2020年12月25日金曜日

新年合同礼拝のご案内。20210101

   新年合同礼拝  (1月1日午前11時~/豊橋礼拝所 )は

野口勝彦牧師の

「新しい生き方」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。また、今後、緊急事態宣言等が再発出された場合、原則として礼拝堂での礼拝は休止となります。



何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時求める時、失う時/保つ時、放つ時裂く時、縫う時/黙する時、語る時愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。人が労苦してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。わたしは知った/人間にとって最も幸福なのは/喜び楽しんで一生を送ることだ、と人だれもが飲み食いし/その労苦によって満足するのは/神の賜物だ、と。
コヘレトの言葉3章 1節~13節

クリスマス・キャンドルサービス。20201223・24

 クリスマスおめでとうございます。


昨日、豊橋礼拝所で、






一昨日、田原礼拝所でクリスマスキャンドルサービスを行いました。礼拝後、ご覧のクスリスマス・プレゼントでクリスマスを迎えました。











2020年12月21日月曜日

降誕節第1主日礼拝のご案内。20201227

            降誕節第1主日礼拝  (12/27)は


野口勝彦牧師の

「シメオンとアンナ」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。また、今後、緊急事態宣言等が再発出された場合、原則として礼拝堂での礼拝は休止となります。

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 ——あなた自身も剣で心を刺し貫かれます——多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。ルカによる福音書2章22節~40節 











クリスマス(待降節第4主日)礼拝。20201220

クリスマスおめでとうございます。

昨日、 クリスマス(待降節第4主日)礼拝を守りました。

礼拝後、女性会が用意してくださったクリスマス・プレゼントと昨年10月の台風19号で千曲川の決壊で被災した長野市内のりんご農園から送られたりんごによって、被災地の復興の喜びを分かち合いました。感謝です。






2020年12月15日火曜日

クリスマス・キャンドルサービスのご案内。20201223・24

           田原礼拝所の クリスマス・キャンドルサービス 

 12月23日(水)午後7時~

野口勝彦牧師の

「希望の光」

のメッセージで

豊橋礼拝所のクリスマス・キャンドルサービス 

 12月24日(木)午後7時~

島耕一牧師の

「民全体に与えられた希望」

のメッセージで

行います。

どなたでも、ご自由にご出席ください。




尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。また、今後、緊急事態宣言等が再発出された場合、原則として礼拝堂での礼拝は休止となります。


そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
ルカによる福音書2章 1節~20



《三遠地区使信 №1130》20201213「奇跡との出会い」

「奇跡との出会い」

 今日は待降節第3主日。イエスさま降誕はもう間もなくです。
そのような中、先月、東日本大震災の被災地で今も放射能の影響に苦しむ福島が舞台の一つとなっているNHK連続小説「エール」が遂に最終回を迎えました。
 そのドラマのクライマックスを迎える前、依頼された東京オリンピックの開会式を飾るオープニング曲の曲作りが進んでいないと心配する妻に、主人公が曲を書きださなかった理由について、次のように語るシーンがありました。
 「日本で(五輪が)行われるからって、日本古来の音楽を取り入れたり、復興を高らかに叫ぶマーチになんかしたくなかった。もっと普遍的な、世界中の人々が心高鳴る音楽にしたかった。そう心に決めたら、毎日あふれんばかりの音が僕のなかに降ってきたけど、何かが足りなくて、書きだせなかった…」。
 主人公が求めていたのは「piece(一辺)ではなくpeace(平和)」。国家、人種の壁を越えた世界の人々の心をつかむ普遍的な旋律でした。
 そして、その“何か”について、主人公は「見つかったよ、今さっき」とつぶやき、「いつ会っても出会ったころのように騒げる仲間がいる。これ以上の幸せってあるかな。何よりも尊いのはさ、人と人とのつながりだと思う。僕はそれを曲に込めたい」と訴えます。
 「人と人とのつながり」。
 今、世界は新型コロナウイルスに覆われ、多くの人が苦しんでいます。それは、「人と人とのつながり」が絶たれ、孤独の中に私たちひとり一人が追い込まれているからかもしれません。
 そして、ドラマには、そのコロナによって今年3月、召天したコメディアンの志村けんさんが再登場します。その映像は、共演者のNGに思わず笑った鏡越しのオフショットが偶然、撮れていたもの。当初は第79話(10月1日)が最後の出演でしたが、偶然が重なり、回想シーンではなく新映像による再登場が実現しました。ドラマの演出を担当した吉田照幸監督はその映像を「奇跡」と語っています。
 「奇跡」、神さまの子、イエスさまが人間の子として生まれることはまさに「奇跡」です。次週の福音書の日課に「神にできないことは何一つない」(ルカ1: 37)と記されている通り、その「奇跡」に私たちは、間もなく出会うのです。
 先のドラマは、乳がんで闘病生活をする主人公の妻がベッドで「海が見たい。あなたと出会った頃のように、歌を歌いたい」と主人公と寝室から窓辺に向かい、居間に足を踏み入れます。すると、そこは豊橋の海となり、若返った2人が砂浜に駆け出し、主人公が砂浜にあるオルガンを弾き、妻が歌い、次の最後の会話で終わります。

