2018年12月30日日曜日

顕現日礼拝のご案内。20190106

顕現日礼拝(1/6)は

野口勝彦牧師による

「全世界のすべての人々に

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。


 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。マタイによる福音書2章1節~12節

降誕後主日礼拝。20181229・30


昨日、今日と今年一年に感謝して、今年最後の降誕後主日礼拝を守りました。



豊橋礼拝所では礼拝後、東日本大震災被災地から届いた海産物をいただき、


 大掃除を行いました。


2018年12月25日火曜日

新年礼拝のご案内。20190101


新年礼拝(1/1)は
豊橋礼拝所にて、午前11時から

野口勝彦牧師による

「思い悩むな

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。


 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
ルカによる福音書12章22節~34節

降誕後主日礼拝のご案内。20181229・30

降誕後主日
礼拝(12/29・30)は

野口勝彦牧師による

安らかに

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。


 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。                    ルカによる福音書2章25節~40節

降誕祭燭火礼拝・降誕祭前夜燭火礼拝。20181223・24


一昨晩、田原礼拝所で降誕祭燭火礼拝を守りました。




礼拝後は、自慢の一品を持ち寄り、イエスさまの降誕をお祝いしました。




        昨晩、豊橋礼拝所で降誕祭前夜燭火礼拝を守りました。


       礼拝後は、手作りケーキでイエスさまの降誕をお祝いしました。


降誕祭聖餐礼拝。20181223



一昨日、豊橋礼拝所では降誕祭聖餐礼拝を守りました。


礼拝後は、持ち寄りの食事と、各地から送られた名産品で、イエスさまの降誕をお祝いました。




今年も東日本大震災で支援をした石巻から新鮮な牡蠣が送られてきました。感謝です。

2018年12月17日月曜日

降誕祭燭火礼拝・降誕祭前夜燭火礼拝のご案内。20181223・24

降誕祭燭火礼拝(12/23 19時~ 田原礼拝所)
降誕祭前夜燭火礼拝(12/24 19時~ 豊橋礼拝所)

野口勝彦牧師による

「クリスマスの夜は

のメッセージで行われます。
どなたもご自由にご出席ください。
尚、降誕祭燭火礼拝(田原礼拝所)後、持ち寄りによる祝会が行われます。

 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
ルカによる福音書2章1節~20節

降誕祭聖餐礼拝のご案内。20181223

降誕祭聖餐礼拝(12/23)は

野口勝彦牧師による

「人間を照らす光

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。
尚、礼拝後、持ち寄りによる祝会が行われます。


 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ヨハネによる福音書1章1節~14節

2018年12月11日火曜日

待降節第3主日礼拝のご案内。20181215・16

待降節第3主日
礼拝(12/15・16)は

野口勝彦牧師による

お言葉どおり

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。

尚、田原礼拝所は聖餐礼拝となります。

 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
ルカによる福音書1章26節~38節

2018年12月3日月曜日

『ともしび』再開200号。20181202

「大きな喜び」

恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
ルカによる福音書2章10節~11節


日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

毎月、発行されている『ともしび』が今月号で通算400号、再開120号と再開からちょうど10年となりました。これまで編集等に関わっていただいた長谷川勝義兄に改めて感謝いたします。
さて、今日から待降節、アドヴェントに入りました。教会の暦では新しい年に入ったことになります。教会にとっての新年、それは、明けましておめでとうではなく、クリスマスおめでとうです。
クリスマス(Christmas) は、「キリスト(Christ:クライスト)のミサ(mass:マス)」に由来しますが、もちろん、私たちの救い主であるイエスさまの降誕をお祝いする日です。
私はこのクリスマスの季節になると、いつもある一つの物語を思い出します。その物語の名は、星新一の『ある世の物語』です。その物語はクリスマスイブに、たった一人だけの望みをかなえることができるサンタクロースが、いろいろな人を訪問する次のような物語です。
サンタクロースが最初に訪問したのは恋人も友達もいない寂しそうな青年でした。彼は望みを聞かれ、恋人、きれいな住まい、会社での昇進といろいろな望みが浮かんでは消え、迷っているうちに彼の心の中で変化が起きます。そして、贈り物を手にする資格が自分にあるか疑問に思った彼は「ぼくが辞退したら、あなたはよそを訪れることになるのですか」とサンタクロースに尋ね、「それがお望みならばね」と答えるサンタクロースに「この少し先に、病気で寝たきりの女の子がいる。ぼくから回されたことは黙って、その女の子のところへ行ってあげてください」と言います。その病気の女の子も彼と同様に迷った末に別の人を紹介します。そして、サンタクロースに訪問された人たちは皆「なぜ私のところに?」と思い、サンタクロースに問いかけます。サンタクロースは「心配している人がいる」とだけ明かします。この物語は、独りぼっちではないことを知るのが最高の贈り物であることを読者に伝え、物語の最後を次のように結びます。
「サンタは、もしかしたら、きょう最も楽しさを味わったのは自分ではないかと思った」
クリスマス、それは、神さまから私たち一人ひとりにイエスさまを送ってくださる最大の贈り物をいただける日です。そして、イエスさまは私たち一人ひとりに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言ってくださるのです。
この「大きな喜び」を一人でも多くの人に伝えることができるアドヴェントの時を共に過ごすことができればと思います。

