2021年12月28日火曜日

主の顕現主日礼拝のご案内。20220102

       主の顕現主日礼拝(1/2)は


野口勝彦牧師の

「喜びに溢れる」


の説教で守られます。

愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。 

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

マタイによる福音書2章1節~12節




《三遠地区使信 №1187》20211226 「今年一年に感謝して」

 今年一年に感謝して」

今日は1226日、今年最後の主日礼拝を各教会では守られていることだと思います。その前日、つまり、今から10年前のクリスマスに98歳で天に召された方と1年半前にこのコロナ禍の中、天に召された息子さんとの合同による墓前記念会を12月とは思えない暖かい日差しの中で今月11日に行いました。息子さんは、生前、みのり教会の修繕や教会行事の写真撮影などの奉仕をしてくださいました。また、そのお母様は、教籍番号4番、つまり、再来年11月に70周年を迎えるみのり教会4番目の信徒の方でした。みのり教会10周年記念誌には、昭和29(1954)1128日に行われた最初の洗礼・堅信式に4名の方の名前が記されていますが、その中に、その方のお名前とその際の集合写真が掲載されていました。記念会には、その方のお孫さんたちも参加されていましたが、20代の頃のおばあ様の写真にはじめて出会い、驚きと共にとても喜んでおみえでした。また、そのお孫さんの中のお一人は、今の豊橋礼拝所の新築された会堂で、新卒の宮本新牧師に結婚式の司式をしていただいたそうです。ちょうど今年のクリスマスイブ・キャンドルサービスは、その宮本牧師に司式等をお願いしました。

また、その記念会の二日後、母親の介護を終えた名古屋からの帰り道、お笑い番組『笑点』の宮城県石巻市からの公開放送が車中のワンセグから流れていました。その放送を聞きながら、東日本大震災から10回目のクリスマスを迎える被災地のことを考えていると、その放送直後に二本の電話が続き様にありました。1本目は、その石巻市北上町でわかめ養殖業をされていた方からのもので、例年であれば、わかめの種付けも終わっている頃だそうですが、今年は海水温の高さなどでまだ終わられていないということでした。また、もう一本の電話は同じ石巻市の牡鹿半島でかき養殖をされている方で、宮城県の牡蠣は海水温が高くても大丈夫ということで、今年は牡蠣の出来具合はとてもよかったということでした。そして、お二人からは今年もわかめ*と牡蠣*をいただきました。これも皆さんからもご支援していただいた「となりびと」での働きの成果であると、私も被災地の方々と共に、皆さんに改めて感謝しています。そして、この二つの出来事は、私にとって思いがけない神さまからの一足早いクリスマスプレゼントであり、まさに福音でした。

私は、今年、最後の主日に、103 1節~5節ダビデの詩により、コロナ禍の今年一年の神さまのみ支えを感謝したいと思います。わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。           

 *となりびとブログhttp://lutheran-tonaribito.blogspot.com/でご覧いただけます。     

 みのり・岡崎教会 野口勝彦






クリスマス礼拝・キャンドルサービス。20211219・24

 先週のクリスマス礼拝に2年ぶりに有料老人ホームに入居されているご夫妻がご覧の通り、出席されました。久しぶりに再会に信徒の方々大喜び、最大のクリスマスプレゼントとなりました。


キャンドルサービスもみのり教会が初任地である神学校の宮本新牧師を迎えて、

感染防止の中、行われました。



サービス後は信徒の方、手作りのクリスマスカードやクッキー


一昨年の台風19号による千曲川氾濫によって被害を受けた長野市内からの復興りんごなど



のクリスマスプレゼントを受け取り、

イエス様の降誕の時を、それぞれのご自宅で迎えられました。


2021年12月18日土曜日

降誕節第1主日礼拝のご案内。2021122526

                     降誕節第1主日礼拝(12/25・26)は


野口勝彦牧師の

「神と人に愛される」


の説教で守られます。

愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
ルカによる福音書2章41節~52節

2021年12月14日火曜日

クリスマス・キャンドルサービスのご案内。20211224

                         クリスマス・キャンドルサービス 


 12月24日(金)午後7時~

宮本新牧師の

「闇の中にこそ光は輝いた」

のメッセージで

行います。

どなたでも、ご自由にご出席ください。


尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。また、今後、緊急事態宣言等が再発出された場合、原則として礼拝堂での礼拝は休止となります。


そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
ルカによる福音書2章 1節~20



クリスマス礼拝(待降節第4主日礼拝)のご案内。20211219

   クリスマス礼拝 ( 待降節第4主日礼拝)

(12/19)

野口勝彦牧師の

「声たからかに

の説教で守られます。

愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
ルカによる福音書1章39節~45節



2021年12月7日火曜日

《三遠地区使信 №1184》20211205 「近づく」

 「近づく」           

先月の19日の夕方から宵にかけて、全国で部分月食が見られましたが、皆さんはご覧になられたでしょうか。月食自体が日本全国で観測でき、さらに食分が最大になる瞬間がどこの地域でも見られる「とても深い月食」は、国立天文台によると1881年12月6日以来実に140年ぶりだったそうです。

先週の福音書の日課には「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである」(ルカ21:25・26)とありましたが、聖書時代の人々は今回のような月食に出会った時、そのように「不安に陥」、「おびえ、恐ろしさのあまり気を失」ってしまっていたのかもしれません。そして、現代に生きる私たちよりも自然の変化に敏感で、み言葉に対しても実感を持って受け取っていたことでしょう。

さて、今日は12月に入って最初の主日です。それは、今年も残り1ケ月を切ったことを意味しています。みのり教会豊橋礼拝所には十字架を掲げた尖塔がありますが、その尖塔の影が、日々、伸びています。それは、冬が近づいている「徴」です。まさに、先のみ言葉、「太陽と月と星に徴が現れる」。そのものの姿がそこにあります。先の福音書の日課には「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる」(ルカ21:29・30)と記されています。尖塔の影は、まさに、「いちじくの木や、ほかのすべての木」「葉」と言えるでしょう。また、その長さは「それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる」と記されている通り、冬が近づいたこと、つまり、クリスマスが近づいたことが分かります。そして、「それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい」(ルカ21:31)とみ言葉は、私たちひとり一人に語りかけるのです。

「神の国」それは、イエスさまが、昨年の教会暦の最後の主日、つまり、聖霊降臨後最終主日(11/21)で「私の国」(ヨハネ18: 36)と言われた国です。その国から、間もなくイエスさまが私たちのもとにやって来られるために、お生まれになるのです。

「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」(ルカ21:27・28)

私たちは、この時を、喜びを持って迎えられるよう、このアドヴェントの時を過ごすことができるよう祈りたいと思います。

     みのり・岡崎教会 野口勝彦




待降節第3主日礼拝のご案内。2021121112

 待降節第3主日礼拝(12/11・12)は


野口勝彦牧師の

「ふさわしい実」


の説教で守られます。

愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
ルカによる福音書3章7節~18節



2021年11月30日火曜日

待降節第2主日礼拝のご案内。20211205

           待降節第2主日礼拝(12/5)は


野口勝彦牧師の

「主の道を整え」


の説教で守られます。

愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、/でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」
ルカによる福音書3章1節~6節



2021年11月22日月曜日

感謝。2021121

昨日は、教会暦では最後の主日、つまり、今年最後の主日でした。

 今年もコロナ禍の一年でしたが、その間、私たちひとり一人を支えてくだっさった神さまに、主日礼拝を通して感謝しました。


そのような中、豊橋礼拝所の尖塔が、日々、長く伸びています。それは、冬が近づき、クリスマスが近づいているしるしです。その冬の近づきに合わせて、礼拝堂ではご覧の通り、今年もストーブの火が入りました。暖かくなった礼拝堂で、新しい年である待降節を迎えることができることに感謝します。




待降節第1主日礼拝のご案内。202112728

                                    待降節第1 主日礼拝(11/27・28)は


野口勝彦牧師の

「近づく」


の説教で守られます。

愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。




「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」 それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。 葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々すべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるよう
ルカによる福音書21章25節~36節



