復活しました。


私たちも私たちひとり一人の生活の場で復活されたイエスさまに支えられ、先の信徒の方のように、90歳を過ぎても毎週礼拝に出席し続けることができるよう祈りたいと思います。   

みのり・岡崎 野口勝彦

 

2023年4月13日木曜日

《三遠地区使信 №1253》20230402「復活と命」

  今日は主のエルサレム入城(枝の主日)です。今日から受難週に入りますが、先月、みのり教会では二人の方を天に送り出しました。お一人は、高師教会時代からみのり教会の礼拝に毎週通われ、豊橋礼拝所の礼拝堂建築に深く関わられた方です。そして、もう一人は私の前任者である三浦知夫牧師です。みのり教会は今年11月8日に宣教70周年を迎えますが、その記念礼拝の説教者としてお迎えする予定でした。三浦牧師は今から20年前の2003年4月1日にみのり教会に着任されました。その年の4月6日の三遠地区使信に着任挨拶を次のように書かれています。「この度、みのり教会に着任し、この地区で皆様と共にあゆんでいくことになりました三浦知夫と申します。簡単に自己紹介をしますと、私は1967年に静岡県掛川市で生まれました。現在35才です」「生まれて間もなく、掛川教会で洗礼を受けましたので、私のスタートは東海教区なのですが、残念ながら赤ん坊のうちに転居をしていますので、私には記憶がありません」「牧師には、教会や時の移り変わりによって変わらねばならない部分もあると思います。しかし、変わってはならない部分もあるのです。このことは牧師に限らず、教会自体にも、また、ひとりひとりの信仰者にも当てはまることではないでしょうか。教会が変わろうとしている今、そんなことを確認しながら、皆様と共にあゆんでいけたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。主に在って」
 その後15年間、みのり教会での伝道牧会をはじめ、東海教区長等も歴任されました。2018年3月11日の最後の使信では次のように書かれています。「4月より新しい任地での歩みを始めることになりました。この地区で、みのり教会で過ごした15年間を感謝応あふれる思いで思い返しています。私にとりましてこの15年は、教会の皆さんと―緒に歩んだ15年であったと感じているのです。牧師と信徒は、向かい合うという関係であるだけでなく、むしろ多くの時間を共に神様に向かい、共に人々に向かって過ごすということを経験した15年だったからです。教会に来られた方を教会の皆さんと共にもてなし、『またお越しください』とその方に共に葉書を書く、病床にある方、ご高齢の方を共にお訪ねし、その方々のために祈り、また 共に『お祈りしています』とお便りを書く、ということを続けながら、教会の皆さんと一緒に歩んだ15年だったのです」
 三浦牧師はその言葉通り、天に召される25時間前に次のようなメールを私に出されました。「野口先生お差し支え(なけれ)ば教えて頂きたいのですが、Sさんらしき方の遺影をTのNさんのフェスブックに見つけたのですが・・。まさかと思っていますが、召されたのでしょうか?」

 三浦牧師は、このように本当に最後の最後まで牧会者としての使命を果たされたのです。イエスさま「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」言われます。私たちは、十字架の道を進まれるイエスさまを覚えながら、このみ言葉を信じ、天に召されたお二人のことを覚えたいと思います。

                        みのり・岡崎 野口勝彦







2023年1月9日月曜日

《三遠地区使信 №1241》20230108「新しい年を迎えて」

  今年も早くも一週間が過ぎました。クリスマスは主の顕現までですが、東方教会ではこの日にクリスマスを祝います。しかし、東方教会に含まれるウクライナ正教会の一部は、昨年はロシア正教会とは異なり、西方教会と同じ12月25日にクリスマスを祝いました。

クリスマスの期間には、教会にはルーテル教会関係施などからのクリスマスカードなどが届きますが、今年も私は神学生時代にお世話になった保谷教会から手作りのクリスマスカードをいただきました。私が神学生として教会実習でお世話になったのは、保谷教会宣教50周年前年の2002年と50周年の2003年の宣教研修前の半年間でした。それから20年、毎年のように覚えていただきクリスマスカードをお送りくださっています。昨年は岡崎教会宣教70周年、今年はみのり教会宣教70周年ということで、その参考として豊橋礼拝所に保管してありました保谷教会50周年誌を懐かしく読み返しながら、私は神学生時代を思い出し、心新たに、新しい年を迎えました。

ところで、イギリスでは、昨年9月に亡くなったエリザベス女王と、一昨年4月に亡くなった夫のフィリップ殿下の棺が納められているウィンザー城の聖ジョージ聖堂で撮影された国王チャールズ3世の国王となって初めてのクリスス・メッセージが、昨年のクリスマスにイギリス国内と英連邦へ向け放送されました。国王はメッセージの中で両親を追悼しながら「クリスマスは、愛する人を亡くしたすべての人にとって、特に切実な時です。私たちは、この慣れ親しんだ季節の変わり目のたびに、彼らの不在を感じ、大切な伝統の一つひとつに彼らを思い出します」と述べ、母、エリザベス女王の信仰について「とても愛されているクリスマス・キャロル、『ああベツレヘムよ』の中にある『汝の暗き道にとこしえの光が輝く』というフレーズを私たちは歌います。母にとってこの光の力を信じることは、神への信仰であるのと同時に人々への信頼でもあり、私もそれを心から分かち合っています。それは、ひとりひとりが善意と思いやりをもって他人の人生に関わり、そして周りの世界に光をもたらすという並外れた能力を各人が持っているという信念です。これこそが私たちのコミュニティの本質であり、私たちの社会のまさに基盤なのです」と述べています。

