2019年4月21日日曜日

復活後第1主日礼拝のご案内。20190427・28

復活後第1主日礼拝(4/27・28)は

野口勝彦牧師による

「イエスは生きておられる」

の説教で守られます。

どちらの礼拝も、どなたもご自由にご出席ください。



ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせした。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
ルカによる福音書24章13節~35節

復活祭合同聖餐礼拝・墓前記念会。20190421


主の復活をお祝いします。


豊橋礼拝所では、復活祭合同聖餐礼拝が、遠くは信州・松本からの出席者、また、久しぶりに礼拝に出席された方を含めてご覧の方々にによって守られました。





礼拝後はご覧の持ち寄りの祝会が行われ



祝会後は、高山霊園で墓前記念会が行われました。


2019年4月20日土曜日

受苦日礼拝。20190419


昨日、受苦日礼拝を守りました。
主の復活を祈りましょう。


2019年4月15日月曜日

復活祭合同聖餐礼拝のご案内。20190421

復活祭合同聖餐礼拝(4/21)は

野口勝彦牧師による

「私は主を見ました」

の説教で守られます。

どなたもご自由にご出席ください。

尚、礼拝後、持ち寄りによる復活祭(イースター)祝会が、
その後、中山霊園にて墓前記念会を行います。



受苦日礼拝のご案内。20190419

受苦日(聖金曜日)礼拝(4/19)は

✜豊橋礼拝所:午前10時30分から

✜田原礼拝所:午後 2時30分から

行われます。

どちらの礼拝も、どなたもご自由にご出席ください。


こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。イエスは、弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは、一隊の兵士と、祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて、そこにやって来た松明やともし火や武器を手にしていた。 イエスは御自分の身に起こることを何もかも知っておられ、進み出て、「だれを捜しているのか」と言われた。 彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると、イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。そこで、イエスが「だれを捜しているのか」と重ねてお尋ねになると、彼らは「ナザレのイエスだ」と言った。すると、イエスは言われた。「『わたしである』と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人々は去らせなさい。」それは、「あなたが与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」と言われたイエスの言葉が実現するためであった。シモン・ペトロは剣を持っていたので、それを抜いて大祭司の手下に打ってかかり、その右の耳を切り落とした。手下の名はマルコスであった。 イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」 そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。一人の人間が民の代わりに死ぬ方が好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。シモン・ペトロともう一人の弟子は、イエスに従った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の屋敷の中庭に入ったが、ペトロは門の外に立っていた。大祭司の知り合いである、そのもう一人の弟子は、出て来て門番の女に話し、ペトロを中に入れた。門番の女中はペトロに言った。「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」ペトロは、「違う」と言った。僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。イエスは答えられた。「わたしは、世に向かって公然と話した。わたしはいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。ひそかに話したことは何もない。なぜ、わたしを尋問するのか。わたしが何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々がわたしの話したことを知っている。」イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。イエスは答えられた。「何か悪いことをわたしが言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか。」アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。シモン・ペトロは立って火にあたっていた。人々が、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。大祭司の僕の一人で、ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」 ペトロは、再び打ち消した。するとすぐ、鶏が鳴いた。 人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」 ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」 イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」 そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」 ピラトは言った。「真理とは何か。」死刑の判決を受けるピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」 すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」 イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」 ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」 そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」 ピラトは、これらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった。ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、彼らは叫んだ。「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。十字架につけられる。こうして、彼らはイエスを引き取った。イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。 イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、/「彼らはわたしの服を分け合い、/わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。  
ヨハネによる福音書18章1節~19章 30節

