2018年8月31日金曜日

『ともしび』再開117号。20180831

深く憐れむ

日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。
                   マタイによる福音書14章 14節

東日本大震災が発生して、間もなく7年半が経過しようとしています。
私たちが属する日本福音ルーテル教会では、日本ルーテル教団、近畿福音ルーテル教会、西日本福音ルーテル教会と共に東日本大震災ルーテル教会救援を立ち上げ、震災当日にマレーシアで開催されていたLWFアジア地域会議でのLWF総会議長、ユナン牧師の祈りによってはじまった世界中から集まった献金、約3億円を元に、震災発生から3年間、多種多様な支援活動を行いました。
私は、震災当日、活動拠点としてルーテル支援センター「となりびと」が置かれていた仙台から約1,500Km離れた福岡で観た、テレビから流れでるあの津波の映像が、今も鮮明な記憶として頭から離れることはありません。そして、その年の5月、被災地にボランティアとしてはじめて足を踏み入れた時の衝撃も、忘れることができません。
その後、2012年4月から派遣牧師として働きを与えられたこの被災地での時間は、私にとって2年とは思えないほど、とても長い時間でした。それは、被災者の方々にとっても同じであったかもしれません。「となりびと」は2014年3月末でその働きを終え、その後、現在まで、日本福音ルーテル教会では、東教区3.11プロジェクトにその働きは引き継がれ、福島県を中心にその活動が継続されています。
私も個人的に、細々ながら派遣牧師の任務終了後もそれまでの支援先への支援と交流を続けてきました。
今年の夏は、久しぶりの夏休みをいいただき、その支援先の方々をはじめて個人的に訪問してきました。派遣牧師終了後も毎年、日本福音ルーテル女性会連盟や東教区女性会主催の被災地訪問のコーディネーターとして、訪問をしてきましたが、訪問する度に被災地は、復旧・復興へとその道を着実に進んでいることを実感してきました。
今回の訪問は、福島県の郡山からレンタカーを借り、2017年3月31日に避難指示解除をされた富岡町から福島第一原子力発電所のある帰還困難区域である大熊・双葉両町を経由し、北上する形で、奇跡の一本松のある岩手県陸前高田市まで約400Kmに渡る沿岸部の復旧・復興状況を自分の目で確かめるための訪問でした。双葉町から北上するにつれ、徐々に復旧・復興が進んでいることが実感できましたが、その一方で、福島第一原子力発電所のある大熊・双葉両町は、今も、震災の日、そのままの状態となっているのが現実でした。また、帰還が可能となった富岡町は、公共機関等は再開されているもの、街角には人影がなく、まるでゴーストタウンのような様相でした。
そんな中、明るいニュースもありました。「となりびと」で支援をしていた仮設住宅に居住していた方々が、今年の6月から7月にかけて、復興公営住宅に移られたというニュースです。震災発生からこれまで、避難所から仮設住宅とそれまでの大きなご自宅とは違う厳しい環境の中での生活を強いられてきましたが、やっと安住の住まい(写真)が与えられました。
その一方で、やっと安住の住まいを手に入れ、ほっとされたのか、私が訪問した二週間前に、「となりびと」の報告書にもメッセージを寄せていただいた方が天に召されていました。震災から7年半が経過し、被災地では高齢化の問題もさらに深刻化しているようです。
しかし、そのような現実がある中でも私は、復興公営住宅のご自宅に迎えて下さった方の言葉をこれまで支援をしていただいた方々にお伝えしたいと思い、今回、この報告をしています。その言葉とは、「どうぞ、皆さんのお家にお越しください」と言う言葉です。「皆さんの家」、それは、この復興公営住宅は皆さんの支援によって出来上がった家ということ。だから、この家は皆さんの家ということを意味していたのです。そして、この言葉には、その方の言い尽くせない感謝の思いが溢れていました。
イエスさまは「大勢の群衆を見て深く憐れみ」ました。「深く憐れみ」、それはギリシア語原語では「腸がちぎれるほどの思いです」、イエスさまは、自分に癒しを、救いを求めてくる「大勢の群衆を見て深く憐れみ」、「その中の病人をいやされ」ました。「病人」それは、その病に苦しみ、悩んでいる人です。今、イエスさまは、東日本大震災と言う未曽有の災害に遭遇し、その苦しみという病に侵された人々を「深く憐れみ」そして、被災者の方々のことを思う多くの支援者の愛よって完成した復興公営住宅を与えて下さったのです。
私たちもイエスさまのように被災者のことをこれからも覚え、一日も早い完全な復興が成し遂げられますよう祈り続けていければと思います。
訪問の詳細はとなりびとブログhttp://lutheran-tonaribito.blogspot.com/でご覧ください。