先週の新年主日の福音書には「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ 25: 40)と記されていましたが、私たちは、新しい年を迎えて、自分自身の信仰を新たにし、「自分だけ生きるのでなく/はらからと手をたずさえて、み恵みがあふれる国を/地の上に来たらすような生きかたを今年はしよう」(教会讃美歌49番)との思いを実現できるよう祈ることができればと思います。                        

みのり・岡崎 野口勝彦




2022年11月28日月曜日

《三遠地区使信 №1235》20221127「アドヴェント 」

 教会の暦では、今日から新しい年、つまり、待降節、アドヴェントに入りました。そのアドヴェントに合わせて、聖壇にはアドヴェントクランツが飾られ、イエスさまがお生まれになる日までのカウントダウンが始まりました。そして、典礼色もそのイエスさまをお迎えする色である紫に変わりました。アドヴェントはラテン語では、元々「到来(到着)」を意味する言葉です。キリスト教では、イエスさまの到来(到着)、つまり、神の子であるイエスさまが、人の子として降臨されるのを待つ時を意味します。そして、教会にとっての新年、それは、明けましておめでとうではなく、クリスマスおめでとうです。そのクリスマス(Christmas) は、「キリスト(Christ:クライスト)のミサ(mass:マス)」に由来しますが、もちろん、私たちの救い主であるイエスさまの降誕をお祝いする日です。

私はこのクリスマスの季節になると、いつもある一つの物語を思い出します。その物語の名は、星新一の『ある世の物語』です。その物語はクリスマスイブに、たった一人だけの望みをかなえることができるサンタクロースが、いろいろな人を訪問する次のような物語です。

サンタクロースが最初に訪問したのは恋人も友達もいない寂しそうな青年でした。彼は望みを聞かれ、恋人、きれいな住まい、会社での昇進といろいろな望みが浮かんでは消え、迷っているうちに彼の心の中で変化が起きます。そして、贈り物を手にする資格が自分にあるか疑問に思った彼は「ぼくが辞退したら、あなたはよそを訪れることになるのですか」とサンタクロースに尋ね、「それがお望みならばね」と答えるサンタクロースに「この少し先に、病気で寝たきりの女の子がいる。ぼくから回されたことは黙って、その女の子のところへ行ってあげてください」と言います。その病気の女の子も彼と同様に迷った末に別の人を紹介します。そして、サンタクロースに訪問された人たちは皆「なぜ私のところに?」と思い、サンタクロースに問いかけます。サンタクロースは「心配している人がいる」とだけ明かします。この物語は、独りぼっちではないことを知るのが最高の贈り物であることを読者に伝え、物語の最後を次のように結びます。

「サンタは、もしかしたら、きょう最も楽しさを味わったのは自分ではないかと思った」

クリスマス、それは、神さまから私たち一人ひとりにイエスさまを送ってくださる最高の贈り物をいただける日です。そして、イエスさまは私たち一人ひとりに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と、あなたたちを決して独りぼっちにはさせないと言ってくださるのです。

この「大きな喜び」(ルカ2:10)を一人でも多くの人に伝えることができるアドヴェントの時を共に過ごすことができるように祈りましょう。みのり・岡崎 野口勝彦



2022年11月7日月曜日

《三遠地区使信 №1232》20221106「希望のスピーチ 」

 今日は、11月の第一日曜日、ルーテル教会では召天者の方々を記念して礼拝が守られます。


 今年も新型コロナウイルスの感染防止のため不自由な生活強いられてきましたが、そのような中、岡崎教会ではコロナによる海外からの渡航制限が緩和された宣教70周年記念礼拝の翌日の10月24日、2020年11月24日に日本から遠く離れたタイにて天に召された方の納骨式を礼拝堂の隣にある記念堂で行いました。

そして、その方と同じように、天に召されたお二人の国葬がイギリスと日本で9月に行われました。その一つはエリザベス女王の国葬です。その女王が天に召された日、「女王がサインを送ってくださった」とのニュースが世界に流れました。女王の訃報発表の直後、ロンドン上空に「二重の虹」が出現するこの出来事は、エリザベス女王の容態が懸念されている、との報道後、バッキンガム宮殿に市民が続々と集まるなかで起きました。そのためか、宮殿の門外に居合わせた市民は「女王が、私たちのもとから去った証拠だ」と口を揃え、話していたそうです。エリザベス女王は、亡くなる2日前に新首相のリズ・トラス氏と面会をしていました。天に召される直前まで、君主として職務を全うした女王は、フィリップ殿下にプロポーズを受けたバルモラル城で、息を引き取ったのです。

