2019年1月27日日曜日

顕現節第5主日聖餐礼拝のご案内。20190203

顕現節第5主日聖餐礼拝(2/3)は

野口勝彦牧師による

「最高の道」

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。


 イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。 今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
ルカによる福音書6章17節~26節

2019年1月20日日曜日

《三遠地区使信 №1034》20190120「朝祷会」

朝祷会

 先日の1月12日、岡崎市竜美丘会館で、第48回朝祷会全国連合年頭集会が開催されました。

 ご存知の方もおみえだと思いますが、朝祷会は、竣工したばかりの大阪クリスチャンセンターをどのように活用すればよいかと考えていた1957年1月14日、センターを創設した教団も教派も異なるプロテスタントの信徒14人が「聖霊よ降りて」を讃美し、祈り始めまたことから始まりました。
それから、毎週月曜日の朝7時にセンターに集まって祈り、食事を共にすることになり、この朝の祈りの会は「朝食祈祷会」と名付けられ、やがて信徒や教職、当時センターが運営していたホテルに宿泊する人々が参加するようになり、100人を超すほどの規模となりました。これを知って心を動された人々は、自分たちの住む町で友人を誘って祈るようになり、「朝食祈祷会」は全国へと広がっていきました。それはまさに「燎原の火」のようであったと伝えられています。
その後、名称を「朝祷会」と改め、この教団、教派、教会を超えて祈る交わりが不思議な感動と喜びを与え、新しい会場が全国各地に次々と生まれ、「朝祷会」がはじまって5年後には全国に15の朝祷会が結成されました。そして、その全国の祷友が一つに集まりたいという願いから、1962年に全国大会を開催し、「朝祷会全国連合」が結成されました。最初の「朝祷会」結成15年後には、その数は全国で70となり、1971年1月からは静岡県の舘山寺で祈る「年頭集会」を開設しました。
私は、この48回目の年頭集会の開会礼拝奉仕をさせていただいたわけですが、そこには神さまの不思議な導きがありました。
「朝祷会」の中心聖句は、ヨハネによる福音書17章21節、「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」ですが、私がはじめて出会った聖句もこのみ言葉です。
 このみ言葉に私が出会ったのは、このみ言葉によって創設されたYMCAに入職した時ですが、そのYMCAで14年奉職し、献身し、今、14年目の牧師の務めを終えようとしているこの時に、朝祷会全国連合年頭集会での奉仕の機会を神さまは与えてくださったのです。神さまはいつもこのように私を様々な形で導いて下さっています。そして、皆さんをも導いて下さっています。
みのり教会 野口 勝彦

顕現節第4主日礼拝のご案内。20190126・27

顕現節第4主日礼拝(1/26・27)は

野口勝彦牧師による

「共に苦しみ、共に喜ぶ」

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。





 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
ルカによる福音書5章1節~11節

2019年1月14日月曜日

顕現節第3主日礼拝のご案内。2019019・20

顕現節第3主日礼拝(1/19・20)は

野口勝彦牧師による

「主の恵みの年

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。
尚、田原礼拝所(1/19)は聖餐礼拝となります。


 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。 皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」 イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。
ルカによる福音書4章16節~32節