2021年11月15日月曜日

聖霊降臨後最終主日礼拝のご案内。202112021

      聖霊降臨後最終主日礼拝  (11/20・21)は


野口勝彦牧師の

「わたしの国

の説教で守られます。


愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」
ヨハネによる福音書18章33節~37節



《三遠地区使信 №1181》20211114 「おかえりモネ①」

 「おかえりモネ①」      

先月、NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」が終わりました。このドラマは被災地宮城を舞台に、ヒロインが気象予報という天気と向き合う仕事を通じて、人々に幸せな未来を届けていく希望の物語です。東日本大震災の被災地を舞台にしたNHK連続テレビ小説は、震災2年後の2013年、岩手を舞台にした「あまちゃん」 以来ですが、「おかえりモネ」が「あまちゃん」と根本的に違うのは、「あまちゃん」の主人公が夏休みに東京から初めて北三陸にやってきたのに対して、「おかえりモネ」は、15歳の主人公が地元宮城で被災し、その後10年をいかに生きたかが描かれた物語ということです。

このドラマのチーフ演出の一木さんは、このドラマの企画の原点に、気仙沼市階上(はしかみ)中学校3年の生徒が、避難所となった体育館で、卒業式の答辞を読み上げている映像があると言います。2019年11月24日の使信に私は、この映像について次のように紹介しました。「先月の4・5日、東教区3.11プロジェクト『東北訪問プログラム』に同行しました。プログラム2日目は偶然にも『世界津波の日』、その日、本来は休館であった気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館が特別開館していたので、初めて訪問しました。そこで私たちは震災発生から10日後に避難所で行われた卒業式という衝撃的な映像に出会いました。その答辞の全文を紹介します」。https://minorichurch.blogspot.com/2019/11/107820191124.html


【上記映像】https://www.youtube.com/watch?v=LNU7ovLKZWc

一木さんもこの映像について「涙を流しながら、『自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました』と語り、『見守っていてください、必ずよき社会人になります』と決意と覚悟を宣言していました。深く感動するとともに、苦しくもなりました。この子たちは、私たちがそうであったように、間違ったり回り道したり、くだらないことに必死になる自由があるだろうかと。あなたたちはどこで何になってもいいのだ、それをどうか忘れないでと願わずにいられませんでした」、そして、「とにかく大人にならねばならなかった、希望にならねばならなかった子どもたちの、その後の人生の奮闘や葛藤を見つめたいと思ったのが、企画の原点です」と語り、「その一方で、震災から10年の今、“ドラマだからこそできるもの”に挑むべきでもありました。ドキュメントでは描けない、普通の人々。前を向いて復興に向かう人の尊さをありがたく思う一方で、亡き人を忘れないために前を向かない、ドキュメントのカメラには映らない普通の人々の声、ある意味リアルな人間の姿を描くのは、創作物の大事な仕事でもあるはずです」「迷いながらも、そこへ踏み込んで行きました」とも語っています。

このドラマは、今、私たちを苦しめている新型コロナが終息した未来の希望を私たちに伝え、クライマックスを迎えます。私たちもその未来を信じることができるように、そして、被災地の子どもたちの今が希望に満ちたものであることを信じ、神さまに祈ることができればと思います。       

みのり・岡崎 野口勝彦

追伸 先日、このドラマの舞台の一つである登米のお米が、「となりびと」で支援していた方から届きました。こちららでご覧いただけます。https://lutheran-tonaribito.blogspot.com/

 

2021年11月9日火曜日

聖霊降臨後第25主日礼拝のご案内。202111314

          聖霊降臨後第25主日礼拝  (11/13・14)は


野口勝彦牧師の

「徴

の説教で守られます。


愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。
マルコによる福音書13章1節 ~8節




全聖徒主日礼拝。20211107

 今週、日曜日に召天者の方々を覚えて全聖徒主日礼拝をご覧の通り守りました。







この日を記念して、献品をいただきました。感謝です。


礼拝後は高山霊園の教会墓地で小雨の中、記念会を行いました。

2021年11月3日水曜日

衣替え。20211030

 豊橋礼拝所入り口の花壇の花が春・夏のマリーゴルドから、ご覧の通り秋・冬のパンジーに変わりました。





いつも花壇を管理してくださっている信徒の方々に感謝します。

2021年11月1日月曜日

全聖徒主日礼拝のご案内。20211007

 全聖徒主日礼拝  (11/7)は


野口勝彦牧師の

「涙

の説教で守られます。

礼拝時間が午前10時からに変更となりますのでご注意ください。


愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。 しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。
 わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
ハネによる福音書11章32節~44節 