その女王は生前、数々の危機をスピーチで乗り越えてきました。第二次世界大戦中に14歳で行った初めてのラジオスピーチ。ダイアナ元皇太子妃が亡くなったときの長い沈黙の後のスピーチ。そして、現在のコロナ禍の中でも新型コロナウイルスとの戦いに「きっと成功する」と呼びかけ、感染対策のため他人と距離を置かなければならない「社会的距離」が市民にもたらす「愛する人たちと離れる痛み」は、戦時中に家族と離れなくてはならなかった子どもたちの経験を思わせるとし、「けれども今も当時も私たちは、これが正しいことなのだと、心の奥底で承知しています」と強調しながら、「これからもまだ、色々とこらえなくてはならないかもしれません。それでも、今より良い毎日は戻ってくると、それを心の支えにしましょう。友だちにまた会えます。家族にもまた会えます。みなさん、またお会いします」とそのスピーチを結びました。イギリスでは、自宅待機中の子どもたちが虹の絵を描いて窓に飾っていましたが、女王は、虹の絵はパンデミックに対抗するイギリスの「精神」を象徴するものになるだろうとも語っています。

「虹」はヘブライ語で、弓という意味もあります。 神さまは、人間を滅ぼすために、雨のしずくを射った弓をもう二度と使わないと雲の中に置かれましたが、この言葉は、私たちキリスト者にとって希望の言葉です。女王の数々のスピーチもイギリス国民にとっては「希望のスピーチ」でした。

今年の全聖徒主日は「希望のスピーチ」を語り続けた女王も加え、天に召された方々を覚えて礼拝を守ることができればと思います。みのり・岡崎教会 野口勝彦

2022年10月18日火曜日

《三遠地区使信 №1229》20221016「宣教70周年 」

 いよいよ来週、岡崎教会は宣教70周年記念礼拝を迎えます。岡崎教会が現在地で宣教を始めて、今年11月9日に70年を迎えます。そのことを覚えて来週の主日に第9代牧師の浅野直樹牧師(市ヶ谷教会牧師)の説教奉仕により宣教70周年記念聖餐礼拝・祝会を行うと共に、2021年には老朽化していた集会室の屋根の葺き替え及び礼拝堂の一部修繕を行いました。そして、宣教70周年記念誌を発行します。この記念誌は、献堂10・20・30・40・50周年の記念誌に続く、6番目の記念誌です。特に、50周年後の20年間の教会での様々な働きが記された記念誌であり、これまでの献堂記念から宣教記念に変わったはじめての記念誌でもあります。2003年以降の、つまり、21世紀の岡崎教会の働きをこの記念誌によって改めて振り返り、神さまが21世紀を迎えた岡崎教会をこれまで支えてくださった恵みに感謝するものです。

 私が、岡崎教会牧師としての働きを与えられたのは、2020年4月からですが、はじめての主日は受難週のはじまり、4月5日の「主のエルサレム入城」の主日でした。そして、翌日の主日、つまり、復活祭の礼拝は、新型コロナウイルスの感染拡大によって対面での礼拝を休止し、家庭礼拝となりました。復活祭の礼拝を休止するのは、いや、主日の礼拝を休止するのは、私にとって初めてのことであり、想定外の出来事でもありました。その後、度重なる感染拡大と、緊急事態宣言の発出等により、礼拝は休止や短縮、感染防止の制限の中で今も行われています。私は、記念誌の巻頭言として今年の2月14日に「しかし、きっと、この記念誌が発行される頃には、感染も完全に終息し、宣教70周年記念聖餐礼拝・祝会も、これまでの70年の間に岡崎教会で礼拝や交わりの時を持たれた方々が一堂に集まり、神さまに感謝し、その恵みの喜びを分かち合われることになっていると思います」と言葉を寄せましたが、残念ながらこの言葉の通りにはなっていません。しかし、来週には多くの方々と共に記念礼拝を迎えることができるのです。

今日のみ言葉の中でイエスさまは「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された」(ルカ18:1)と記されています。この70年間の岡崎教会の歴史の中には様々な困難や苦難があったことだと思います。しかし、その困難や苦難を乗り越えて、記念礼拝を迎えることができるのは、どんな困難や苦難の中でも、先のみ言葉の通り、70年間「気を落とさずに絶えず」祈り続けた結果であると思います。

私たちは、来週迎えることができる記念礼拝に感謝し、これからもどんなことがあっても「気を落とさずに絶えず」祈り続け、宣教80周年、90周年、100周年を迎えられるよう祈りたいと思います。 

 みのり・岡崎 野口勝彦


 