御心を行う者      

2018年8月11、12日(土・日) 信徒礼拝奨励 長谷川勝義

「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」               マルコによる福音書3章34節~35節
 
さて、今日のみ言葉は、すばらしいことを示してくれています。それは、基督がわたしたちに新しい家族像を示されたのです。肉の家族の関係は、当たり前です。大切な家族の関係ですが、基督の示されたのは、今までにないさらに目指すところの関係だと思います。これは、基督の教えの中で最高のものだと思います。
この御言葉の背景はこうです。基督があまりにも、活躍して、多くの人を癒したり、悪霊を追い出したりして、「あれは、悪霊がついているから、あんなにも、威力があって、悪霊が悪霊を追い出しているんじゃないか」という人もいて、それを聞いた基督の家族、つまり、お母さんや、兄弟・姉妹が、基督に注意をしようとして来たのだが、基督は、大勢の人たちに囲まれて、会うことも出来ないほどだった。そこで、弟子たちが来て、「先生、あなたの家族があなたを探しています」と言うと、キリストは、「あなたの母、あなたの兄弟とはだれのことですか」と言って、周りを見渡して、「私の兄弟・姉妹・母とは、主の御心を行う人です」と、まわりの人を指したのです。 これは、革命的な指摘ではないでしょうか。自然の肉親の関係が親・兄弟・姉妹の関係で当然、親しい大切な関係なのですが、それよりも、もっと違う観点で大切な「親・兄弟・姉妹」の関係があることを教えたのです。基督にある者は、兄弟姉妹といいます。これがその意味です。つまり、どの国の人であっても、どんな貧しい人であっても、金持であろうが、浮浪者であろうが、基督にあって兄弟姉妹の関係にあることを教えたのです。
肉による兄弟姉妹は、ごく限られた人数の関係しかありませんが、基督は、本当の兄弟姉妹の関係は、限りなく広がることが出来るよと教えてくれたのです。私は、キリスト教最大の教えがここにあると思います。キリスト教の存在価値は、基督がすべての人が兄弟姉妹という本当の愛に結ばれた新しい関係を持っていることを教えているのだと思います。
 ただ、ここで気をつけたいのは、「御心を行う者は」ということを基督は言われています。「御心を行う」とは、どういう意味でしょうか。使徒言行録11章26節に「このアンティオキアで、弟子たちが始めてキリスト者と呼ばれるようになった」とありますが、キリスト者、すなわちクリスチャンとは、「御心を行う」者たちの群であると思います。私たちは、御心を行う群とされたのです。私たちの教会もキリスト者の群ですが、ただ、名前だけの群、礼拝に集まって、祝福を受けるだけの、受身一方の教会であってはなりません。たとえ小さな業であっても、それを行う者でありたいと思います。あの1レプタを献げたやもめの女の如くに、少なくてもそれで精一杯の物を奉げて基督は喜ばれました。また、ベタニアのマルタとマリアの話では、マルタは、人々の世話で一生懸命働いていたのに、マリアはただ坐ってイエス様の話にじっと聞き入っていました。主は、そんなマリアの信仰を深く評価しました。「御心を行う」とは、小さな行為の積み重ねだと思います。大それたことではなく、心のこもったものであれば、それは、いつかは実を結ぶはずです。
アンティオキアの教会は、パウロやバルナバ、また、マルコやヨハネなどを異邦の国であったギリシアやローマに送り出す福音の宣教の拠点となりました。その教会の群がクリスチャンと呼ばれるようになったのです。この群は、迫害の中で最初は小さな群だったはずです。
でも、当時から2千年たった今、キリスト教は、全世界に広がって全世界の33パーセントの人がクリスチャンとなったのです。ちなみに、イスラムは、23.1パーセント、ヒンズーは、13.5パーセント、仏教は、7.1パーセントです。
このように2千年たって、主の福音は、地球のすみずみまで伝わっています。しかし日本ではキリスト教は、1パーセントという信じられない数のクリスチャンです。考えようによっては、私たちは、1パーセントというごく少ない貴重なクリスチャンなのですから、その価値を自ら大きく評価してこれから、がんばらなくてはと思います。私たちの教会もそのような群として、祈りと活気にあふれて、福音の宣教の拠点となれるように祈っていきたいと願っています。
「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの
 兄弟、姉妹、また母なのだ。」
《9月予定》
□ 9月2日(日) 日曜礼拝・9月定例役員会
□     5日(水) 聖書に聴き、祈る会
□     6日(木) 田原牧師滞在日
□     8日(土) 田原夕礼拝
□     9日(日) 日曜礼拝、女性会、男性会
□    12日(水) 聖書に聴き、祈る会
□    13日(木) 田原牧師滞在日
□    15日(土) 田原夕礼拝
□    16日(日) 日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
□    19日(水) 聖書に聴き、祈る会
□    20日(木)田原牧師滞在日
□    21日(金) 朝祷会(豊橋)
□    22日(土) 田原夕礼拝
□    23日(日) 日曜礼拝/教会共同体運営委員会(浜名)
□    26日(水) 聖書に聴き、祈る会
□    27日(木)田原牧師滞在日
□    29日(土) 田原夕礼拝(講壇交換)
□    30日(日) 日曜礼拝(講壇交換)