沖縄の涙                                                                  長谷川勝義

沖縄の辺野古に基地を移転するために、周辺の海を埋め立てる準備が進んでいる。反対運動も盛んで、沖縄知事選では、基地反対派の玉城デニー氏が勝利した。とにかく、沖縄は、基地の町の印象が強い。いたるところに米軍の基地や施設がある。それが、戦後73年経っても、ほとんど変わらないというのが不思議だ。
あの沖縄戦では、沖縄の四人に一人が亡くなったという。激戦を経験し、兵士だけではなく、一般人がたくさん亡くなった。沖縄が本土の人々の身代わりとなった感がある。そのことを忘れてはならないと思う。だから、私たちは、現在も沖縄に多くの米軍基地があり、沖縄の人たちに多くの負担をかけていることを考えなければならない。
日本は、いつまでも、アメリカにおんぶにだっこではいけない。早く、本当の独立・自立をしなければならない。対等なパートナーとして、アメリカにも他国にも向きあわなければならない。ベトナム戦でもイラク戦のときも、沖縄の基地から米軍が飛び立っている。
アメリカと同盟はいいが、基地はすべて撤廃するくらいの覚悟は必要だ。基地を撤廃して平和への道をどのように確保するかを考えていくべきだ。
辺野古の周辺の海は、さんご礁も残り、ジュゴンなども泳ぐ自然豊かな貴重な海だ。それを、基地を作るために破壊するようなことは絶対許してはならない。そのために沖縄の人たちは、もう、十数年も毎日座り込み活動を実践している。沖縄の平良夏芽牧師も長年反対運動のリーダーだ。カヌーから、引きずり落とされ、死にそうになったこともある。何度も逮捕された。もう大分高齢になられたと思うが、現在でも、ご夫婦で抗議活動をしているのではなかろうか。
沖縄にも朝祷会が5箇所あって、現在も毎週か毎月一回ずつ開いている。そのうちの首里朝祷会の世話人をしている仲里朝治さんが、全国の各朝祷会あてに、沖縄からのメッセージを送って来られた。沖縄の基地のことを考えての切実なメッセージだったので、全文を掲載して、共にその痛みを分かち合いたいと思う。


「神様の皮袋に
  沖縄の涙が蓄えられている」     
首里教会 仲里朝治

主のみ名をさんびいたします。
私たち首里朝祷会は、月一回全国の朝祷会を覚えて祈っております。そのため、このお手紙を差し上げ沖縄島にある私たちの声を聞いていただきたいとの思いからペンを取りました。
私たちが月一回集まる場所は日本キリスト教団首里教会です。
1429年、沖縄島は、琉球国として独立していて、琉球王朝が治めており、その時代に天王寺があったその場所で毎月朝祷会が開かれています。
沖縄は、戦後70年余戦争体験者が減少しております。4人に1人が亡くなった沖縄戦、その痛みは今も引きずっています。聖書の「平和を創る者は幸いである」との教えを忘れることはありません。
私たちの沖縄は全国47都道府県の一つですが、本州の各県とは扱い方が違います。
沖縄県は歴史的にも文化的にも、言語的にも特徴があります。石破茂元防衛相が述べていますように「沖縄に軍事基地が集中している理由について(本土の)反対を恐れ、日本とアメリカが沖縄に多くの海兵隊の部隊を移した」と語っています。
それが差別です。そして、沖縄には矛盾がたくさんあります。公立の普天間第二小学校に、普天間基地から飛び立った戦闘機から重さ7キロの窓が落ちてきました。日本全国どこに公立の学校・保育園に飛行機の落下物が落ちてくる場所があるでしょうか。
私たちが聞いて欲しいことは、私たちのイデオロギーを伝えているのではありません。キリストの平和が、私たちの心の隅々まで行き渡って主にある交わりをすることです。
「聞いてください」そのことを、祈りの仲間であります皆様に私たちの痛みを分かち合っていただきたいのです。共にキリストの平和を実現するためにです。神様の皮袋に沖縄で被害に遭われた方々の涙が蓄えられているはずです。
聞いていただきたいのです。差別・不平等があります。痛みを分かち合うことで平和を創り出す。キリストの平和を心から求めています。
神様の祝福がますます豊かに朝祷会の皆様の上にありますようお祈りいたします。