2022年9月27日火曜日

《三遠地区使信 №1226》20220925 「マイカルの祈り 」

  今月の11日、あの世界を震撼させた米国同時多発テロ、いわゆる9.11から21年を迎えました。その日、私は、神学生としてのはじめての夏休みを自宅で過ごしていましたが、テレビから流れてきた映画のような映像に絶句したことを昨日のことのように思い出します。そのテロ事件では2,996人の命が一瞬にして奪われましたが、この事件で身元が確認された最初の犠牲者となったのが神父であったことはあまり知られていません。

その神父の名はマイカル・ジャッジ。彼は10代のころから神父になることを目指し、修道会に入りましたが、カトリック教会内での人間関係などに悩むようになり、アルコールに依存するようになりました。アルコール依存の人々が助け合い、回復を目指すグループの支援で酒を断ち、自らも様々な依存症の人々に寄り添うようになりました。その後、ニューヨーク市消防局のチャプレンに就任し、テロ事件の前日、つまり、2001年9月10日、ニューヨーク市内の消防署で開かれたセレモニーに市長とともに出席し、消防士らに次のように説教しています。

「良い日も、悪い日もある。悲しい日も幸せな日もある。心が高揚する日も落ちこむ日もある。しかし、この仕事に退屈な日は、一日もありません」「神がお求めになるままに向かうのです。神がどこにお導きになるかは分からない。しかし神はあなた方を求めている。私たち全てを求めている。進むのです。互いを励まし合い、愛し合い、力を合わせて進み続けるのです」「これはとても、とても難しい仕事です。しかし、私たちはみんなこの仕事を愛している。素晴らしい職業だ。神を信じ、神を信頼して力をあわせれば、この署は、この地域は、ニューヨーク市は、神に祝福される。アーメン」

 そして、翌朝、世界貿易センタービルで爆発という一報を受けた神父は、ヘルメットを被り、消防士らとともに近くの消防署から現場に駆けつけます。現場で顔を合わせた市長に「私たちのために祈ってくれ」と声をかけられ、「いつも祈ってるよ」と微笑み、ビルに入りました。ショックで動揺する人々を慰める姿。ひん死の負傷者や、炎に包まれる現場で殉職した消防士に最後の祈りを捧げる姿。逃げ場を失い上層階から落ちてきた人が地面にたたきつけられるたびに、悲しみを浮かべる姿。多くの人が、現場で職務を果たす彼の姿を目撃しています。「イエスよ、これを今すぐ終わりにしてください。神よ、これを終わりにしてください」と口に出して祈っていたそうです。間もなく、上から瓦礫が落下し、彼はそれに巻き込まれ、天に召されました。

その彼がテロ事件に巻き込まれ天に召されて21年が経過した今も、ウクライナをはじめ、世界では侵略戦争やテロ事件が未だに続いています。

私たちは、今こそ、テロ事件で天に召された2,996人を覚え、マイカル・ジャッジ神父のように「イエスよ、これを今すぐ終わりにしてください。神よ、これを終わりにしてください」と祈りたいと思います。          

みのり・岡崎教会 野口勝彦

*参考文献:『マイカルの祈り』中村 吉基 ,2021年9月11日, あめんどう

2022年9月10日土曜日

《三遠地区使信 №1223》20220904 「月 」

  今日は9月の最初の主日です。今年の8月も暑い日が続きましたが、今週木曜日には、夜中に大気が冷え、草花や木に朝露が宿りはじめ、降りた露は光り、白い粒のように見える二十四節気の「白露」を迎えます。このように暦の上では、季節は本格的な秋へと移り変わっていきます。

 また、今週土曜日は、中秋の名月(十五夜)です。私はいつもこの頃になると初任地の一つである福岡・筑紫野市の「天拝山観月会」を思い出します。筑紫野市公式ホームページでは、この「天拝山観月会」を「菅原道真公が昌泰四年に太宰府は南館榎寺に流されて天拝山に百日間登り続け山頂の岩に立ち、天をふり仰いで自分の無実を訴えると共に天皇のご安泰と国民の平和を祈られた故事により管公の霊を毎年慰めるため、秋の夜に開催されます」と紹介しています。

 聖書でも月に関しての記述は多く、信仰の歌とも言われる詩編には「あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの」(8:4)「王が太陽と共に永らえ/月のある限り、代々に永らえますように。生涯、神に従う者として栄え/月の失われるときまでも/豊かな平和に恵まれますように」(72:5)「雲の彼方の確かな証しである月のように/とこしえに立つであろう」(89:38)「主は月を造って季節を定められた。太陽は沈む時を知っている」(104:19)「昼、太陽はあなたを撃つことがなく/夜、月もあなたを撃つことがない」(121: 6)「夜をつかさどる月と星を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに」(136:9)「日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ」(148:3)と記されています。

 また、ヨブ記には「太陽の輝き、満ち欠ける月を仰いで」(31:26)と記され、月明かりを利用して牧畜の群れを移動させることを常としたセム族では月の礼拝が行われていました。しかし、創世記では「神は言われた。『天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。』そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた」(1:14~16)と記され、月が神さまの創造による一個の天体に過ぎないとし、月を神とすることを否定しています。そして、ヨハネの黙示録で「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである」(21:23)と神の栄光が明らかにされるのです。                