2019年4月14日日曜日

《三遠地区使信 №1046》20190414「聖餐」

 「聖餐」

4月も半ばとなりました。私がこのみのり教会に着任して早くも一年が経過しました。改めてこの一年を支えてくださった三遠地区の皆様に感謝いたします。
さて、その4月に入り、新しい年度が様々なところで始まっています。そして、平成も残り3週間となりました。41日に発表された新元号は「令和」です。この新元号には、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められているそうです。ルーテル教会の年度は1月から始まりますが、4月、特に今年の4月は日本人にとって特別な月になっているのは間違いないようです。
そのような中、先月の3()19時から宣教百年記念会堂(東京教会)にて教職授任按手式が行われ、3名の新たな牧師が誕生しました。その中のお一人で、宣教研修をみのり教会で行った筑田仁牧師に先月17()*、そのみのり教会の主日礼拝で説教奉仕をしていただきました。礼拝後、筑田牧師を囲み昼食会を行い、信徒の方々から宣教研修時代の思い出や新しく牧師としての歩みをはじめる筑田牧師へのはなむけの言葉などを贈っていただきました。その後、礼拝に出席をすることができない信徒の方のご自宅を訪問し、聖餐を行いました。聖餐とは「キリスト者がパンとぶどう酒をもって象徴的に食事を共にすることによってキリストの死と復活を記念する儀式」(岩波キリスト教辞典)です。その儀式は、基本的に日本福音ルーテル教会では、教職授任按手を受けた牧師しか執り行うことができません。その筑田牧師のはじめての聖餐をその信徒宅で共に行いました。筑田牧師にとっては生涯忘れることができない聖餐となったことだと思います。
私も今から14年前の2005年に教職授任按手式を受けましたが、牧師としてのはじめての聖餐は、当時、神学校の同級生で、白血病により入院されていた榎津重喜神学生を東京大学病院に訪ね、同じ日に按手を受けた小勝奈保子牧師、後藤(船橋)由起牧師と共に行いました。その榎津神学生はその2ケ月後に天に召されましたが、私たちの中では聖餐は、イエスさまを思い起こすと同時に榎津神学生のことを思い出すものとなっています。

次週、私たちは、復活祭を迎えます。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」のみ言葉による喜びの聖餐を行えるようこの受難週を共に過ごしていきましょう。                 
みのり教会 野口 勝彦
*17日の様子を教会ブログhttps://minorichurch.blogspot.com/でご覧いただけます。

2019年4月8日月曜日

枝の主日礼拝のご案内。20190413・14

枝の主日礼拝(4/13・14)は

野口勝彦牧師による

「涙」

の説教で守られます。

どちらの礼拝も、どなたもご自由にご出席ください。


 イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。ろばの子をほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた。イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる方、王に、/祝福があるように。天には平和、/いと高きところには栄光。」すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』/ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。
ルカによる福音書19章28節~48節

『ともしび』再開124号。20190407

捨てた石
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」
 ルカによる福音書20章17節
日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

  4月に入りました。私がこのみのり教会に着任して早くも一年が経過しました。改めてこの一年を支えてくださった皆様に感謝いたします。
  さて、その4月に入り、新しい年度が様々なところで始まっています。そして、平成も残り1ケ月を切りました。4月1日に発表された新元号は「令和」です。この新元号には、「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味が込められているそうです。ルーテル教会の年度は1月から始まりますが、4月、特に今年の4月は日本人にとって特別な月になったのは間違いないようです。
 そのような中、先月末、次のようなニュースが流れていました。
「佐賀県多久市に、2年ほど前から燃え続けている山がある。かつて炭鉱で栄えたまちの象徴『ボタ山』だ。地下の石炭くずに火がつき、放水しても消しきれない。最近、煙が出る範囲が広がったらしく、苦情を訴える市民もいるが、いまのところ、消す方法が見つかっていない」
「ボタ山」、それは石炭や亜炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)の集積場のことです。捨石、それは、つまり、無価値なもの、役に立たないものを意味します。
 ルカによる福音書20章17節には<イエスは彼らを見つめて言われた。「それではこう書いてあるのは、何の意味か。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。』」>と記されています。
 「捨てた石」それはまさにイエスさまご自身のことです。イエスさまは、私たちのために、「捨てた石」となられるのです。
 しかし、それは「無価値なもの、役に立たないもの」としてではなく、「隅の親石」、つまり、建物を成り立たせるためには欠かすことができないもの。不可欠なもののとして、私たちのために十字架にかかられるのです。私たちは平成最後の四旬節の時、私たちのために「捨てた石」となられるイエスさまを覚えて、喜びの復活祭を迎えることができるようこの与えられた時を過ごしていければと思います。