「会えてよかった。会えなかったら、僕の音楽もなかった。出会ってくれて、ありがとね」「私も、あなたといられて幸せでした」
 私たちもイエスさまと出会い、「私も、あなたといられて幸せでした」と言えるクリスマスを迎えることができればと思います。  
みのり・岡崎教会 野口勝彦



クリスマス(待降節第4主日)礼拝のご案内。20201220

クリスマス(待降節第4主日)礼拝  (12/20)は


野口勝彦牧師の

「神にできないことは何一つない」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。また、今後、緊急事態宣言等が再発出された場合、原則として礼拝堂での礼拝は休止となります。



 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
ルカによる福音書1章26節~38節



2020年12月8日火曜日

待降節第3主日礼拝のご案内。2020121213

                               待降節第3主日礼拝(12/12・13)は


野口勝彦牧師の

「貧しい人に良い知らせを」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。


神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。
ヨハネによる福音書1章6節〜8節、19節〜28節



2020年12月1日火曜日

待降節第2主日礼拝のご案内。20201206

待降節第2 主日礼拝(12/6)は


野口勝彦牧師の

「福音の初め」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。


 神の子イエス・キリストの福音の初め。預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

マルコによる福音書1章1節~8節



2020年11月26日木曜日

待降節第1主日礼拝のご案内。2020112829

待降節第1 主日礼拝(11/28・29)は


野口勝彦牧師の

「人の子が来る」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。



 「それらの日には、このような苦難の後、/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。 天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。 それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。
マルコによる福音書13章24節~37節

《三遠地区使信 №1130》20201122 「神さまからのエール」

 「神さまからのエール」

新型コロナウイルスの感染、第三波が早くも到来したようです。この原稿作成時点(11/13)で、愛知県内の新規感染者数が4日連続で100人を超えています。

さて、そのような中、NHK連続テレビ小説『エール』も佳境に入ってきました。このドラマのプロデューサーは、このドラマ名について「東日本大震災の被災地・福島をはじめ、日本各地で厳しい暮らしを強いられている方がいます。くじけずにがんばる人に、少しでも元気になってもらいたいという思いから『エール』と名付けました」と語っています。そして、9月14日から再開された番組も11月28日が最終日と、当初終了予定の9月26日から新型コロナウイルス感染拡大の影響に伴い、奇しくも今年の教会暦の最終日となりました。そのドラマの中で、『長崎の鐘』が先日取り上げられていました。

『長崎の鐘』は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井博士が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、重症を負いながら被爆者の救護活動を記録したものです。永井博士は、この時、妻を亡くしています。題名『長崎の鐘』とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のことです。浦上天主堂、それは、今から3年前の2017年11月23日にカトリック・ルーテル宗教改革500年共同記念礼拝が行われた場所です。カトリック中央協議会のホームページでは「長崎は、キリスト教の弾圧と迫害を経験した町であり、20世紀の世界の悲劇を象徴する被爆地です。受苦と堅忍、信仰と希望と復活の町、長崎。この地を日本のカトリック教会とルーテル教会は、平和を実現する未来への歩みの出発点とします」としています。

ドラマの中では「鐘よ響け」のサブタイトルで次のように描かれました。

『長崎の鐘』原作の映画主題歌制作のため、長崎を訪れた主人公が博士に次のように問われます。「ある若者が、焦土化した長崎と広島を見て、『本当に神はいるのか?』と私に問いかた時、私はその彼に『どん底まで落ちろ』と答えました。あなたにその意味が分かりますか」。主人公はその問いに答えられず、原爆投下直後に博士が被爆者治療に当たった場所を訪れ、その壁に書かれた「どん底に大地あり」という文字を見つけます。そして、博士の妹の「原爆ですべてを失った人たちが瓦礫の中から鐘を掘り起こし、焦土と化した長崎の街に、鐘の音が再び響きわたったとき、その音色が多くの人たちに生きる勇気を与えてくれた」との話を聞き、「希望…ですか」と博士に答えるのです。博士はその答えに気づいた主人公に「希望を持って頑張る人に、エールを送ってくれんですか」と頼み、この場面は終わります。


私たちは来週からイエスさま降誕を待ち望むアドヴェントを迎えます。それは、神さまが、今、コロナ渦に苦しんでいる私たちのために、希望のエールをくださっているしるしなのです。            