 今年の中秋の名月は、聖書を片手に月に関するみ言葉に触れながら過ごしてみてはいかかでしょうか。

                      みのり・岡崎教会 野口勝彦        


 

2022年8月2日火曜日

《三遠地区使信 №1217》20220724 「収穫は多いが、働き手が少ない 」

先月、福岡、長野から続けて二人の方の召天の連絡がありました。
 

そのお一人の長野の方は、4月10日の使信に「私の前任地は、長野・松本教会でしたが、赴任した最初の年の秋の礼拝後、信徒の方をご自宅にお送りする車中で、何気に『夏が終わり、過ごしやすい秋が来ますね』と声をかけると、信徒の方は黙ったままでした。どうされたのかと思い、再び声をかけると『また、冬がやってくると』一言」と紹介した方で、「となりびと」の支援先であった石巻から毎年、送られてくる牡蠣をフライにしてくださり、教会の皆さんと被災地を覚えての食事会を共にした方でした。





 その被災地で、先月、一人の方が天に召されました。その方の名は長純一さん(享年56)、震災後、石巻市に移住し、地域医療に貢献してきた医師です。私も「となりびと」時代にお会いしたことがあります。


彼は、アフガニスタン復興支援に取り組んだ故中村哲さんに憧れて医師を志し、長野県で19年間、農村地域の在宅診療に奔走しました。震災直後、長野県医療団長として入った石巻の惨状を目にし「この街の命を救いたい」と移住を決意し、約五千人が暮らす最大の仮設団地で、自ら市に設置を働き掛けた診療所の所長となり、被災者の心身のケアに24時間365日対応しました。

 その後、市包括ケアセンター所長を務め、医療や介護が適切に受けられ、高齢者や病気のある人も住み慣れた地域で暮らせる「地域包括ケア」を根付かせようと尽力してきました。誕生日の先月21日、自宅のベッドから病状を明かし、「石巻がこの先、光り輝く町として復興する姿をみられないのは残念。少しでも思いを引き継いでもらえれば」と伝えたいことを整理する中、容体が急変し天に召されました。天に召される2日前の先月26日の新聞の取材に、「死ぬのは全然、怖くない。ただ、やり残したことが多くある。発信する時間が稼げるなら」と6月上旬から3週間、外来で抗がん剤治療を受けた理由を語っています。ご自身の3歳の娘さんに対しては「成長を見届けられず、申し訳ない。子どもや命を守る社会をめざして闘っていたんだ、と知ってほしい」と言葉を遺しています。また、彼のパートナーがルーテル教会の信徒の方であることをある牧師とのやりとりの中で私は知りました。

イエスさまは十二弟子に「収穫は多いが、働き手が少ない」(マタイ 9: 37)と言われていますが、その理由をマタイは「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(9:35~37)と記します。「深く憐れまれた」このみ言葉は、「内臓を揺り動かすぐらいの共感をもって」という意味です。つまり、イエスさまは、打ちひしがれた群集を見て、居ても立ってもいられず、ご自身の思いをご自分の弟子たちに言われたのです。まさに、彼の石巻での働きは、このみ言葉通りの働きでした。

ご召天された方々を覚えてお祈りしたいと思います。 

みのり・岡崎 野口勝彦

 

2022年6月13日月曜日

《三遠地区使信 №1211》20220612 「 三位一体主日」

 6月も半ばになりました。教会の庭にはアガパンサスや紫陽花の花が咲いています。

  



  今日は三位一体主日。各教会の礼拝堂の聖卓、聖書台、説教題の掛け布の色が聖霊の働きを表わす炎の色である「赤」から、神とキリストの栄光を表わす「白」

に変わっていることだと思います。この「白」を主日に用いるのは、教会の暦では、今年は、今日が最後となります。


この「白」は、主に、「主の半年」と呼ばれる教会暦の前半に用いられます。来週からは、「教会の半年」と呼ばれる教会暦に入り、典礼色は、新しい年の始まり、つまり、「アドベント」と呼ばれるイエスさまの誕生を待ち望む待降節まで、基本的には「緑」が用いられていきます。この「緑」の色は、希望と成長、つまり、教会の信仰の希望と成長を表わしています。その教会の、信仰の希望と成長を表わす、直前の日、つまり、教会の、信仰の希望と成長の源となる日、それが今日の三位一体主日なのです。

LAOS講座(第1号『礼拝の意味と実践)では、「ペンテコステ後の最初の日曜日に割り当てられている名称です。プロテスタントとカトリック教会双方が、この主日を受け入れています。三位一体の教理が確立したことを背景にこの日が設定されているようですが、実際には歴史は浅く、中世からの伝統です。父、子、そして聖霊と三役そろい踏みしたので、ここらあたりでお祝いしようということになったのかもしれせん」とこの三位一体主日を説明しています。

今日の第二の日課であるローマの信徒への手紙(5:4・5) には「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」と記されています。

