2020年1月20日月曜日

顕現後第3主日礼拝のご案内。20200125・26

顕現後第3主日礼拝(1/25・26)は

野口勝彦牧師の


「異邦人のガリラヤ」

の説教で守られます。


どなたもご自由にご出席ください。


それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
マタイによる福音書4章14節~23節

《三遠地区使信 №1086》20200119 「ともしび」

 ともしび」
 2020年が始まって早くも三週間が立とうとしています。三遠地区は今年の4月より大きな変化を迫られます。
 その変化の中、みのり教会でも定期総会に合わせて、これまで与えられた神さまからの多くの恵みに感謝しながら、教会活動の見直し作業を進めています。
 そのような中で、これまで毎月発行していた『ともしび』が今月号を以て暫く休刊することになりました。『ともしび』は、豊橋教会献堂式(1956年11月)が行われた同じ年の4月に教会機関誌として発行されました。今月号で通算413号を数え、途中休刊から再開して133号を数えています。創刊から64年、再開してから11年間発行されてきました。みのり教会の歴史が、前身の豊橋教会時代を含めると66年ですので、その歴史とほぼ同じ歳月となります。
 昨年、母子室の天井が物置になっているのに気づき、整理をしました。その際に、『ともしび』のバックナンバーが見つかりました。1971年5月2日に発行された105号の編集記に当時の豊橋教会高塚牧師は「今月号から毎月第一日曜日に発刊することにしました」と記し、そして、1976年3月28日には高塚牧師交換牧師渡米記念特集号が発行されています。
 1986年1月には、当時のみのり教会内田牧師は『ともしび』がついに200号となりました。およそ30年の年月、ある時は活発に、またある時には遅々とした歩みではありましたが、ともかく『ともしび』はここまで来たのです。(中略)特にここ数年来、みのり教会3集会所(舟原・高師・田原)及び浜名教会2集会所(浜名・三ケ日)の全5集会所に関わる信徒・求道者のコミュニケイションの手段として、また文書伝道のための適当な小冊子として活躍するようになってきているのです」と記しています。この頃はB5版毎号16~24ページの小冊子として発行されていました。
 その後、中山牧師、川口牧師、重野牧師、末竹牧師、宮本牧師と引き継がれ、2002年3月17日に発行された280号で休刊となりましたが、2009年1月1日、三浦牧師の時代に再開されました。その再開第1号の編集後記には、「ささやかな声でも、大きな声でも、生活の証を表現する場として、この『ともしび』を出していきたいと思います」とその再開する使命が記されています。
 新しい10年である2020年代に入り、その働きは暫くお休みとなりますが、また、いつか、新しい使命が与えられ再開される日を待ち望みたいと思います。
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」
詩篇119篇105節(口語訳)
みのり教会 野口勝彦






『ともしび』再開133号。20200119

「未来を生きる」
「皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。
私に告げられたとおりになります」 
使徒言行録27章25節
日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

   2020年代が始まって早くも三週間がたとうとしています。2010年代は東日本大震災をはじめ様々な自然災害が日本列島を襲いました。この原稿書いている今日(1/8)も季節外れの春の嵐と名古屋では40年ぶりの最高気温を記録しました。2020年代も異常気象が続く気配です。そのような中、三遠地区は4月より大きな変化を迫られます。
間もなく、教会定期総会を迎えますが、先日の役員会でその総会についての議題について協議しました。その中で、2020年度の教会目標を「元気を出しなさい」、主題聖句を「皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に告げられたとおりになります」使徒言行録27章25節を提案することにしました。
 「元気を出しなさい」、このみ言葉は昨年の8月に豊橋礼拝所献堂20周年記念の記念品として、現在、ケアハウスに居住するご夫妻が献品してくださった手ぬぐいに記されたものです。
 使徒言行録27章は、ローマ帝国に捕縛されたパウロが、ローマへと護送されていく、その船旅のことが記されています。当時の船旅は、現代では想像がつかないほどの困難と危険が伴うものでした。私たちの信仰生活も、その船旅に例えることができます。私たちの信仰生活は、現代においても、このパウロの船旅と同じように、逆風に悩まされたり、嵐に翻弄されたり、浅瀬に乗り上げたりし、時には、この世の荒波の中に沈没してしまうことさえあります。
 パウロは、嵐の中、人間的には「ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」時に、「皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです」と皆に語り、力づけ、励ましました。どうしてパウロはこのように確信をもって語ることができたのでしょうか。それはパウロが「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」と困難な時だからこそ、この神さまからの使いの言葉を信じていたからです。
 私たちもこのパウロのように、新たに与えられた2020年代と言う未来を、み言葉に支え、励まされながら、元気を出して、共に神さまの恵みに満ちた信仰生活を歩む10年間になるよう、互いに祈り続けていけることができればと思います。
最後に、今号で「ともしび」は暫く休刊となる予定です。長らくご奉仕してくださった長谷川勝義兄に心から感謝いたします。

