復活節第2主日礼拝
(4/7)は
三浦慎里子牧師の
「見て信じたから」
キリスト教ルター派教会:1517年にマルチン・ルターの宗教改革によりドイツで誕生したルーテル教会は、ドイツだけでなく北欧にも広がり、国民教会となりました。その後、アメリカにも渡り、更にアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどに至って今日全世界に存在するようになっています。2017年10月31日に宗教改革から500年を迎えました。
復活節第2主日礼拝
(4/7)は
三浦慎里子牧師の
「見て信じたから」
主の復活礼拝
(3/31)は
午前10時より(時間変更)
野口勝彦牧師の
「復活」
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。"そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、"イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
ヨハネによる福音書20章1~18節
聖金曜日(受苦日)礼拝
(3/29)は
10時30分より豊橋礼拝所にて行います。
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主のエルサレム入城礼拝
(3/23・24)は
野口勝彦牧師の
「イエスの姿」
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一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、"言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。
マルコによる福音書11章1節~11節
四旬第5主日礼拝
(3/16・17)は
野口勝彦牧師の
「自分の命を憎む」
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。"彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。 わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。"父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。 わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。
ヨハネによる福音書12章20節~33節
四旬第4主日礼拝
(3/9・10)は
野口勝彦牧師の
「この世に対する徹底的な愛」
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」
ヨハネによる福音書3章14節~21節
今日3月3日は「桃の節句」、ひな祭りの日ですが、午後7時から宣教百年記念会堂(東京教会)で4年ぶりの「教職按手式」が行われ、4人の新たな牧師が誕生します。私も今から19年前の2005年に今年と同じ宣教百年記念会堂で「教職按手式」を受け、牧師として教会に派遣されました。私は今日、19年ぶりに、東海地域教師会長としてその按手式に出席します。按手式は青式文では次のように行われます。
1.紹介、2.特別の祈り、3.みことば 4.勧めと進み、次の5.誓約に入ります。
司)神の羊の群れの管理を委ねられた者は、主が再び来られる大いなる日に、主の
前に言い開きをしなければなりません。主の来臨とそのみ国とを想いつつ私は、
全能の神と会衆の前で、あなたがたの決意を尋ねます。あなたがたは教会の職
務にき、その務めを忠実に果たしますか。
答)「はい、神の助けによっていたします。」
司)あなたがたは、教会の信仰告白に従って、神のみことばを宣べ伝え、キリスト
の定めに従って、聖礼典を執行しますか。
答)「はい、神の助けによっていたします。」
司)あなたがたは、きよい生活と言葉によって、神の栄光を顕しますか。
答)「はい、神の助けによっていたします。」「再び来られて、生きている者と死んだ
者とを裁かれる主イエス・キリストと全能の神の前において、私は、主の恵み
と助けによってこれらの聖なる職務を果たすことを約束いたします。アーメン
そして、次の6.按手、7.授任に入ります。
*按手を受ける者はひざまずき、司式者及び按手を授ける者は、按手を受ける者の
頭に手を置いて言う。
司)今、教会の権威によって、神の教会の職務と業を、あなたに委ねます。主の聖
霊を受けなさい。父と子と聖霊のみ名によって。アーメン
答)「アーメン」
*按手を受けた者は立ち、司式者は按手を受けた者の右手を取って言う。
司)神のみことばを宣べ伝え、聖礼典を執行する務めを受けなさい。
*按手を受けた者に職務のしるし(ストール)を渡す。
その後、8.特別の祈り、9.主の祈りと続き、10.按手者への祝福、11.祝福で終わります。
今日、行われる「教職按手式」でも同様の形で行われ、4人の新たな牧師が誕生
し、宣教の場に派遣されます。先月の2月18日の岡崎教会の礼拝後、空を見上げると、その日の説教題と同じ「虹」*がきれいに架かっていました。それは新たに誕生する4人の牧師が神さまに祝福されている「しるし」であると私は信じています。
*岡崎教会ブログでご覧いただけます。 みのり・岡崎 野口勝彦
その、教職按手式に出席するため岡崎教会礼拝後、新幹線で東京に向かいました。