《12月の予定》
□12月2日(日)日曜聖餐礼拝(待降節第1主日)、役員会
  5日(水)聖書に聴き、祈る会
  6日(木)田原牧師滞在日
  8日(土)田原夕礼拝
9日(日)日曜礼拝、女性会、男性会
12日(水)聖書に聴き、祈る会
       (年内最終、1月9日再開予定)
 13日(木)田原牧師滞在日
15日(土)田原夕聖餐礼拝
16日(日)日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
20日(木)田原牧師滞在日
23日(日)日曜礼拝(降誕祭礼拝)・祝会
                     田原燭火礼拝・祝会
24日(月)豊橋降誕祭前夜燭火礼拝
27日(木)田原牧師滞在日
29日(土)田原夕礼拝
30日(日)日曜礼拝、大掃除

編集後記 
クリスマスがやってきます。主のご降誕を多くの方々と一緒に祝いたいと思います。今年も、これで終わりです。一年一年が早く過ぎていきます。今年は、何をしただろうか。何か出来ただろうかと考えます。何も出来ていない自分を振り返ります。年をとるにつれて、その思いは深くなります。それでも、日々神様からのお守りをいただいて元気よく過ごせたことを感謝して次の年を迎えたいと思います。
 
イザヤ書11章のみ言葉から希望が与えられます。

平和の王 「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊が留まる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。」

待降節第2主日礼拝のご案内。20181208・9

待降節第2主日
礼拝(12/8・9)は

野口勝彦牧師による

荒れ野

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。



皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』ルカによる福音書3章1節~6節


待降節第1主日聖餐礼拝。20181202



昨日、豊橋礼拝所では待降節第1主日聖餐礼拝を守りました。



礼拝後は、信州・安曇野から届いた蜜入りのりんごを美味しくただきました。感謝です。







2018年11月25日日曜日

待降節第1主日聖餐礼拝のご案内。20181202

待降節第1主日聖餐礼拝(12/2)は

野口勝彦牧師による

先に立って

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。


イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。 二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」
ルカによる福音書19章28節~40節

聖霊降臨後最終主日礼拝(田原日曜讃美礼拝)。20181125


田原礼拝所の今年の教会暦最後の主日が、晴天の中、日曜讃美礼拝として守られました。



礼拝の中では声楽家の方の讃美も行われ


とても恵まれた礼拝を守ることができました。感謝です。


礼拝後は、それぞれお好みのメニューのお弁当で楽しい交わりの時を過ごしました。

2018年11月20日火曜日

聖霊降臨後最終主日礼拝のご案内。20181125

聖霊降臨後最終主日礼拝(11/25)は

野口勝彦牧師による

終末

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。
尚、豊橋礼拝所の礼拝は説教代読による信徒礼拝、田原礼拝所の礼拝は讃美礼拝(午前10時30分~)となり、11月24日(土)の夕礼拝は行われません。


それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、 星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
マルコによる福音書13章24節~31節

2018年11月12日月曜日

聖霊降臨後第26主日礼拝のご案内。20181117・18

聖霊降臨後第26主日礼拝(11/17・18)は

野口勝彦牧師による

乏しい中から

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。
尚、田原礼拝所(11/17)の礼拝は聖餐礼拝となります。


イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」 マルコによる福音書12章 42節~44節

2018年11月7日水曜日

聖霊降臨後第25主日礼拝・子ども祝福式のご案内。20181110・11

聖霊降臨後第25主日礼拝(11/10・11)は

野口勝彦牧師による

「愛しなさい

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。
尚、豊橋礼拝所(11/11)の礼拝は聖餐礼拝となります。
また、礼拝の中で子ども祝福式が行われます。


彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。
マルコによる福音書12章28節~34節

『ともしび』再開119号。20181104

ひとりではない   
 日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

「わたしはひとりではない。
父が共にいてくださるからだ」
ヨハネによる福音書1631

 11月に入り、今年も残り2ケ月足らずとなりました。教会の暦では122日が待降節第1主日です。つまり、教会では一足先に新しい年に入ります。
11月はそういう意味では、今年最後の月となります。その最後の月の最初の日曜日、ルーテル教会では、毎年、天に召された方を覚えて全聖徒主日を守ります。今年は114日がその日に当たります。
今年は多くの方が天に召されました。3月まで長野教会・松本教会の牧会をしていましたが、2月と3月に松本教会の信徒の方をお一人ずつ、天に見送りました。
そして、4月から、みのり教会の牧会を託されましたが、4月にH兄とA姉を、5月にS姉を、9月にK姉を天に見送りました。
また、以前、牧会していた福岡西教会と二日市教会の信徒の方、長野教会のお二人の信徒の方など、多くの訃報も伝えられました。
私たちの命は神さまから与えられ、この世で、それぞれの使命を与えられ、その使命を果たして神さまのみ許に帰ります。
今年、9月に天に召された、K姉もそのお一人です。みのり教会は今月8日で宣教65周年を迎えますが、今から15年前、つまり、宣教50周年に記念誌『みちびき』が発行されました。その中で、K姉は「思い出すまま」と題して、次のように綴られています。
「私が旧豊橋教会で昭和39年の復活祭だったと思いますが、北尾先生より受洗してから40年近くになります。長いようで、短いようで長い年月が過ぎました。人並みに結婚し、娘4人が与えられ、今年は初孫の誕生を迎える事ができました」「私達夫婦にとって人生の一つの山を越えた感じです」
この記念誌から15年後、突然、K姉は天に召されました。葬儀は、ご遺族の意向により、仏式で行われましたが、記念誌に綴られていた娘さん4人とお孫さんに見送られ、天に旅立たれました。
そして、記念誌には次のようにその続きが綴られています。
「豊橋に出稼ぎにやってきて初めて住んだのが舟原町だったから、そこに教会があったから今の私があり、肉による兄弟姉妹よりもはるかに親しくつきあっていただいて望外の喜びです。『主にあって絶えず祈りなさい。いつも喜んでいなさい』齢60を過ぎ最終コーナーを走り始めました。新しい天と地を目指してゆっくりと歩んでまいりたいと思います」
K姉はまさに「新しい天と地」に召され、今は神さまのみ許でゆっくりとされていることでしょう。
「わたしはひとりではない。父が共にいてくださるからだ」と言われて。
私たちも、全聖徒の日を迎え、K姉をはじめ天に召された方々のことを覚え、この世での使命を果たし、いつか、神さまのみ許に帰ることができるよう祈り続けることができればと思います。

Mさん(神戸在住)からの便り

 お便り感謝しています。み言葉を送ります。ルーテル六甲教会年間主題聖句
『わたしはあなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなた方が最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。』(フィリピの信徒の手紙3:3-5)
・やっと六甲病院・市民病院から退院、再来院から解放され
 ました。我は死ぬることなし、生きて主イエス様を宣教・
 奉仕します。1111日、私の舟原よりもう40年、弱くとも
 復活。
・いつのまにか今年も年賀状を考える日々となりました。あ
 あ、あれは正月のこと、突然、心臓がおかしく自分もも
 し、あの時、だれも知らせてくださらなかったなら死んで
 いたと思います。今日に至るまで死より生へ・・・今日も
 思い出して感謝しています。アーメン

