2018年10月29日月曜日

全聖徒主日礼拝のご案内。201801104

全聖徒主日礼拝(11/4)は

野口勝彦牧師による

救いは主にこそ

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。
尚、当日聖餐式はありません。11月11(日)の豊橋の礼拝で行います。

さて、主は巨大な魚に命じて、ヨナを呑み込ませられた。ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。 ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと/主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると/わたしの声を聞いてくださった。あなたは、わたしを深い海に投げ込まれた。潮の流れがわたしを巻き込み/波また波がわたしの上を越えて行く。わたしは思った/あなたの御前から追放されたのだと。生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうかと。大水がわたしを襲って喉に達する。深淵に呑み込まれ、水草が頭に絡みつく。わたしは山々の基まで、地の底まで沈み/地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかし、わが神、主よ/あなたは命を/滅びの穴から引き上げてくださった。息絶えようとするとき/わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き/聖なる神殿に達した。偽りの神々に従う者たちが/忠節を捨て去ろうともわたしは感謝の声をあげ/いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。ヨナ書2章1節~10節

2018年10月26日金曜日

宗教改革主日聖餐礼拝のご案内。201801027・28

宗教改革主日聖餐礼拝(10/27・28)は

野口勝彦牧師による

「愛によって働く信仰

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。


この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。 ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。
ガラテヤの信徒への手紙5章 1節~6節 

2018年10月20日土曜日

田原礼拝所奉仕。20181020


秋晴れの下、一年に一度の恒例の田原礼拝所奉仕が行われました。




それぞれ、思いのままの奉仕で



この通り、きれいになりました。



奉仕後は、信徒の方のお宅での採れたてのハーブでハーブティーと手づくのシフォンケーキを頂きました。感謝です。


2018年10月15日月曜日

聖霊降臨後第22主日礼拝のご案内。201801020・21

聖霊降臨後第22主日礼拝(10/20・21)は

野口勝彦牧師による

「見つめ、慈しんで

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。
尚、田原礼拝所(10/20)の夕礼拝は聖餐礼拝となります。


イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
マルコによる福音書10章17節~31節

聖霊降臨後第21主日礼拝。20181014


作日・一昨日とルーテル学院大学・日本ルール神学校専任講師の宮本新牧師を迎えての講壇奉仕を行いました。


一昨日は、田原礼拝所での夕礼拝の後、宮本牧師を囲み、夜遅くまで、歓談の時を持ちました。





作日は、豊橋礼拝所の主日礼拝礼拝後、宮本牧師家族を囲んで、信徒の方、手作りのチラシずしなどで、昼食会を行いました。



そして、昼食会後は、「聖書から学ぶ"生きる"から"生かされる"へ」の公開講演会が行われ


最後は、ルーテル学院大学・日本ルール神学校事務長を迎え、ルーテル学院大学・日本ルール神学校三遠地区世話人会がご覧の通り行うことができました。感謝です。




2018年10月11日木曜日

『ともしび』再開118号。20181007

  共に                                    
日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マタイによる福音書28章20節