この2年半、私たちは、まさにコロナ禍という「苦難」を「忍耐」によって乗り越えてきました。そして、コロナ禍に対応する方法を「練達」、つまり、熟練して深く通じた結果、家庭礼拝や短縮礼拝、そして、個別聖餐などによって礼拝を守ってきました。そして、そのことは、私たちに「希望」を生みだしました。 

一昨年の三位一体主日では、コロナ禍の中、みのり教会豊橋礼拝所で、洗礼・堅信式を行うことができました。それは、洗礼式を延期するという「忍耐」が「練達」を生み、その「練達」が、「父、子、聖霊」が揃った三位一体主日に「洗礼式」を行うことができるという「希望」を私たちに生み出したのです。

そして、その「希望」は「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」。

わたしたちにひとり一人に与えられた「聖霊」に感謝して、来週からの「教会の半年」を共に過ごしていけるように祈りたいと思います。  

                                                             みのり・岡崎 野口勝彦


2022年5月23日月曜日

《三遠地区使信 №1208》20220522 「 神さまの花壇 」

  「 神さまの花壇 」

  5月も残り10日となりました。間もなく6月、梅雨の季節となりますが、今(5/11)、五月晴れの青空の下、新緑からの木漏れ日がこの牧師室に差し込んでいます。この季節になると私はいつも、新緑に包まれた信州の牧会時代を思い出します。

カトリック教会では「5月は聖母月としています。聖母月の信心は近世からのもので、18世紀のイタリアで盛んとなりました。この5月は、四季折々の中で春の訪れとともに自然界の実りをもっとも感じさせてくれ、また主の復活の喜びと希望に満ちた月でもあります。そのような思いをもってこの月をマリアにささげ、マリア崇敬のために祈り続ける信心が伝統としてなされてきたことは当然のように考えられます。」(カトリック中央協議会HP引用)夏の代表的な花であるマリーゴールドは、聖母マリアの祭日に咲いていたため「マリア様の黄金の花」とも呼ばれています。

先日まで田原礼拝所は、今年もデージーなどの花々が庭一面に咲き誇り、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)いるようでした。






田原や豊橋などの東三河は全国有数の花卉栽培が盛んな地域で、いつも、街中に花が溢れています。

みのり・岡崎教会でも、信徒の方々のご奉仕で、いつも花壇には花が満ちています。先日も、豊橋礼拝所の入口の花壇に、日々草など夏から秋にかけての花が植えられました。




この花壇について、当時の、豊橋教会(みのり教会の前身)の牧師であった高塚先生が宣教50周年記念誌の中で次のように語っています。

「私は転任になると必ず。まず朝祷会がどこで行われているか探します。当時は、豊橋朝祷会は豊橋駅のすぐ近くの『まきの屋』という食堂の二階で行っていました」「朝早く起き。駅に隣接する食堂まで歩いて行きました」「初めてだったので自己紹介をしました。『今度ルーテル教会に来た高塚と言います』と言うと一人の年配の方が」『あそこは幽霊屋敷だね』『近所に迷惑しているよ』と意地悪そうに言いました」「確かに見栄えの悪い教会でした。周囲の人たちが『幽霊屋敷』と呼ぶのも無理からぬことかもしれません」「何となく落胆しながらぶらぶら教会に戻りました。途中」「一人の魚屋さんのような格好をした中年の方が手際よく前日の野菜や魚の残りを片付け、あたりをほうきできれいにしていました。何ともない光景だったのですが、しばし心を奪われました。我に返り、『そうだ、幽霊屋敷を神様の教会にしよう。草をとりバス停の前に花壇を作り、花を植えよう』と言う思いにかられ、勇んで教会に戻りました」

それから50年、この花壇は様々な信徒の方々の奉仕で守られ、いつもきれいな花を咲かせ、教会の前を通る人々の心を和まし、神さまの平安を伝えています。

各教会での日頃の献花奉仕、花壇奉仕等の皆様に改めて感謝したいと思います。

 みのり・岡崎 野口勝彦



2022年5月4日水曜日

《三遠地区使信 №1205》20220501 「主の復活を覚える季節」

                                                   「主の復活を覚える季節」          

  今日から5月に入りました。世の中はゴールデンウイーク真っ最中です。この原稿を書いている今(4/23)、豊橋礼拝所の牧師室の窓からは、満開になったモツコウバラとジャスミンの香りが漂い、春、真っ盛りなことを伝えています。


 そのような中、先日、一通の機関紙が教会に届きました。その機関紙の名は『るうてるホーム後援会ニュース』。皆さんもよくご存じの西教区にある社会福祉法人です。そのホームページには「設立の目的と私たちの働き」が「日本福音ルーテル教会婦人会連盟(現在は女性会連盟)は、長年の間、高齢の方々の様々なご苦労を見聞きして心を痛めてきました。戦後の苦しい時代を経験し、自らは前の代の方々に仕えてこられ、いつか自分の順番になった時に疲れた心と体を休める場とすることができるよう、聖書にある長老者敬愛の教えに基づいた『るうてるホーム』を建てるに至りました。その後もルーテル教会をはじめとした、多くの方々の支援により、特別養護老人ホーム、デイサービスセンターなど高齢者福祉全般のサービスを展開してきました」と紹介されています。