2018年8月26日日曜日

聖霊降臨後第15主日礼拝のご案内。20180901

聖霊降臨後第15主日聖餐礼拝(9/2)は

野口勝彦牧師による

「偽善者

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。



ファリサイ派の人々と数人の律法学者たちが、エルサレムから来て、イエスのもとに集まった。そして、イエスの弟子たちの中に汚れた手、つまり洗わない手で食事をする者がいるのを見た。――ファリサイ派の人々をはじめユダヤ人は皆、昔の人の言い伝えを固く守って、念入りに手を洗ってからでないと食事をせず、また、市場から帰ったときには、身を清めてからでないと食事をしない。そのほか、杯、鉢、銅の器や寝台を洗うことなど、昔から受け継いで固く守っていることがたくさんある。――そこで、ファリサイ派の人々と律法学者たちが尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、汚れた手で食事をするのですか。」イエスは言われた。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、/その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとしておしえ、/むなしくわたしをあがめている。』 あなたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている。」更に、イエスは言われた。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、「あなたに差し上げるべきものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です」と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている。」それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである。」マルコによる福音書7章1節~15節

2018年8月21日火曜日

聖霊降臨後第14主日礼拝のご案内。20180825・26

聖霊降臨後第14主日礼拝(8/25・26)は

野口勝彦牧師による

「心の中で

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。


それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。 群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。
マルコによる福音書6章45節~52節

2018年8月17日金曜日

聖霊降臨後第13主日礼拝のご案内。20180818・19

聖霊降臨後第13主日礼拝(8/18・19)は

野口勝彦牧師による

「神の家族

の説教で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。
尚、田原礼拝所(8/18)の夕礼拝は聖餐礼拝となります。

 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人であった。
マタイによる福音書6章30節~44節

聖霊降臨後第12主日礼拝のご案内。20180811・12

聖霊降臨後第12主日礼拝(8/11・12)は

長谷川勝義兄による

「み心を行う人

の立証で守られます。
どなたもご自由にご出席ください。


イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」 
マタイによる福音書12章 46節~50節




2018年8月4日土曜日

『ともしび』再開116号。20180805

平成30年7月豪雨(西日本豪雨)を覚えて
日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。マルコによる福音書4章39節