途上にて
(みのり教会豊橋礼拝所 3月17日四旬節第2主日礼拝説教) 
         筑田 仁牧師
「主よ、目がみえるようになりたいのです」
ルカによる福音書18章31節~43節
 
 心を打たれる言葉です。「主よ、目が見えるようになりたいのです。」この盲人のその魂の深みから出てきた言葉といえるでしょう。この盲人の人生に思いをはせてしまいます。目が見えないことで、どれほど人生の中で辛酸をなめてきたことでしょうか。目が見えないと言うだけで、当時の社会では地域の共同体から締め出され、また宗教的な面でも汚れているとして外されてしまうのです。自分で生活を築いていく術もなく、聖書ではこの盲人は「道端に座って物乞いをしていた」と書かれています。毎日、毎日、ただ生きていくために、道端に座らざるを得ない人生。物乞いをしないと生きていけない人生。この盲人は、どれだけ哀しみと苦しみの人生を送ってきたことでしょう。
 その盲人に、人生に大きな転機がやってくるのです。それは、ナザレのイエスとの出会いです。この盲人は、主イエスと群衆が通り過ぎていくだけで反応し、その一行がナザレのイエスであると分かっただけで叫び出します。「ダビデの子、イエスよ、わたしを憐れんでください。」盲人はあらん限りの叫び声を出します。おそらく盲人は主イエスの癒しの噂を以前から聴いていたのです。この人生の苦しみの中を歩いていた盲人にとって、主イエスとの出会いは人生の最初で最後のチャンスです。聖書では、盲人は叫んだ、と書かれています。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます盲人は叫び続けるのです。盲人はそれまでの辛い人生を背負いながら、そして、この苦汁をなめてきた人生を抱えながら、この私を救って欲しいと主イエスに命懸けで叫び、心から訴えるのです。
 「主よ、目がみえるようになりたいのです」これは、切ない言葉です。盲人の絶望が見え隠れします。盲人の哀しみを感じます。しかし、同時に主イエスに対して自分の命をかけてみる意気込みも感じます。そして、盲人のこれからの人生に対する希望の光も、私たちは垣間見ることができるように思います。盲人の主張は、ただ一点です。「目が見えるようになりたい。」他者からさげすまれ、うとまれ、自分の人生すら無意味なものではないかと思ってきた人生に、この人生に、主イエスは希望の光を照らしてくださる。この一点に、この一点に、盲人は集中し、人生の苦しみも悲しみも、そして新しい希望をも主イエスに賭けたのです。
 私は3月3日に教職授任按手式で按手礼を受け、このルーテルみのり教会に牧師となって帰ってきました。
 その時から少しさかのぼります。それは1月のことでした。私は牧師になるための試験、「教師試験」というものを受けました。その一コマで忘れられないやりとりがありました。少し、その話をさせてください。教師試験では、実際に教会の礼拝の中で話した説教原稿とその説教を録音したレコーダーを教師試験委員に提出します。私はその提出した説教原稿の中にこのような一文を書いたのです。それは「人生は毎日、逆境の連続です」という一文でした。この私の一文に試験官から反論がだされました。「筑田さん、これは何ですか」。「これはだれのことですか」と。私が書いた説教原稿ですし、問われたので、私はその時に思ったことを正直に言いました。「これは、私のことかもしれません」。試験官は言いました。「そうだよね。これはあなたのことだよね。普通の人は、毎日が逆境の連続なんて思っていないよ。もっとのんべんたらりんと人生を生きているんじゃないの」。私は笑われました。教師試験をかろうじて通った私ではありますが、このやり取りは私を日々の黙想へと導きました。何度も、何度も反芻して、このやり取りの意味を考えたのです。確かに、私たちにとって人生の毎日は逆境の連続であるとは言えないかもしれない。連続であるとは、ちょっと言いすぎなのです。言葉に不適切な面がある。そのことは認めざるを得ない。確かに、確かに、試験官の言う通りなのです。