 そのホームの評議員である徳野昌博牧師が、その機関紙に「主の復活を覚える季節に」と題して、巻頭言を次のように寄せられています。「この原稿を依頼され、着手したのは3月20日。母照代の命日です。亡くなったのは一年前。その日までの約十二年間、母は『るうてるホーム』を『終の棲家』として生活しました。百年の人生最後の日々を『るうてるホーム』で過ごすことができ、感謝しています」(中略)「そんな愛する母が亡くなったのは、イエス様の十字架の苦しみと死に思いをいたす四旬節最中の土曜日でした。週が明けた22日の月曜日に、ホームの礼拝堂で、大柴譲治牧師司式のもと、葬儀を営みました。母を主なる神様のみ手におゆだねすることができ、『これで大丈夫』と悲しみの中にあっても、私たち遺された者は安堵しました。」(中略)「その十字架のイエス様のゆえに、私は安堵したのです。母はただただ、『神様の憐れみ』のうちに生かされて生き、そして死にました。そこにこそ、彼女の復活があると思っています。彼女は、イエス様の生き方、あり方のすべてを、聖書を通して思い巡らしながら、一人ひとりが小さなキリストとなって生かされて、生きていることを感謝のうちに確信していたことでしょう。」

 この巻頭言を読んだ時、私も昨年3月2日に天に召された父親のことを思いました。

 今は、私たちひとり一人のために復活されたイエスさまを覚える復活節の時、私たちも、徳野先生のお母様のように天に召されるその時まで感謝して小さなキリストとなって毎日を過ごしていけるよう祈ることができればと思います。

 るうてるホーム「設立の目的と私たちの働き」は「このように私たちはルーテルグループの一員として、これからも地域社会に仕え、キリストの愛を伝えていくためにチャレンジを続けていきます」と結ばれています。 

みのり・岡崎 野口勝彦





2022年4月11日月曜日

《三遠地区使信 №1202》20220410 「春が来た」

 「春が来た」

教会の暦では、今は四旬節。四旬節のことを英語でLentと言いますが、Lentとは日が長くなる季節、つまり、春を意味する言葉です。日本の春と言えば、桜です。この使信を書いている今(4/1)、豊橋・岡崎では桜が満開を迎えています。

桜の満開は、本格的な春の訪れを意味しますが、その訪れに喜び、思わず口ずさむ曲の一つに「春が来た」があります。

この曲を作曲したのは、岡野貞一。彼は、明治の終わりごろから,多くの唱歌を作った作曲家で、7歳で父親を亡なくし、姉について通い始めた鳥取教会で幼少より賛美歌に親しみ、14歳の時、洗礼を受け、宣教師からオルガンの演奏法を習いました。その後、岡山のキリスト教系の薇陽学院を経て、18歳で東京音楽学校に入学します。そして、卒業後、文部省から小学校唱歌教科書編纂委員を命じられ、『尋常小学読本唱歌』『尋常小学唱歌』などの編纂にたずさわり、多くの唱歌を作曲しました。国文学者、高野辰之の詞に曲を付けた「ふるさと」「おぼろ月夜」などは、100年以上経った今も歌い継がれています。

また、熱心なクリスチャンとして知られ、40年余りに亘って毎日曜日に東京の本郷中央教会で礼拝のオルガン演奏や聖歌隊の指導に当たりました。公務の都合以外で教会の務めを休んだ記録がないという逸話からは、信仰の深さが窺われます。

 その彼が、先の高野の次の詩に曲をつけたのが「春が来た」です。

春が 来た、春が 来た、どこに 来た。

山に 来た、里に 来た、野にも 来た。

花が 咲く、花が 咲く、どこに 咲く。

山に 咲く、里に 咲く、野にも 咲く。

鳥が 鳴く、鳥が 鳴く。どこで 鳴く。

山で 鳴く、里で 鳴く、野でも 鳴く。

この歌からは、春が来た喜びが素直に伝わってきます。この歌を作詞した高野は、長野出身です。

私の前任地は、長野・松本教会でしたが、赴任した最初の年の秋の礼拝後、信徒の方をご自宅にお送りする車中で、何気に「夏が終わり、過ごしやすい秋が来ますね」と声をかけると、信徒の方は黙ったままでした。どうされたのかと思い、再び声をかけると「また、冬がやってくると」一言。そして、はじめての信州の冬を体験した後、私も秋が来ると、「また、冬がやってくると」と思うようになりました。

この歌は、その信州の長い厳しい冬が去って、待ち望んでいた春が来たと、歌詞をすべて五文字に仕上げ、繰り返すことにより踊るような喜びの気持ちが伝わってきます。

 今日から受難週、いよいよ、イエスさまが私たちの罪のために十字架にかかってくださる厳しい冬の季節です。私たちは、イエスさまの十字架を覚え、「春が来た」と喜びのイースターを迎えることができるよう、この受難週を過ごしていければと思います。                    