  平成30年の夏、それは来年4月30日で平成が終わるので、平成最後の夏です。その最後の夏に平成最大の豪雨被害が西日本を中心に発生しました。2018年7月30日現在、今回の豪雨で225名の方が天に召され、12名の方が未だに行方不明となっています。
  さて、私は今回の豪雨報道の中で2つの新聞記事に目が留まりました。
  一つは、今回の豪雨で家族を失った方の記事です。
「何しとるんか。何でこんな所に」。広島県熊野町川角5の住宅街「大原ハイツ」で、会社員、角森(つのもり)康治さん(54)は妻奈々さん(44)の遺体が運ばれて来るとおえつを漏らした。裏山が崩れ、家が土砂にのみ込まれた。6月14日に結婚したばかり。結婚指輪を今月7日に渡す約束は、果たせないままになった。仕事のため、島根県安来(やすぎ)市で家族と離れて暮らす。週末を一緒に過ごそうと、車で6日夕に広島へ出発した角森さんは、同日午後8時ごろ、奈々さんから「気をつけて」と無料通信アプリ「ライン」でメッセージを受けた。これが、最後の言葉になった。ラインでは「家の前の水路があふれている」とも伝えてきたがここまでの災害になると思わず、避難を促さなかったのは悔やんでも悔やみきれない。7日朝に熊野町に到着すると、「家が地面から無かった」。
 互いに再婚。熊野町の家には、奈々さんと一緒に長男美憲(みのり)さん(13)と次男健太ちゃん(2)、義母の青木裕子さん(71)もいたとみられ、安否不明のままだ。美憲さんはサッカー少年で、東広島市のチームに所属。「強豪高校に進学したい」と夢を膨らませていた。「おっちゃん」。そう呼んで懐いてくれていた健太ちゃんは「角森健太」と言えるようになったと聞き、自分の耳で聞きたいと楽しみにしていた。8日午後2時半ごろに奈々さんの遺体が見つかった後、土砂の下からアンパンマンのぬいぐるみが見つかった。子どものためにプレゼントしたもので、健太ちゃんはいつも抱いていた。ぬいぐるみのそばに健太ちゃんがいるような気がしてならない。確認した奈々さんの顔はいつも通り奇麗だった。最初はよく似ている義母と思ったが、耳にピアスの跡があり、服もよく着ていた赤白のボーダーだった。土砂の中から、アルバムも回収した。角森さんは声を振り絞るように言った。「僕の写真なんてほとんど無いんです。でも、息子2人の写真は持って帰りたいし、義母の写真は義兄に返したい」
  そして、もう一つの記事は、救助の記事です。
 「救助はすぐそばまで来ています。必ずあなたを助けます」。豪雨被災地へ応援に向かっていた名古屋市消防局の公式アカウントのツイートがインターネット上で話題になっている。9日午後時点で約2万5000回、リツイート(拡散)された。市消防局によると、愛知県の緊急消防援助隊の一員として、被害が深刻な岡山県倉敷市へ移動中の担当者が7日午後、救助を待つ被災者の不安を和らげようとツイッターに投稿した。隊はその後、同市真備町に到着。9日朝までに水没しかけた住宅に取り残された98人を救出した。投稿には感謝のコメントが多く寄せられ、「救助していただきました」との報告もあった。
この二つの記事に接する時、私たちは、「なぜ」との疑問を抱かずにはいられないのではないでしょうか。一方は犠牲になり、一方は救助される。その区別には理由はありません。それを人は運命であるとか、偶然であるとか言います。しかし、私たちキリスト者はどのように理解すればよいのでしょうか。
 マルコによる福音書では、 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになった時、弟子たちの「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」との叫びに、「イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。」応えてくださいました。
 なぜ、今回の豪雨では応えてくださらなかったのか。
 私たちは、災害が発生する度に、この問いを繰り返さざるを得ません。しかし、その一方で私たち、キリスト者が信じるのはイエスさまであり、神さまです。神さまのみ心は私たちに分かりませんが、被災者の方を覚えながら祈り続けていくことができればと思います。

