日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦
「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」
ルカによる福音書12章31節
新年あけましておめでとうございます。昨年は、全国的に地震、豪雨、台風、猛暑などの自然「災」害の脅威を痛感した一年でした。そのことから「今年の漢字」も「災」が選ばれていました。
新しい年を迎えた最初の説教題はその漢字を受けるように「思い悩むな」です。それは、まるで、昨年、様々な自然災害を受けた方々の苦悩の生活を想起させる説教題です。被災者の方々はまさか、自分が今のような苦悩の生活をすることになるなどと予見することはできなかったでしょう。
予見、それは、「事がまだ現れない先に、推察によってその事を知ること」と広辞苑では説明されています。以前、『こころの友』に、予見ではありませんが「事がまだ現れない先に」「推察によって」ではなく、「神さまから与えられた使信、つまり、メッセージ」によって「その事を知り」、人々に知らしめる働きをする預言者の一人エリヤのことが書かれた記事が掲載されてました。その記事の中で坂戸いずみ教会の山岡創牧師は「私たちにも、人生の表舞台から身をかくさなければならないような時があります。もちろん、追われているから、という理由ではありません。しかし、エリヤに追われる苦難があったように、私たちにも少なからず苦難があります。人生はいつも思ったように運ぶわけではありません。失敗し挫折し、苦しみを味わいます。その時、その失敗、挫折を取り戻そうといたずらに動き回ると、かえって苦しみを重ね、絶望とあきらめの淵に、はまり込んでいく場合があります。動き回るよりも、身を隠すかのように一歩退き、自分の来し方を内側から省み、静かに耐えることが必要な時が、人生にはあります。『そこ』から抜け出そうとあがくよりも、『そこ』で自分の人生を引き受けて生きるのです」とその記事の中で語られています。そして、「自分の人生の『そこ』、゛置かれたところ゛を引き受けて誠実に生きていると、不思議と支えてくれる人が見えてきます。その温かな支えを通して、人生は゛支えられてあるもの゛と気づかされます。『神の養い』とは、この人生の内なる真理を教え諭す言葉です」とその記事を結んでいます。
私たちも、今年、様々な試練が与えられるかもしれませんが、その私たちに対して、今日のみ言葉の中でイエスさまは私たちに次のように言ってくださいます。
「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」
私たちはこのみ言葉を信じ、「置かれたところ」を引き受けて誠実に生きていけるよう祈ることができればと思います。
(2019年新年説教抜粋)
小さきものの小さな「こぬの」1本織
朝倉照雅
1本織を始めた頃、この詩(うた)に出会った。歓喜と希望 愛吟 内村鑑三である。(角川文庫)
或る詩 “a poem”
我のこの世につかわれしは
我が意を世に張るためならで
神の恵みを受けんため
そのみむねおばとげんためなり
(中略)
小なるつとめ小ならず
世を蓋うとて大ならず
小はわが意をなすにあり
大はみむねによるにあり
わが手を手をとれよわが神よ
わが行く道を導けよ
わが目的は御意(みむね)をば
なすか忍ぶにあるなれば
小さな「こぬの」をつくるには努力がいる。この力をこの詞は与えてくれる。
25cm角のハンカチが「こぬの」のねらい目である。つねに身をつけてご愛用の程を!!