 みのり・岡崎 野口勝彦



2021年12月28日火曜日

《三遠地区使信 №1187》20211226 「今年一年に感謝して」

 「今年一年に感謝して」

今日は12月26日、今年最後の主日礼拝を各教会では守られていることだと思います。その前日、つまり、今から10年前のクリスマスに98歳で天に召された方と1年半前にこのコロナ禍の中、天に召された息子さんとの合同による墓前記念会を12月とは思えない暖かい日差しの中で今月11日に行いました。息子さんは、生前、みのり教会の修繕や教会行事の写真撮影などの奉仕をしてくださいました。また、そのお母様は、教籍番号4番、つまり、再来年11月に70周年を迎えるみのり教会4番目の信徒の方でした。みのり教会10周年記念誌には、昭和29(1954)年11月28日に行われた最初の洗礼・堅信式に4名の方の名前が記されていますが、その中に、その方のお名前とその際の集合写真が掲載されていました。記念会には、その方のお孫さんたちも参加されていましたが、20代の頃のおばあ様の写真にはじめて出会い、驚きと共にとても喜んでおみえでした。また、そのお孫さんの中のお一人は、今の豊橋礼拝所の新築された会堂で、新卒の宮本新牧師に結婚式の司式をしていただいたそうです。ちょうど今年のクリスマスイブ・キャンドルサービスは、その宮本牧師に司式等をお願いしました。

また、その記念会の二日後、母親の介護を終えた名古屋からの帰り道、お笑い番組『笑点』の宮城県石巻市からの公開放送が車中のワンセグから流れていました。その放送を聞きながら、東日本大震災から10回目のクリスマスを迎える被災地のことを考えていると、その放送直後に二本の電話が続き様にありました。1本目は、その石巻市北上町でわかめ養殖業をされていた方からのもので、例年であれば、わかめの種付けも終わっている頃だそうですが、今年は海水温の高さなどでまだ終わられていないということでした。また、もう一本の電話は同じ石巻市の牡鹿半島でかき養殖をされている方で、宮城県の牡蠣は海水温が高くても大丈夫ということで、今年は牡蠣の出来具合はとてもよかったということでした。そして、お二人からは今年もわかめ*と牡蠣*をいただきました。これも皆さんからもご支援していただいた「となりびと」での働きの成果であると、私も被災地の方々と共に、皆さんに改めて感謝しています。そして、この二つの出来事は、私にとって思いがけない神さまからの一足早いクリスマスプレゼントであり、まさに福音でした。

私は、今年、最後の主日に、103編 1節~5節ダビデの詩により、コロナ禍の今年一年の神さまのみ支えを感謝したいと思います。わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。           

 *となりびとブログhttp://lutheran-tonaribito.blogspot.com/でご覧いただけます。     

 みのり・岡崎教会 野口勝彦






2021年12月7日火曜日

《三遠地区使信 №1184》20211205 「近づく」

 「近づく」           

先月の19日の夕方から宵にかけて、全国で部分月食が見られましたが、皆さんはご覧になられたでしょうか。月食自体が日本全国で観測でき、さらに食分が最大になる瞬間がどこの地域でも見られる「とても深い月食」は、国立天文台によると1881年12月6日以来実に140年ぶりだったそうです。

先週の福音書の日課には「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである」(ルカ21:25・26)とありましたが、聖書時代の人々は今回のような月食に出会った時、そのように「不安に陥」り、「おびえ、恐ろしさのあまり気を失」ってしまっていたのかもしれません。そして、現代に生きる私たちよりも自然の変化に敏感で、み言葉に対しても実感を持って受け取っていたことでしょう。

さて、今日は12月に入って最初の主日です。それは、今年も残り1ケ月を切ったことを意味しています。みのり教会豊橋礼拝所には十字架を掲げた尖塔がありますが、その尖塔の影が、日々、伸びています。それは、冬が近づいている「徴」です。まさに、先のみ言葉、「太陽と月と星に徴が現れる」。そのものの姿がそこにあります。先の福音書の日課には「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる」(ルカ21:29・30)と記されています。尖塔の影は、まさに、「いちじくの木や、ほかのすべての木」の「葉」と言えるでしょう。また、その長さは「それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる」と記されている通り、冬が近づいたこと、つまり、クリスマスが近づいたことが分かります。そして、「それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい」(ルカ21:31)とみ言葉は、私たちひとり一人に語りかけるのです。

「神の国」それは、イエスさまが、昨年の教会暦の最後の主日、つまり、聖霊降臨後最終主日(11/21)で「私の国」(ヨハネ18: 36)と言われた国です。その国から、間もなくイエスさまが私たちのもとにやって来られるために、お生まれになるのです。

「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」(ルカ21:27・28)

私たちは、この時を、喜びを持って迎えられるよう、このアドヴェントの時を過ごすことができるよう祈りたいと思います。

     みのり・岡崎教会 野口勝彦