私が、みのり教会に赴任して半年が経過しました。この間、様々な形でお支えいただいた皆様に心から感謝いたします。
さて、先月の27日、火山噴火としては、死者58人、行方不明者5人と戦後最悪の犠牲者を出した御嶽山噴火から4年となりました。その前日、遺族らでつくる「山びこの会」は、噴火後初めて山頂付近に入り、犠牲者の冥福を祈りました。
今から3年前、つまり、噴火から1年後の同じ9月27日、御嶽山の噴火被災者家族の会「山びこの会」の事務局代表・シャーロック英子さんは自らに言い聞かせるように「区切りをつけなくちゃ。前に進まなくちゃ」と言い、前日の26日に長野県王滝村で開いた一周忌の集いで「みんなで支え合って生きていきましょう」と閉会のあいさつで参加者に語りかけました。
義弟の伊藤保男さんを亡くした伊藤さんの妻で妹のひろ美さんと共に噴火の翌年の4月に会を立ち上げ、4月の発足式の2時間半の会合で、集まった15家族32人が遺品となった写真を見せ合いました。偶然写りこんだ米粒ほどの大きさの家族の姿を見つけ、涙を流す遺族もいたそうです。「この場所で、この時間に確かに生きていたと、皆、それを実感したいのだと」英子さんは強く感じ、そして、「私ができることは、あの日のことを忘れず、共有する場をつくること」と決意されたのです。
「悲しみはなかなか癒えない。でも、会の存在が少しでもケアにつながればいい」
噴火の翌年の5月から作り始めた会報の3号目の表紙に、犠牲者63人に向け、《変わらぬ悲しみをかかえながら、家族が少しずつ動き出しています。どこに居ようと家族を守ってくださいね》とメッセージを書かれました。
先日、岐阜の東濃地方を舞台にしたNHK朝の連続ドラマ『半分、青い。』が最終回を迎えました。そのドラマの中で、愛する妻を亡くした夫が、主人公から今の気持ちを尋ねられて次のように応えるシーンがありました。
「悲しみは深まるばかり、悲しみと共に生きるよ」
「悲しみと共に生きる」
私たちキリスト者も様々な苦難に遭い、愛する人を失い、御嶽山の遺族や先のドラマのセリフのように「悲しみと共に生きる」ことがあるかもしれません。
しかし、イエスさまは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と言ってくださいます。私たちは、このみ言葉を信じ、御嶽山の遺族のことを覚えて祈ることができればと思います。
最後に一つの有名な詩を様々な苦難に遭遇し、悲しみと共に生きている方々に捧げたいと思います。

「あしあと」 マーガレット・F・パワーズ

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」

続、御心を行う者たち
               長谷川勝義

「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
マルコによる福音書3章34節

わたしはイエスの友会の活動に参加するようになって、もう十数年になっているが、その三河支部と言うのは、岡崎と豊橋の会員の集まりで、月一回例会を開いて、牧師や信徒の奨励や証を聞き、賛美をし、その後、簡単な夕食を取りながら、親睦を深めたり、活動の計画を話し合ったりしている。会場は、豊橋と岡崎で交互に開いていたが、今は、岡崎のアッセンブリーの教会を会場にして毎月開いている。
 メンバーは、当初は、20名から30名ぐらいいたが、今は、その半数ぐらいか。初めの頃、朝倉照雅兄も支部長をやられたし、岡崎の二村摂三兄が、長くされていた。この間、三河支部は、活発で、色々な活動をした。特に、三河市民生協と一緒に「賀川豊彦『一粒の麦』を再版する会」を立ち上げ、皆でお金を出し合い、絶版となっていた『一粒の麦』を3千部作り、全国の人たちに提供し、好評だった。
 また、豊橋市の公会堂で「死線を越えて」の映画会をしたり、豊橋、蒲郡、豊川、岡崎、浜松の五箇所で、特別伝道集会を行った。さらに、賀川豊彦が中心になって活動した世界連邦運動の三河支部の会を結成し、その講演会を何回か開催した。
 このような活動が出来たのは、三河支部のメンバーが皆、個性にあふれて、いろんな考えを出し合い、祈りあって、それを実施していったからである。碧南の近藤兄は、奥様と一緒に参加して熱心に活動してくださったが、今は、天に召されていない。支部長であった二村さんも、昨年、道代夫人の後を追うように召された。
 こうして、何人かの兄弟姉妹を天に送ったが、一緒に主の御用のために共に活動し、交わりをしたその温かい思い出は、忘れることはできない。それこそ、主にある兄弟姉妹であり、父であり、母でもある関係である。
 現在も、毎月の例会がJR岡崎駅近くのアッセンブリー教会の岡崎神召教会で開かれて、10名前後の仲間が集まっているが、すでに90歳を越えた、岡崎の足立兄や庄田姉も毎回元気に参加している。会場を提供してくれている教会の牧師は、佐野徳子先生だが、九州天草出身の先生で、すばらしい先生だ。いつも、祈り、いつも、み言葉を伝えている。ご主人の先生が脳梗塞で倒れて命が危ない時、「神の手」と評判であった名古屋の藤田保健衛生大学坂文種報徳会病院脳神経外科教授・医学博士の加藤庸子先生に電話し、先生でなければ、愛する主人の命が救ってもらえないからと頼み、ご主人の命が救われ、今は、自宅で療養生活の介護に当たっている。ご主人が名古屋で入院中、その後のリハビリの間中、一日も欠かさず、岡崎から名古屋の病院まで通われた。ご主人はほとんど、喋れず、立ち上がることもできない状況にありながら、リハビリの手伝いをしたり、食事を食べさせる。そうしたことで、普通なら滅入っていやになるところだが、そんなことにへこたれるどころか、病院に行くと、しょんぼりしている人を見かけるとすぐ声をかけ、励まし、「神様がいて、あなたを助けてくださるのよ」とみ言葉を伝え、また、たまたま見舞いに行った牧師や主の兄弟たちにそういう人たちのために祈ってもらう。
 このようにして、佐野徳子先生がご主人の看護に当たっている数ヶ月の間に、何人もの人が基督の言葉に触れ、何人かは、洗礼にまでいった。
 「二、三人集まるところにわたしもいるのである。」というみ言葉の通り、二、三人集まって、祈り、賛美し、交わり、活動することによって、いかに兄弟姉妹の交わりが出来、祝福されるか、わたしは、イエスの友会や朝祷会で、経験し味わうことが出来た。最高の喜び、祝福は、こうした兄弟姉妹の交わりの中でこそあるのだと思う。