 しかし、と思いました。私の人生観ではやはり、どうしても、人生は逆境の連続ですと表現するしかありません。これは、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているというものではないのです。このことは人生に対する、日々の生活に対する、人それぞれの感じ方の違いではないかと思うようになりました。この中に御存じの方もおられると思いますが、私は治らない持病をもっています。私の半生を振り返るとき、日常生活は、そしてその営みは、どうしても逆境の連続であると言うしかありませんでした。
 そして、私は教会に通う方々の中にも、その方の背景に、背負わざるを得ない十字架を感じてしまいます。私の見方は偏っている、そういわざるを得ないかもしれません。人間の苦しみや悲しみばかりをみてしまう私の見方は、やはり客観的に考えてみても偏っていて、自分でもどうかと思うのです。
 でも、このことは否定的な側面だけではないように思います。今日の盲人を癒す聖書箇所に話を戻しますと、私が一番心打たれたみ言葉は、この盲人の「主よ、目が見えるようになりたいのです」という叫び声でした。この盲人の人生をかけた一言です。切実な叫び声です。ただ一心に目が見えるようになりたい、その盲人の哀しみが私の心の琴線に触れるように感じました。恐らく、この盲人にとっても人生は逆境の連続であったと私は思うのです。この盲人もやはり自分の十字架を背負っているのです。
 主イエスは、福音書に書かれているようにいたるところで病を癒す奇跡を行います。しかし、今日の聖書箇所は、その沢山ある奇跡物語の一つとして私は捉えることができませんでした。まさに、名前はないのですが、この盲人のたった一つの、たった一回限りの、かけがえのない癒しの物語として、み言葉を聴きました。逆境や人生の哀しみばかりを感じてしまう私ですが、だからこそみ言葉が私の心の琴線に触れ、そしてこの心に迫ってきたのです。
 目が見えたいという一心不乱な願い、救いへの希望、私自身もこの盲人と同じように主イエスに訴えている現実があります。私自身も、持病を抱え、どうにもならない自分を抱えて、主イエス・キリストに目が見えるようになりたいと、心の底から叫んでいるのです。
 そして、願っても良いのであれば、私はこれから牧師として、教会に集う方々のそれぞれの苦しみに寄り添うものでありたい、そう願っています。おひとりおひとりの人生の苦しみ、いや、それだけではなく喜びにもより添うものでありたいと願います。牧師になった私が一番望んでいることは、このことです。私は主に呟きます。どうぞ主よ、そのために、この私の目を見開いて下さいと。牧師として、私の目を見開いて下さい、そう祈っています。
 隣り人と人生の苦悩も悲しみも、そして喜びや嬉しいことをも分かち合っていきたいのです。主が私達一人ひとりにして下さる日々の生活の小さな恵みの出来事を共に見出だしつつ、そこからくる人生の喜びと福音の豊かさを分かち合っていきたいのです。
 私は日々の逆境の生活の中で、静かにそう祈り続けています。
 教会の暦は四旬節を迎えています。主イエス・キリストの受難と贖いの十字架を生活の中で静かに覚える季節を迎えています。主イエス・キリストは、群衆の苦難に、その中に集う一人ひとりの逆境に、はらわたがちぎれるくらいに深く憐れまれ、寄り添うお方です。
 今日の盲人を癒す物語の中でも、この叫びに誰よりも応答したのは主イエス・キリストご自身でした。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」と主イエスは言われます。これをもう少しかみ砕いて言うならば、「お前の持っている信仰がおまえ自身を救ったんだよ」とも言えるでしょう。主は決して私があなたを癒したとは言いません。お前自身の信仰がこの癒しのみ業を導いたのであると告げるのです。
 そして今、ここに集う方々の心の呟きに主イエスは耳を傾けて下さいます。神は、私たちのような、本来罪深く、どうにもならない者を、その愛によって包むために、その独り子を十字架にかけられました。主イエス・キリストはたった一人で、孤独に、誰からも理解されずに十字架にかけられていきます。まさに主イエス・キリストは苦難と逆境の中で人生を送り、そして十字架上で死んでいくのです。
 今週一週間、弟子達からも理解されずに、たった一人で苦難の十字架を背負われた主イエス・キリストのこのご受難を覚えつつ、この一週間、一日一日を大切に送りたい、そう願い黙想の日々を送っていきたいと思います。