2019年1月6日日曜日

『ともしび』再開121号。20190106

恐れるな 
日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」
ルカによる福音書12章31節

  新年あけましておめでとうございます。昨年は、全国的に地震、豪雨、台風、猛暑などの自然「災」害の脅威を痛感した一年でした。そのことから「今年の漢字」も「災」が選ばれていました。
  新しい年を迎えた最初の説教題はその漢字を受けるように「思い悩むな」です。それは、まるで、昨年、様々な自然災害を受けた方々の苦悩の生活を想起させる説教題です。被災者の方々はまさか、自分が今のような苦悩の生活をすることになるなどと予見することはできなかったでしょう。
  予見、それは、「事がまだ現れない先に、推察によってその事を知ること」と広辞苑では説明されています。以前、『こころの友』に、予見ではありませんが「事がまだ現れない先に」「推察によって」ではなく、「神さまから与えられた使信、つまり、メッセージ」によって「その事を知り」、人々に知らしめる働きをする預言者の一人エリヤのことが書かれた記事が掲載されてました。その記事の中で坂戸いずみ教会の山岡創牧師は「私たちにも、人生の表舞台から身をかくさなければならないような時があります。もちろん、追われているから、という理由ではありません。しかし、エリヤに追われる苦難があったように、私たちにも少なからず苦難があります。人生はいつも思ったように運ぶわけではありません。失敗し挫折し、苦しみを味わいます。その時、その失敗、挫折を取り戻そうといたずらに動き回ると、かえって苦しみを重ね、絶望とあきらめの淵に、はまり込んでいく場合があります。動き回るよりも、身を隠すかのように一歩退き、自分の来し方を内側から省み、静かに耐えることが必要な時が、人生にはあります。『そこ』から抜け出そうとあがくよりも、『そこ』で自分の人生を引き受けて生きるのです」とその記事の中で語られています。そして、「自分の人生の『そこ』、゛置かれたところ゛を引き受けて誠実に生きていると、不思議と支えてくれる人が見えてきます。その温かな支えを通して、人生は゛支えられてあるもの゛と気づかされます。『神の養い』とは、この人生の内なる真理を教え諭す言葉です」とその記事を結んでいます。
  私たちも、今年、様々な試練が与えられるかもしれませんが、その私たちに対して、今日のみ言葉の中でイエスさまは私たちに次のように言ってくださいます。
「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」
私たちはこのみ言葉を信じ、「置かれたところ」を引き受けて誠実に生きていけるよう祈ることができればと思います。
(2019年新年説教抜粋)

小さきものの小さな「こぬの」1本織       
朝倉照雅
1本織を始めた頃、この詩(うた)に出会った。
 歓喜と希望 愛吟 内村鑑三である。(角川文庫)
  或る詩  “a poem”
  我のこの世につかわれしは
 我が意を世に張るためならで
 神の恵みを受けんため
 そのみむねおばとげんためなり
  (中略)
 小なるつとめ小ならず
 世を蓋うとて大ならず
 小はわが意をなすにあり
 大はみむねによるにあり
 わが手を手をとれよわが神よ
 わが行く道を導けよ
 わが目的は御意(みむね)をば
 なすか忍ぶにあるなれば

  小さな「こぬの」をつくるには努力がいる。この力をこの詞は与えてくれる。
25cm角のハンカチが「こぬの」のねらい目である。つねに身をつけてご愛用の程を!!
「こぬの」でわかったことの一つに糸の良し悪しである。がら紡綿・絹とも生産が止まって久しいが、その良さがよくわかるのも、「こぬの」であると思う。大量生産・大量消費の時代は過ぎて物の質を選ぶ時代になった。
がら紡のよさを再発見してもらうためにも、小さな「こぬの」の役目があると思う。
小さな「こぬの」1本織のはじまりである。