2021年10月24日日曜日

宗教改革主日礼拝のご案内。20211031

   宗教改革主日礼拝  (10/31)は


野口勝彦牧師の

「信仰の法則

の説教で守られます。


愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
ローマの信徒への手紙3章19節~28節







《三遠地区使信 №1178》20211024 「祈りあえる喜び、一枚のハガキ」 

 「祈りあえる喜び、一枚のハガキ」  

   みのり・岡崎教会の週報には毎週、「今週の祈りの課題」の一つとして「家庭礼拝のための聖書日課」https://seishonikka.org/に掲載してある教会の祈りを掲載しています。10月10日は日本福音ルーテル保谷教会でした。保谷教会は、私が神学校2年・3年時、熊本教会に宣教研修に行く前まで教会実習でお世話になった教会でしたので、懐かしくなり岡崎教会の礼拝後に皆さんに、保谷教会時代のお話を少しさせていただきました。

   その岡崎教会からの帰り際に、ある方から新しい女性会連盟会報を見せていただきました。何気にその裏表紙を見てみると今年、召天された方々のお名前が掲載され、その中に、鹿児島教会の梅北美智子姉のお名前を見つけました。

   梅北姉とは、私が九州教区で牧会している時に、博多教会で行われた九州セミナリオでお会いしたのが初めてで、その思い出を九州教区報*1に「以前に受けたセミナリオのテキストや提出したレポートを引っ張り出して読み返していると、いろいろなことが思い出されます」「福岡へは朝5時おきで1番のバスで行き、深夜に鹿児島に着くバスで帰るというちょっとハードなスケジュールでしたが、それが苦にならないほど楽しく有意義な時間を過ごすことができました。普段はできない学びを集中してできたことも、一緒に学んだ方々との出会いも貴重な宝です」と記されています。

   その梅北姉は、20年に亘り先の聖書日課に掲載された教会に、毎日、祈りの葉書を出されていました。そのことを女性会連盟会報*2に次のように書かれています。

 「『祈りのハガキ』 について書いてほしいと言われ、15年前の春の朝のことを思い起こしています」「4月に入って間もないある朝、いつになく早く目が覚めました。引きずられるように机の前に座り、聖書日課を読んでいるうちに1枚のハガキを思い出しました。それは数年前、教会のボードに貼られていたM先生からの『祈りのハガキ』でした。役立たずの私にもこれならできるかもとぼんやり思いました。ありあわせのハガキに一言書いて(何を書いたかは覚えていません)出しました。それから毎日、 いつもは朝寝坊の私がなぜか早くに眼覚め、聖書と日課を読み、黙想し祈り、ハガキを書き、1時間ほどがあっという間に過ぎました。何日か経ってある教会からー通のハガキが届きました。『あなたのためにもお沂りしています』との言葉に体が震えるほどの喜びが湧いてきました」「正直こんなハガキを出していいのか、下手な字で勝手なことを書いて失礼ではないのかと今も思います、それでも、日々み言葉に養われ、多くの方の祈りに支えられて、今日も私は元気でいることができ、ハガキを書くことができます。ハガキを受け取ってくださる皆様に感謝します。主にあってたくさんの方と結はれていることにも心から感謝します。ありがとうございます」

 来月7日は全聖徒主日です。これまで、毎日、各教会のことを祈り続けてくださった梅北美智子姉を覚えて、今年の全聖徒礼拝を迎えることができればと思います。

*1:2011年9月発行一部抜粋  *2:2014年10月発行一部抜粋 

  みのり・岡崎 野口勝彦




2021年10月18日月曜日

聖霊降臨後第22主日礼拝のご案内。2021102324

             聖霊降臨後第22主日礼拝  (10/23・24)は


野口勝彦牧師の

「あなたの信仰

の説教で守られます。


愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。
マルコによる福音書10章46節~52



2021年10月12日火曜日

聖霊降臨後第21主日礼拝のご案内。2021101617

         聖霊降臨後第21主日礼拝  (10/16・17)は


野口勝彦牧師の

「多くの人の身代金として

の説教で守られます。


愛知県には「厳重警戒措置」が17日(日)まで発出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
マルコによる福音書10章35節~45節



2021年10月4日月曜日

聖霊降臨後第20主日礼拝のご案内。202110910

                    聖霊降臨後第20主日礼拝  (10/9・10)は


野口勝彦牧師の

「あなたに欠けているもの

の説教で守られます。


愛知県には「厳重警戒措置」が17日(日)まで発出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」
マルコによる福音書10章17節~31節