「こぬの」でわかったことの一つに糸の良し悪しである。がら紡綿・絹とも生産が止まって久しいが、その良さがよくわかるのも、「こぬの」であると思う。大量生産・大量消費の時代は過ぎて物の質を選ぶ時代になった。
がら紡のよさを再発見してもらうためにも、小さな「こぬの」の役目があると思う。
小さな「こぬの」1本織のはじまりである。
ガンジーとシュヴァイツァーと賀川豊彦
長谷川勝義
ガンジー、シュヴァイツァー、賀川豊彦は、20世紀に生きた三大聖人と言われた。三人とも宗教に生き、生涯をかけて、その様々な働きを通して、人々に大きな影響を与えた人物である。ガンジーはヒンドゥー教を信奉し、シュヴァイツァー、賀川豊彦は、キリスト教徒として生きた人である。三人に共通しているのは、聖人と言われたことが示すように、すべての人たちを分け隔てなく、愛し、人々のために生涯をささげた。知的だけの指導者ではなく、実践を通して人々を高みへと導こうとした人である。しかし、三人に際立っているのは、深い神への信頼であり、信仰心であったと思う。
三人が神をどう捉え、その世界観がどのようなものであったかを追求することは、現代の私たちにとって非常に重要なものと思われるので、三人の生き方、思想を振り返ってみたい。
①ガンジーの生涯とその生き方
ガンジーは、1869年インド西部で生まれた。カーストでは、第3番目の庶民階級のヴァイシャである。父親は、地方の宰相を務め、母親は、敬虔なヒンドゥー教徒であった。子ども時代の彼は、普通の子で、勉強も適当で特にすぐれたところはなかった。友達とかなりはめを外した行動も行ったことがあるということである。
13歳で、兄と共に結婚したが、これは、幼児婚といって、当時、本人の意思には関係なく家同士の取り決めた結婚であった。18歳の時、弁護士を目指すために、イギリスに留学した。熱心なヒンドゥー教徒であった母親の影響で、ベジタリアンであった彼は、肉も卵も牛乳もとらない食事を守り通すことは大変困難であったが、彼は、それを成し遂げた。弁護士の資格をとった彼は、帰国して弁護士の活動を始めたが、うまくいかず、アフリカへ行き、インド人商人のために弁護士の活動を始めた。当時、アフリカでは、インド人などのアジア人に対する白人からの人種差別が激しく、ガンジー自身も鉄道などの乗車の際に不当な差別を何度も受けることがあった。これらのことをきっかけに、人種差別に反対する抗議活動を率先して行うようになった。
これらの活動を通して次第に自信を深め、インドに帰国して、弁護士としての仕事をする傍ら、当時インドを支配していたイギリスの統治について、不当な扱いについて、国民と共に声をあげるようになった。彼の抗議活動は、徹底して非暴力で、無抵抗主義の不服従運動であった。しかし、時には、参加する人々が暴力沙汰になってしまうこともあり、抗議活動を中止せざるを得ないという挫折を何度も経験した。何度も断食という手段をも用いての抗議活動をして政府やイギリスに対しての抗議をしたのは有名である。
彼の運動は、イギリスの植民地支配からの独立運動へと高まり、彼は、その運動の精神的リーダーとなった。ネールなどと国民会議派の中心となり、ついに、第二次世界大戦終了後のインド独立という約束をとりつけた。しかし、彼が望んでいた独立は、イスラムとの分離独立ではなく、イスラムとヒンドゥーとが一緒になった独立国であった。しかし、分離派の主張が大勢となり、インド、パキスタンという分離独立となったのは、ガンジーにとっては、傷心の結果であった。
1948年1月30日、イスラムとの融和を掲げるガンジーの態度に怒った狂信的なヒンドゥ教の若者の銃弾によって、インドの英雄で聖者と崇められたガンジーは、79歳の生涯を終えた。(続く)
2019年1月の予定
□1月6日 (日) 日曜聖餐礼拝、1月定例役員会、総会案内配布
□ 9日 (水) 聖書に聴き、祈る会
□ 10日 (木) 田原牧師滞在日
□ 12日 (土) 朝祷会全国大会:岡崎/田原夕礼拝
□ 13日 (日) 日曜礼拝、女性会・男性会、総会資料原稿締切
□ 16日 (水) 聖書に聴き、祈る会
□ 17日 (木) 田原牧師滞在日
□ 19日(土) 田原夕聖餐礼拝
□ 20日 (日) 日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
□ 23日 (水) 聖書に聴き、祈る会
□ 26日 (土) 田原夕礼拝
□ 27日 (日) 日曜礼拝
□ 30日 (水) 聖書に聴き、祈る会
□ 31日 (木) 田原牧師滞在日
編集後記 明けましておめでとうございます。2019年がスタートしました。今年はどんな年になるのでしょうか。平成の時代が終るということです。そして、来年には、東京でオリンピックが開催されます。変化の年となるのは間違いありません。永遠に変わらない神様の御導きを信じて今年も着実な歩みを続けていきたいと思います 原稿をお寄せください。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。