内村鑑三における宗教思想    
長谷川勝義
④仏教と基督教についての続き
 鑑三は、慈悲と愛の違いを「義」のあるか無しかで言う。基督教は、単なる無条件の愛ではない。無条件の愛は、盲目的愛であって、それは好ましくない愛であるとする。間違いがあったらそれを正す愛でなくてはならない。慈悲は上から下への一方的に与える愛だが、人が過ちや罪を犯したものであれば、それを正すのが本当の愛であるとする考え方だ。
   仏教にはその考えが少なく、基督教は、そこを厳然と区別する。仏教と基督教の違いは、この「義」「正しさ」を切り離さないかどうかである。義が無いところでは、無秩序となり、決まりは 守られず、国であれば、悪に走り、国が滅ぶもとを造ってしまう。義のない国はいつも滅びるのはこれまでの歴史が証明している。
⑤ 唯一の宗教について(『全集31 巻』より)
 世の中には様々な宗教がある。仏教、神道、基督教、イスラム教、ヒンドゥー教などである。その中で唯一の宗教と言えるものがあるかどうかと内村は問うのである。彼は、基督教こそ、唯一の宗教であり、何物もそれに代えられる宗教はないと断言する。基督教はキリストの宗教であって、キリストを他の釈迦やマホメットや他の神々が代用することが全く不可能であるが故にキリスト教こそが唯一の宗教であるとしている。
「私は憚らずして言う。基督教にキリストが在る。神と人との間に中保として立つイエスキリストがある。・・・これは他の宗教には無いものである。中保とは単に神を人に紹介する者ではない。故に大教師、大預言者でない。神と人との接触点である。聖き神が罪の人に接し給う所である。即ち神が人類の為に備え給えし殿(みや)であって、この殿に於いてのみ神は人に臨み、人は神に近づきまつる事が許さるるのである。即ち神人両性を備え給える人なるキリストイエスである。・・・釈迦も孔子もモハメットもキリストの職を果たすことはできない。」、「聖なる神の在ることがわかり、また自分の罪人なることがわかっていかにしてこの神を自分の神とすることが出来るかというむずかしい問題が起こるのである。そして、この問題に対して他の宗教が与える解決法は千篇一律である。即ち『汝まず、神の如くなるべし。然らば、神は己が僕として汝を受くべし』というものである。『人が神の如き者と成らんとするの道』それが世のいわゆる宗教である。」
 「しかしながら、実際のところ、人は自ら努めて神の如くに成りえないのである。自分の聖化を待って神に至らんとするは、百年河清を待つが如くであって、その目的は到底達し得られないのである。ここにおいて何か罪の我が聖き神に至るの道が無くてはならない。そして、神はキリストを以ってこの道を備え給うのである。神はキリストに在りて充分に我等人類の罪を罰し、キリストは正当の罰として之を受け給いしが故に、彼に在りて人類の罪は完全に赦され、神人の交通の道は開けて、神の恩恵はキリストを通して人に降るに至ったのである。しかし、人が人である以上、この恩恵は無意識に彼に降るものでない。
 人はまず、キリストを信ぜねばならない。即ち彼の苦しみを我が苦しみとして認めなければならぬ。我は彼の如くにその罰を正当と認めてこれに当たらねばならぬ。しかし、これ弱き汚れたる我の為す能わざるところであるが故に、我はキリストを以って我が罪を言い表し、その罰に当たるのである。これがキリストにおける信仰である。そしてこの信仰の故を以って神はキリストに在りて我を赦し、われはキリストに在りて神をアバ父よと呼びて彼に近づきまつることが出来るのである。これが限りなき生命である。人の最大幸福はかくのごとくにして得らるるのである。」
 「そしてこんな明白な救いの道は他の宗教には無いのである。基督教はキリストである。キリストの教え在りての基督教に非ず、キリストなる独特の性格と行為とありての基督教である。基督教に他の宗教に無いものがある。その意味において基督教は宇宙唯一の宗教である。」
鑑三は、基督教が唯一の真の宗教だと確信している。神に至る道は、キリストを通してしか考えられない。それは、人間は罪にまみれていて、神に近づくことはできないからである。キリストの十字架の死の贖いという出来事を信じる信仰によって、罪の赦しを得て初めて神の前に立つことができるという信仰である。このような信仰は前代未聞である。他の宗教とはまったく異なるもので、基督教を他の宗教で代用することはできない。この意味で、鑑三は、基督教こそ唯一の宗教と言うのであろう。

《今後の予定》
□1月 12日(日) 日曜礼拝、女性会、男性会
□  15日(水) 聖書に聴き、祈る会
□  16日(木)    田原牧師滞在日
□  18日(土) 田原夕礼拝
□     19日(日) 日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
□  22日(水) 聖書に聴き、祈る会
□  23日(木)   田原牧師滞在日
□  25日(土)   田原夕礼拝
□       26日(日) 日曜礼拝、総会資料配布
□  29日(水) 聖書に聴き、祈る会
□  30日(木)   田原牧師滞在日
□2月2日(日)  日曜礼拝、教会定期総会、役員会

編集後記 
   新しい年が始まります。みのり教会にとって、今までとは違った歩みが4月から始まります。どのような道であっても、主に導かれるならば、安全で確信を持って歩んでいけます。希望を失うことなく、さらに一歩前進するつもりで歩んで行けたらと思います。それには、一人一人の確固たる信仰が問われます。「しっかりしなさい。私がいつもあなたのそばについている」とのイエス様の声を聞きつつ歩んでいきたいと思います。今回を以ってしばらく休刊しますが、再開が近いことを祈っています。これまでのご協力・ご愛読を感謝します。

2020年1月13日月曜日

顕現後第2主日礼拝のご案内。20200118・19

顕現後第2主日礼拝(1/18・19)は

野口勝彦牧師の


「神の小羊」

の説教で守られます。


どなたもご自由にご出席ください。



◆神の小羊
 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
◆最初の弟子たち
その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。
ヨハネによる福音書1章29節~42節



2020年1月7日火曜日

主の洗礼礼拝のご案内。20200111・12

主の洗礼礼拝(1/11・12)は

野口勝彦牧師の


「使命」

の説教で守られます。


どなたもご自由にご出席ください。



アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。
マタイによる福音書3章13節~17節 

2020年1月1日水曜日

新年礼拝。20200101

新年明けましておめでとうございます。


2020年代初めての礼拝が、豊橋礼拝所で守られました。 


礼拝後は中国のお土産などで、新年の交わりの時を持ちました。


2020年代も皆様の上に神さまの恵みと祝福が豊かにありますように。