10月の予定
□10日(水)聖書に聴き、祈る会
□11日(木)田原牧師滞在日
□13日(土)田原夕礼拝:講壇奉仕
□14日(日)日曜礼拝(講壇奉仕)、公開講演会、神学校世話人会
□17日(水)聖書に聴き、祈る会
□18日(木)田原牧師滞在日
□20日(土)田原奉仕、田原夕聖餐礼拝
□21日(日)日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い、地区宣教委員会:刈谷
□24日(水)聖書に聴き、祈る会
□25日(木)安藤享子姉納骨式、田原牧師滞在日
□27日(土)田原夕礼拝
□28日(日)日曜礼拝:宗教改革主日
□31日(水) 聖書に聴き、祈る会

編集後記 教会員・求道中の方々からの原稿がないと、よい「ともしび」はできませんので、すすんで原稿をお寄せください。どんなことでも、ささいなことでもいいですから、皆様の生の声を書き留めてお寄せください。ぜひぜひお願いします。

2018年10月9日火曜日

聖霊降臨後第21主日礼拝のご案内。201801014

聖霊降臨後第21主日礼拝(10/13・14)は

宮本新牧師
(ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校専任講師)
による

「神に結ばれたもの」

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。


イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。マルコによる福音書10章1節~16節

樅の木に感謝。20181007



田原礼拝所のシンボルツリーであったご覧の樅の木が、先日の台風24号の強風で根が持ち上がり、



 ご覧の通り、斜めになり、倒木の危険性が高くなりました。


深夜にかけて、倒木防止の為、杭等でご覧の対策を行いました。
 

警察から借りたカラーコーンで事故防止も行いました。




そして、続く台風25号に備え、枝を信徒の方の協力で伐採し、




今週の日曜日の朝、業者の手によって伐採されました。


約束をしたわけでもないのに、田原礼拝所の信徒の方がご覧の通り集合し、長年の樅の木の働きに感謝しました。


納骨堂・墓碑銘増設工事完了。20181001


高山霊園にあるみのり教会墓地の納骨堂・墓碑銘増設工事が御覧の通り完了しました。この工事により18体分の納骨が可能となりました。


また、地震対策も同時に行われました。


2018年10月1日月曜日

公開講演会「聖書から学ぶ"生きる"から"生かされる"へ」20181014


聖霊降臨後第20主日聖餐礼拝のご案内。201801007

聖霊降臨後第20主日聖餐礼拝(10/7)は

野口勝彦牧師による

「受け入れる」

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。

 ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」   
マルコによる福音書9章38節~50節

聖霊降臨後第19主日礼拝。20180929・30


昨日・一昨日は年に一度の三遠地区東分区講壇交換を行いました。 


田原教会・浜松教会では、礼拝後、松本教会の信徒の方から送っていただいたご覧のぶどうなどをいただきながら 交わりの時を楽しみました。