祈り  主イエス・キリストの父なる神様 四旬節を迎えています。あなたの苦難の人生を、そして十字架を覚えて歩むときを迎えています。あなたの十字架は、私達のように、罪を犯して歩まざるをえない者たちの、その罪の贖いのために、なされたものです。包まれざる私たちを、その愛で包んでくださる十字架の愛に感謝いたします。
 みのり教会に集うお一人お一人の信仰の歩みを、神様、どうぞお支えお守りください。今日ここに集うお一人お一人の様々な心の葛藤や、そして喜びに、あなたが寄り添ってくださいますようにお願いいたします。
 この祈りを、主イエス・キリストのみ名によって御前にお捧げ致します。アーメン

イースターを迎えて                                           
長谷川泰子

 桜が咲き、春の季節がやってきました。けれど、日本のあちこちで雪が降っているのをニュースで見て、びっくりします。でも、確実に春は目の前です。
 プライベートのことですが、孫の奏音(そら)が4月5日に入学式を迎えました。ピカピカの小学一年生です。奏音は6年前の3月31日に生まれました。その日はイースターで、イエス様のよみがえられたお祝いの日でした。誕生の知らせが入りとてもうれしかったことが思い出されます。そんな彼女も6才に成長しました。時々多米にやってきますので、その時々の奏音との会話が思い出されます。
 今より少し前の話ですが、ピアノの上に路津子の写真が置かれています。奏音は写真を見ながら、「るっちゃんはお空に行っちゃったの?」と、空に向かって指差すのです。わたしは「そうね、るっちゃんは、お空に行って奏音のことをいつも見ていてくれているんだよネ」と言いました。
路津子が召されて3年半になろうとしていますが、私はかた時も忘れられないのです。親よりも先に召されたことに対して悲しみの中に、理不尽を感じてどうしても神様にたずねてしまいます。
 最近になって、ある聖書の箇所が浮かんできました。ヨハネ11章25節から27節、ラザロの死を知らされたイエス様がマルタに話すシーンです。
 イエスは言われた。「私は復活(よみがえり)であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も決して死ぬことはない。このことを信じるか」と言われました。マルタは言った。「はい主よ、あなたが世に来られるはずの神の子メシアであると私は信じております」
 今はこの地にいない者も、今生かされている者もすべてイエス様がご自分の命の中に引き取ってくださっているのです。マルタのように告白できる者になりたいです。
 イースターを喜んでお迎えできますようにと祈ります。

4月の行事予定
□7日(日) 日曜礼拝、役員会
□10日(水) 聖書に聴き祈る会            
□11日(木) 田原牧師滞在日
□13日(土) 田原夕礼拝            
□14日(日) 日曜礼拝、女性会、男性会
□17日(水) 聖書に聴き祈る会          
□18日(木) 田原牧師滞在日
□19日(金) 朝祷会:豊橋
                受苦日礼拝/午前10時30分~:豊橋
                                午後2時30分~:田原
□21日(日) 復活祭合同聖餐礼拝、祝会、墓前記念会
□23日(火) 三遠地区牧師会:豊橋   
□24日(水) 聖書に聴き祈る会       
□25日(木) 田原牧師滞在日
□27日(土) 田原夕礼拝
□28日(日) 日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い       
□29日(月) わいわいワーク(福祉村)

編集後記 
 今年の4月21日は、平成最後のイースターと言うことになります。といっても、普段と何も変わることがないのですが、
 イースターは、復活の日ですから、皆が希望を持ってまた新しく再出発する日です。子どもたちは、新しい学年を迎え、大人は、新しく仕事につく人もあるでしょう。それぞれの所で、一人ひとりが生き生きとがんばれることを神様は望んでおられることです。




四旬節第5主日聖餐合同礼拝。20190407


昨日、桜が満開の中、豊橋礼拝所では四旬節第5主日聖餐合同礼拝が守られました。
礼拝後、ご覧の通り、礼拝に出席できない信徒のお宅を訪問し、聖餐式を信徒の方とに行いました。