四旬節第1主日礼拝(3/6)は
「試練」
キリスト教ルター派教会:1517年にマルチン・ルターの宗教改革によりドイツで誕生したルーテル教会は、ドイツだけでなく北欧にも広がり、国民教会となりました。その後、アメリカにも渡り、更にアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどに至って今日全世界に存在するようになっています。2017年10月31日に宗教改革から500年を迎えました。
四旬節第1主日礼拝(3/6)は
今月の14日は、世界各地で男女の愛の誓いの日とされるバレンタインデーでした。
バレンタインデーはもともと、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日であるとされていますが、これは主に西方教会の広がる地域における伝承であり、聖ウァレンティヌスを崇敬する東方正教会の広がる地域では、西欧文化の影響を受けるまでこのような習慣はなかったようです。また、西方教会、つまり、カトリック教会においても、第2バチカン公会議後の典礼改革で、史実の上で実在が明らかでない聖人たちが典礼暦から整理された際に、2月14日のウァレンティヌスの記念日は取り除かれ、現在、カトリック教会では公式には祝日として祝われてはいません。
現在の日本では、このような伝承とは関係なく、チョコレートを贈る日と認識されています。そのことを象徴するように先日、NHKのテレビ番組『グレーテルのかまど』で「マザー・テレサのチョコレート」が放映されていました。
その番組のホームページには、「1979年ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ。ヨーロッパに生まれながらインドに渡り、その生涯を貧困にあえぐ人々の救済にささげた。慎み深く厳格な修道生活を送っていたマザーが、手にしたお菓子がチョコレート。特別な日に、貧しい人々にチョコレートを配る姿だった。路上に暮らし、希望を失った人々に、チョコレートとともに愛を伝えたマザー・テレサ」と紹介されています。その番組の中では、1952年にマザー・テレサにより、インドのカルカッタに設立された、貧困や病気で死にそうになっている人の最期を看取るための施設「死を待つ人々の家」で、チョコレートを食べたことがない貧しい人々に、彼女が一人一人にチョコレートを手渡すシーンが放映されていました。
その姿は、まさに、13日の主日の次のみ言葉のイエスさまの姿と重なります。
「イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしていたからである」(ルカ6:17~19)
彼女は、まさに現代のイエスさまだったと言えるかもしれません。その彼女は、生前、「世界中が今、神に飢えています」と言われていました。
私たちも彼女のように今、神に飢えている人々、ひとり一人に神さまの愛に満ちたチョコレートであるみ言葉を手渡すことができるよう、祈りたいと思います。
みのり・岡崎教会 野口勝彦
「わたしの心に適うもの」
今日で多くの教会では定期総会を終えられることだと思います。昨年の総会は、愛知県内では、感染拡大による「緊急事態宣言」下で総会が行われました。今年1月27日の新規感染者数は3,732.6人(愛知県過去7日間平均)。昨年の約18倍の数値になっています。それでも「まん延防止措置」なのは重症率等が低いからですが、昨年以上に感染率が高いことは確かです。昨年以上の感染防止が必要でしょう。
さて、先月、何通かの祈りの葉書が届きました。その葉書には「梅北祈りの葉書継承」と記されています。「梅北祈りの葉書」、それは、昨年10月24日の使信「祈りあえる喜び、一枚のハガキ」で紹介した鹿児島教会の梅北姉の葉書のことです。20年に亘り聖書日課に掲載された教会に、毎日、祈りの葉書を出されていた梅北姉の遺志を受け継いで出されている葉書です。その聖書日課には、先月6日~8日まで、みのり教会と岡崎教会が祈りの教会として取り上げられていました。その後、毎日「梅北祈りの葉書」と共に、私の初任地である二日市教会の90歳の信徒の方から祈りの葉書が届きました。その三日目の葉書には「三日間、先生の牧会する教会でした。今朝も先生をはじめ信徒の方一人一人の上に神様の祝福をお祈りしました」と記されていました。
また、先月の使信の最後に「この原稿を書いている今朝、岡崎教会の信徒の方が天に召されました。その電話を受けた後、そっと、テーブルの上のカップに入ったハイビスカスのつぼみを見ると、また一輪の花を咲かせていました」とお伝えしましたが、この天に召された方は、生前、教会の婦人会長をはじめ、教会で様々な奉仕をされ、まさに信仰が生活の中心の方でした。葬儀後の主日礼拝での説教の最後に、私は次のように皆さんにその方のことをお伝しました。「訃報の電話の後、今日の使信の通りハイビスカスが開花していたのには本当に驚きました。その開花したハイビスカスのつぼみは、枝から落ちてしまったので、そのまま水の入ったカップに入れておいたものであったからです。まさにそのカップの水は今日のみ言葉の通り、神さまの、イエスさまの愛に変えられ、天に召された彼女を祝福しているようでした。そして、先週水曜日の火葬の際には、その窯の扉が閉じられた瞬間、天窓から光が突然差し込んできました。最初は演出かと思いましたが、その瞬間に晴れ間の光が差し込んできたのです。その光景はまさに先週のみ言葉『イエスも洗礼を受けて、祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目にみえる姿でイエスの上に降って来た。すると《あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者》という声が、天から聞こえた」そのものでした。彼女は、まさに『わたしの心に適う者』であったのです」
私たちも定期総会を終え、このような方々のように『わたしの心に適う者』になれるよう祈ることができればと思います。
みのり・岡崎教会 野口勝彦
変容主日礼拝(2/26・27)は
顕現後第7主日礼拝(2/19・20)は
顕現後第6主日礼拝(2/12・13)は
顕現後第5主日礼拝(2/6)は
ルカによる福音書5章1節~11節