2022年2月28日月曜日

四旬節第1主日礼拝のご案内。20220306

                                              四旬節第1主日礼拝(3/6)は


野口勝彦牧師の

「試練」

の説教で守られます。


愛知県には、3月6日まで「まん延防止等重点措置」が取られています。礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでくださ


さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、
四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」 そこで、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、/あなたをしっかり守らせる。』また、/『あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。
ルカによる福音書4章1節~13節



田原礼拝所の梅も満開です。

《三遠地区使信 №1196》20220227 「神さまのチョコレート」

 「神さまのチョコレート」        

今月の14日は、世界各地で男女の愛の誓いの日とされるバレンタインデーでした。

バレンタインデーはもともと、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日であるとされていますが、これは主に西方教会の広がる地域における伝承であり、聖ウァレンティヌスを崇敬する東方正教会の広がる地域では、西欧文化の影響を受けるまでこのような習慣はなかったようです。また、西方教会、つまり、カトリック教会においても、第2バチカン公会議後の典礼改革で、史実の上で実在が明らかでない聖人たちが典礼暦から整理された際に、214日のウァレンティヌスの記念日は取り除かれ、現在、カトリック教会では公式には祝日として祝われてはいません。

現在の日本では、このような伝承とは関係なく、チョコレートを贈る日と認識されています。そのことを象徴するように先日、NHKのテレビ番組『グレーテルのかまど』で「マザー・テレサのチョコレート」が放映されていました。

その番組のホームページには、「1979年ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ。ヨーロッパに生まれながらインドに渡り、その生涯を貧困にあえぐ人々の救済にささげた。慎み深く厳格な修道生活を送っていたマザーが、手にしたお菓子がチョコレート。特別な日に、貧しい人々にチョコレートを配る姿だった。路上に暮らし、希望を失った人々に、チョコレートとともに愛を伝えたマザー・テレサ」と紹介されています。その番組の中では、1952年にマザー・テレサにより、インドのカルカッタに設立された、貧困や病気で死にそうになっている人の最期を看取るための施設「死を待つ人々の家」で、チョコレートを食べたことがない貧しい人々に、彼女が一人一人にチョコレートを手渡すシーンが放映されていました。

その姿は、まさに、13日の主日の次のみ言葉のイエスさまの姿と重なります。

「イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである」(ルカ6:1719)

彼女は、まさに現代のイエスさまだったと言えるかもしれません。その彼女は、生前、「世界中が今、神に飢えています」と言われていました。

私たちも彼女のように今、神に飢えている人々、ひとり一人に神さまの愛に満ちたチョコレートであるみ言葉を手渡すことができるよう、祈りたいと思います。

みのり・岡崎教会 野口勝彦



《三遠地区使信 №1193》20220206「わたしの心に適うもの」

    「わたしの心に適うもの」     

今日で多くの教会では定期総会を終えられることだと思います。昨年の総会は、愛知県内では、感染拡大による「緊急事態宣言」下で総会が行われました。今年1月27日の新規感染者数は3,732.6人(愛知県過去7日間平均)。昨年の約18倍の数値になっています。それでも「まん延防止措置」なのは重症率等が低いからですが、昨年以上に感染率が高いことは確かです。昨年以上の感染防止が必要でしょう。

さて、先月、何通かの祈りの葉書が届きました。その葉書には「梅北祈りの葉書継承」と記されています。「梅北祈りの葉書」、それは、昨年10月24日の使信「祈りあえる喜び、一枚のハガキ」で紹介した鹿児島教会の梅北姉の葉書のことです。20年に亘り聖書日課に掲載された教会に、毎日、祈りの葉書を出されていた梅北姉の遺志を受け継いで出されている葉書です。その聖書日課には、先月6日~8日まで、みのり教会と岡崎教会が祈りの教会として取り上げられていました。その後、毎日「梅北祈りの葉書」と共に、私の初任地である二日市教会の90歳の信徒の方から祈りの葉書が届きました。その三日目の葉書には「三日間、先生の牧会する教会でした。今朝も先生をはじめ信徒の方一人一人の上に神様の祝福をお祈りしました」と記されていました。

また、先月の使信の最後に「この原稿を書いている今朝、岡崎教会の信徒の方が天に召されました。その電話を受けた後、そっと、テーブルの上のカップに入ったハイビスカスのつぼみを見ると、また一輪の花を咲かせていました」とお伝えしましたが、この天に召された方は、生前、教会の婦人会長をはじめ、教会で様々な奉仕をされ、まさに信仰が生活の中心の方でした。葬儀後の主日礼拝での説教の最後に、私は次のように皆さんにその方のことをお伝しました。「訃報の電話の後、今日の使信の通りハイビスカスが開花していたのには本当に驚きました。その開花したハイビスカスのつぼみは、枝から落ちてしまったので、そのまま水の入ったカップに入れておいたものであったからです。まさにそのカップの水は今日のみ言葉の通り、神さまの、イエスさまの愛に変えられ、天に召された彼女を祝福しているようでした。そして、先週水曜日の火葬の際には、その窯の扉が閉じられた瞬間、天窓から光が突然差し込んできました。最初は演出かと思いましたが、その瞬間に晴れ間の光が差し込んできたのです。その光景はまさに先週のみ言葉『イエスも洗礼を受けて、祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目にみえる姿でイエスの上に降って来た。すると《あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者》という声が、天から聞こえた」そのものでした。彼女は、まさに『わたしの心に適う者』であったのです」

私たちも定期総会を終え、このような方々のように『わたしの心に適う者』になれるよう祈ることができればと思います。    

 みのり・岡崎教会 野口勝彦




2022年2月22日火曜日

主の変容主日礼拝のご案内。2022022627

                                               変容主日礼拝(2/26・27)は


野口勝彦牧師の

「祈る」

の説教で守られます。


愛知県には、3月6日まで「まん延防止等重点措置」が取られています。礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでくださ



 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。
ルカによる福音書9章28節~36節



2022年2月14日月曜日

顕現後第7主日礼拝のご案内。2022021920

                                           顕現後第7主日礼拝(2/19・20)は


野口勝彦牧師の

「はかり」

の説教で守られます。


愛知県には、3月6日まで「まん延防止等重点措置」が取られています。礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでくださ



「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。 返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。 あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
ルカによる福音書6章27節~38節



2022年2月8日火曜日

顕現後第6主日礼拝のご案内。2022021213

                                       顕現後第6主日礼拝(2/12・13)は


野口勝彦牧師の

「大きな報い」

の説教で守られます。


愛知県には、213日まで「まん延防止等重点措置」が取られています。礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでくださ


イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである。さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。 今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。
ルカによる福音書6章17節 ~26節 





2022年2月1日火曜日

顕現後第5主日礼拝のご案内。20220206

        顕現後第5主日礼拝(2/6)は


野口勝彦牧師の

「ひれ伏して」


の説教で守られます。

礼拝開始時間は午前9時30分に変更となります。

愛知県には、213日まで「まん延防止等重点措置」が取られています。礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでくださ

 


イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。

ルカによる福音書5章1節~11節