ガンジーとシュヴァイツァーと賀川豊彦   
長谷川勝義

ガンジー、シュヴァイツァー、賀川豊彦は、20世紀に生きた三大聖人と言われた。三人とも宗教に生き、生涯をかけて、その様々な働きを通して、人々に大きな影響を与えた人物である。ガンジーはヒンドゥー教を信奉し、シュヴァイツァー、賀川豊彦は、キリスト教徒として生きた人である。三人に共通しているのは、聖人と言われたことが示すように、すべての人たちを分け隔てなく、愛し、人々のために生涯をささげた。知的だけの指導者ではなく、実践を通して人々を高みへと導こうとした人である。しかし、三人に際立っているのは、深い神への信頼であり、信仰心であったと思う。
三人が神をどう捉え、その世界観がどのようなものであったかを追求することは、現代の私たちにとって非常に重要なものと思われるので、三人の生き方、思想を振り返ってみたい。
①ガンジーの生涯とその生き方
 ガンジーは、1869年インド西部で生まれた。カーストでは、第3番目の庶民階級のヴァイシャである。父親は、地方の宰相を務め、母親は、敬虔なヒンドゥー教徒であった。子ども時代の彼は、普通の子で、勉強も適当で特にすぐれたところはなかった。友達とかなりはめを外した行動も行ったことがあるということである。
 13歳で、兄と共に結婚したが、これは、幼児婚といって、当時、本人の意思には関係なく家同士の取り決めた結婚であった。18歳の時、弁護士を目指すために、イギリスに留学した。熱心なヒンドゥー教徒であった母親の影響で、ベジタリアンであった彼は、肉も卵も牛乳もとらない食事を守り通すことは大変困難であったが、彼は、それを成し遂げた。弁護士の資格をとった彼は、帰国して弁護士の活動を始めたが、うまくいかず、アフリカへ行き、インド人商人のために弁護士の活動を始めた。当時、アフリカでは、インド人などのアジア人に対する白人からの人種差別が激しく、ガンジー自身も鉄道などの乗車の際に不当な差別を何度も受けることがあった。これらのことをきっかけに、人種差別に反対する抗議活動を率先して行うようになった。
 これらの活動を通して次第に自信を深め、インドに帰国して、弁護士としての仕事をする傍ら、当時インドを支配していたイギリスの統治について、不当な扱いについて、国民と共に声をあげるようになった。彼の抗議活動は、徹底して非暴力で、無抵抗主義の不服従運動であった。しかし、時には、参加する人々が暴力沙汰になってしまうこともあり、抗議活動を中止せざるを得ないという挫折を何度も経験した。何度も断食という手段をも用いての抗議活動をして政府やイギリスに対しての抗議をしたのは有名である。
 彼の運動は、イギリスの植民地支配からの独立運動へと高まり、彼は、その運動の精神的リーダーとなった。ネールなどと国民会議派の中心となり、ついに、第二次世界大戦終了後のインド独立という約束をとりつけた。しかし、彼が望んでいた独立は、イスラムとの分離独立ではなく、イスラムとヒンドゥーとが一緒になった独立国であった。しかし、分離派の主張が大勢となり、インド、パキスタンという分離独立となったのは、ガンジーにとっては、傷心の結果であった。
 1948年1月30日、イスラムとの融和を掲げるガンジーの態度に怒った狂信的なヒンドゥ教の若者の銃弾によって、インドの英雄で聖者と崇められたガンジーは、79歳の生涯を終えた。(続く)

2019年1月の予定
□1月6日 (日) 日曜聖餐礼拝、1月定例役員会、総会案内配布
□  9日 (水)  聖書に聴き、祈る会
□  10日 (木) 田原牧師滞在日
□  12日 (土) 朝祷会全国大会:岡崎/田原夕礼拝
□  13日 (日) 日曜礼拝、女性会・男性会、総会資料原稿締切
□  16日 (水)  聖書に聴き、祈る会
□  17日 (木) 田原牧師滞在日
□  19日(土) 田原夕聖餐礼拝
□  20日 (日) 日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
□  23日 (水)  聖書に聴き、祈る会
□  26日 (土)  田原夕礼拝
□  27日 (日) 日曜礼拝
□  30日 (水)  聖書に聴き、祈る会
□  31日 (木)  田原牧師滞在日

編集後記 明けましておめでとうございます。2019年がスタートしました。今年はどんな年になるのでしょうか。平成の時代が終るということです。そして、来年には、東京でオリンピックが開催されます。変化の年となるのは間違いありません。永遠に変わらない神様の御導きを信じて今年も着実な歩みを続けていきたいと思います 原稿をお寄せください。

主の洗礼日礼拝のご案内。20190112・13

主の洗礼日礼拝(1/12・13)は

野口勝彦牧師による

「使命」

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。

民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
マタイによる福音書3章15節~22節