        日本のキリシタン            
長谷川勝義

九州から京都・堺・大阪へとザビエルたちは、日本にキリスト教を伝えるために努力した。神社や寺院の勢力が圧倒的であった時代にキリスト教はどのように伝えられたのか、困難を極めたに違いない。
 しかし、優位なこともあった。それは、イエズス会は、ポルトガルと言う国の後押しがあったからである。貿易による利益、ヨーロッパから始めてもたらされた鉄砲や大砲、火薬と言う武器を彼らを通して手に入るということが、当時の戦国時代の大名たちが、宣教師たちに興味・関心を抱かせたということである。
 キリスト教そのものよりも、それに付随しているこうした武器を手に入れるために、宣教師たちに近づいたに違いない。宣教師イコール、ポルトガル人、鉄砲・大砲・火薬という構図である。
 しかし、宣教師たちは、真面目に日本人たちにキリスト教を伝え、殿様だけでなく、貧しく、生活に苦しんでいる人々へ、基督の救いを本気で伝えようとするイエズス会の熱心な宣教師もいたわけである。
 どのようにして、キリスト教を伝えたのか、その一例をフィクションかも知れないが、実際もそうであったかも知れないということを伝えたいと思う。葉室麟著『風渡る』で、黒田官兵衛と、ロレンソ(元僧侶でキリシタンとなり、盲目であったが、弁舌に優れ、キリスト教を日本の人々に分かりやすく伝えた)との会話の中から、当時の人々がどのようにキリスト教に触れ、キリスト教を理解していったかを、知ることが出来ると思う。
 キリシタンの説教を聞いていた官兵衛が特に引かれたのが、目の不自由なロレンソと南蛮の琵琶を弾く少年の二人連れだった。何日かつけまわすようにして説教を聞いていた官兵衛は、ある日、意を決してロレンソに声をかけた。
 官兵衛がロレンソに問いかけたのは、
「キリシタンにとって最も大事なものは何なのか」というものであった。ロレンソは首をかしげて、しばらく考えた後で、「それは、アモールでございましょう」「あもーる?」
 官兵衛は目を丸くした。アモールとは後に「愛」と訳される言葉だが、この当時の日本語では適切な訳語がなかった。キリシタンのパウロ養方軒は布教書の翻訳でアモールについて「大切に思うこと」と訳している。
 この時ロレンソも
「アモールとは、大切に存ずるということです。だから、われわれは貧しい者も富める者も同じように、お互いを大切に思わなければなりません。」
「おのれを大切に思うのではなく、人を大切に思うのか。」
 官兵衛は首をかしげた。なんとなく納得できるような、わからないような話である。
「おのれが大切だと思うなら、人も大切だと思えるはず、人を大切に思えない者はおのれも大切に思っていないのです。」
 ロレンソと官兵衛は、いつのまにか路地の築地塀のそばに座り込んで話していた。
 ロレンソは穏やかな笑みを浮かべて、
「私は今ではほとんど目が見えなくなりましたが、かつて見えていた頃、花を見てはきれいだと思い、山河の風景、夕焼け、夜の星も美しいと感嘆したものです。あなたは、そうは思われませんか」
「わたしも美しいものは美しいと思う」
「だとすると考えてください。たとえば職人が作った細工物が美しければ、腕のいい職人がいることがわかるではありませんか。この世が美しいとすれば、それを造られた方は素晴らしい方のはずです」
「それが、でうすか?」
「さようです。そして、そのような美しいものを造り出す力こそ、アモールだとわたしは思います。大切に思わなければ美しいものはできないはずですから」
「この世を大切に思うものがいるということか」
「そうです。わたしたちはみな、その方から大切に思われているのです。だから、お互いを大切に思わなければなりません」
 このように、神の愛を本当に理解した者の巧みな話を聞き、官兵衛などの武将も、また、平民たちも、キリスト教のすばらしさを理解していったことが、うかがわれるのである。
 貿易の利益とか、武器の調達とかだけでなく、純粋にキリスト教の教えの素晴らしさを理解していったキリシタン大名やその領民は、キリスト教の素晴らしさ、神の愛に触れて、深い信仰を持つようになったということを忘れてはならない。
 日本最初のキリシタン大名となった大友純忠、島原半島のキリシタンを保護した有馬晴信、九州の大部分を押さえた大友宗麟、戦の巧者黒田官兵衛、領地を捨てても信仰を捨てなかった高山右近、朝鮮出兵で活躍した小西行長、会津をキリシタンの城下にした蒲生氏郷、伊達政宗から棄教を迫られても屈しなかった後藤寿庵等々、信仰の闘士は、輝いていた。
 時代の流れにより、キリスト教は弾圧を受け、消滅したかのように見えたが、250年もの長い間、地下にもぐっていたキリスト教は、明治の時代、開国によって、息を吹き返し、日本の各地からよみがえってきたことを忘れてはならない。信仰は絶えることなく、人々の心の中で生きていたのである。