土に生きる-ディアコニアセミナーに参加して 
長谷川勝義

今年の107()の夜から8()の昼にかけて三重県伊賀市の愛農学園農業高等学校で行われた第26回秋のディアコニアセミナーに参加した。それは、テーマの「土に生きる」すなわち、農業のことをテーマにしていたことや、愛農学園のことは、以前から情報があり、それと、元総会議長で、京都教会の牧師であった小泉先生の娘さんの泉川道子さんが、そこで、副校長をしていて、今回のセミナーのプログラムの中で、彼女のお話も聞きたいと思った。
朝倉照雅さんの「九つの会」を手伝っている秋山さんに話したら、彼も農業に関心が強く行きたいというので、彼に車を運転してもらって、一緒に参加した。23号線から、伊勢湾岸道、東名阪を通って、結構時間がかかった。
愛農学園は、全寮制で、1学年25名の定員、それが3学年だから、多くても75名の小規模な全国でもまれな農業高校だ。しかも全寮制の農業高校と言うのは、全国でもここしかない。創立者は、キリスト者であった小谷純一という人。わたしは、これまで、小谷純一のことは、全く知らなかったが、ここでのセミナーでの泉川道子さんや、愛農会の現在の会長の村上真平氏の話を聞いて、素晴らしい人だったことを知った。
小谷純一は、敗戦後、日本の食糧難の中で、農業振興の必要性を感じ、愛農塾という組織を作った。愛農塾のモットーは、「神・人・土を愛する」の三愛精神であった。
こうした愛農塾(後の愛農会)の活動の中から、1963年に愛農学園農業高等学校が生まれた。
1995年の全国愛農会の創立50周年の記念講演で、彼の愛農活動を始めた切実な願いと熱意が感じられるので、以下一部抜粋する。
・・・『歴史は神の審判の足跡である』と言われています。天地万物の創造主であり、人類の歴史の主宰者であり給う真の神が、正義と愛を持って、個人も団体も国家も人類全体をも導いてくださいます。『一人の生命は地球よりも重い』と言う言葉がありますが、それは聖書の生命尊重の精神こそ愛農救国・救人類・救地球運動(愛農運動)のよって立つ基盤であります。『愛農運動って何ですか』と聞かれた時『生命を大切にする運動です』と答えたらよいと思います。もう少し具体的に言うと『平和と農業を死守する運動です』と答えたらよいと思います。
発会後10年にして農業者の自主的全国組織を完成した全国愛農会は三重県青山町に「人づくり」の道場として愛農根本道場(後の愛農学園)を創設しました。そして、総力を結集して愛農学園高等学校を創設しました。そんな学校を作っても三年もたたぬうちにつぶれると言われた愛農高校は既に創立34年を迎え、702名の卒業生を社会に送りだしました。その半数近くが、この農業情勢が厳しい中で農業と農村を守るために戦ってくださっています。・・・
このように、小谷純一と言う神を愛し、人を愛し、農業を愛した人物によって起こされた愛農学園高校が、あとを引き継いだ人々によって、現在も力強く継続をされている様子を知ることが出来てうれしい。ここでは、何よりも「命を育み、命をつなぐ」ために、農薬や除草剤、化学肥料を使わない有機農業を中心とした農業教育を実践していることだ。ここの生徒たちは、3年間、ここでみっちり教育を受けて、全国の農山村に散らされていき、それぞれの場所でがんばっているということだ。
1963年にここの愛農聖書研究会での講師であった簗瀬義亮先生の話は、現在の私たちにとっても、非常に大事な警鐘だ。「このまま農薬・除草剤・化学肥料を使用し続けるならば、20年後に日本国民の四人に一人がガン死する時代が来る」と!
まさに、現在、この預言の如くなっているのではないか。私たちの食べているものは、ほとんど農薬や除草剤や化学肥料やさらには、遺伝子組み換え、あるいは、種無しなど化学薬品で処理されたものではないか。それが積み重なって私たちの体に様々な悪影響を及ぼしていくことを考えなければならない。
セミナーでの一泊は、同窓会館の広間で雑魚寝だったが、朝食がよかった。合鴨農法で作ったお米のご飯をいただき、生徒たちが世話をしている鶏の生卵をかけ、自家製のソーセージ、絞りたての牛乳もあり、すべては、この愛農学園の有機農業で生徒たちの汗水たらした結晶の食べ物だけに、おいしかった。
愛農学園高校は、2013年に創立50周年を迎えているが、これまでの必死の取組みが様々なところで評価されている。2005年には、朝日新聞社の「明日への環境賞」を受賞。2011年には、農林水産省の「フードアクションアワード」大賞を受賞。2014年には、新校舎が三重県の建築一般部門で会長賞を受賞した。
少子化の中で、農業を目指す青少年は少ないと思うが、人づくり、農村作り、明日へと繋がる食料作りを実践しようとしているこの愛農学園農業高校を私たちも心から応援したいと思う。

11月の予定
   1 ()田原牧師滞在日
   3 () 教区信徒大会:なごや希望教会
   4 (日曜礼拝(全聖徒主日)、墓前記念会、役員会
   6 (教区会計システム説明会:名古屋めぐみ教会
   7 (聖書に聴き、祈る会
   8 () 南海トラフ対策セミナー
  10 ()田原夕礼拝(子ども祝福式)
  11 ()日曜聖餐礼拝(子ども祝福式)、女性会、男性会
  14 ()聖書に聴き、祈る会
  15 ()田原牧師滞在日
  17 ()田原夕聖餐礼拝
 18 ()日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
21 ()聖書に聴き、祈る会
22 ()田原牧師滞在日
□ 25 ()日曜礼拝(豊橋:信徒礼拝、田原:讃美礼拝)
28 ()聖書に聴き、祈る会
29 ()田原牧師滞在日

編集後記 
今年も残り少なくなりました。月ごとのカレンダーもあと2枚です。日々過ぎるのは早くても、一日一日が貴重な一日だと思い、感謝の一日だと思い、過ごしたいと思います。原稿をお寄せください。