 みのり・岡崎教会 野口勝彦


2020年11月16日月曜日

聖霊降臨後最終主日礼拝のご案内。2020112122

                                聖霊降臨後最終主日礼拝(11/21・22)は


野口勝彦牧師の

「一年の終わりに」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。




「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
マタイによる福音書25章31節~46節

2020年11月11日水曜日

聖霊降臨後第24主日礼拝のご案内。2020111415

   聖霊降臨後第24主日礼拝(11/14・15)は


野口勝彦牧師の

「わたしの金」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。




「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、 五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。 同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
マタイによる福音書25章14節~30節 



2020年11月3日火曜日

《三遠地区使信 №1127》20201101 「命を愛し、平和を願って」

 「命を愛し、平和を願って」

今日は、全聖徒の日、各教会では召天者の方々を覚えて礼拝が守られていると思います。天に召された方々と共に、良き礼拝が守られますようお祈りいたします。

さて、突然ですが皆さんはNHK連続テレビ小説『エール』をご覧になっているでしょうか。新型コロナウイルスの影響で一時撮影がストップし、暫く再放送のような形で放送されていましたが、9月14日から新しい放送が始まりました。このドラマでは豊橋市が一つの舞台となっています。豊橋市をインターネットで調べるとウイキペディアでは「1885年(明治18年)には陸軍歩兵第18連隊が置かれたほか、1908年(明治41年)から1925年(大正14年)までは高師原に陸軍第15師団が置かれるなど、豊橋は軍都として繁栄した」と説明しています。

先日、そのドラマは、軍都豊橋の時代が舞台になり、市街地の7割が焼失した豊橋空襲が登場し、次のような場面が描かれていました。「豊橋では集会での礼拝を監視されるようになったクリスチャンたちが集まって状況を話し合っていた。光子(金子の母)は『信仰は捨てない』と明言した上で危険を犯さない方が良いと提案。するとほかの信徒から『都合が良すぎる』と批判され、馬具店として軍と取り引きがあることや五郎(後に金子の義弟に)が徴兵に取られないことを揶揄される。紛糾する集まりを同行していた五郎はただ見守るしかなかった。その夜、光子や梅(金子の妹)が信仰するキリスト教について知りたいと思った五郎は聖書を読むことに」

このドラマでは、主人公のモデルである作曲家の古関裕而の妻、金子(きんこ)の家は聖公会に属するクリスチャン一家として描かれています。そして、戦争中は金子の家は特別高等警察、いわゆる特高の監視対象として描かれています。「信仰か、身の安全か」、戦争当時のクリスチャンであった人々はその選択をまさに自分の信仰生命を懸けて求められました。その後、ドラマは次のように展開します。

「み言葉に出会った五郎はキリスト教に入信し、主人公の雄一に一冊の聖書を渡します。作業部屋に戻った裕一は、五郎が置いて行った聖書を開いてみました。『悪より心遠ざかりて善をおこなひ 平和を求めて之を追ふべし』」裕一は、この言葉をつぶやき、聖書を閉じると、引き出しの一番下に…しまいました」

このみ言葉はペトロの手紙一3章 11節の文語訳です。「平和のための行動義務」とも呼ばれるこのみ言葉は、新共同訳では10節から「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ」と記されています。

今、私たちは新型コロナウイルスに覆われ、「ウイズ・コロナ」の不自由な生活を強いられています。この全聖徒の日、召天者の方々を覚え、このみ言葉の通り、ひとり一人の「命を愛し」、一日も早い新型コロナウイルスの感染が終息した「平和を願って」祈ることができればと思います。

みのり・岡崎教会 野口勝彦




全聖徒主日礼拝。20201101

 昨日、ご覧の通り、豊橋礼拝所で召天者の方々を覚え、全聖徒主日礼拝を守りました。


礼拝後は高山霊園の教会墓地で墓前記念会を行いました。

2020年10月27日火曜日

全聖徒主日礼拝のご案内。20201101

 全聖徒主日礼拝(11/1)は


野口勝彦牧師の

「幸い」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。
また、当日の礼拝はこの日のみ午前10時開始となります。10/31(土)の田原夕礼拝は行われません。


2020年10月26日月曜日

宗教改革主日礼拝。2020102425

 昨日、一昨日に豊橋・田原両礼拝所ではルーテル教会の誕生日でもある宗教改革主日礼拝を守りました。その誕生日をお祝いするような形で聖餐式も再開できました。感謝です。一日も早い、新型コロナウイルス感染の終息をお祈りいたします。




2020年10月21日水曜日

宗教改革主日礼拝のご案内。2020102425

                               宗教改革主日礼拝(10/24・25)は


野口勝彦牧師の

「信じる者すべてに」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。


イエスは、御自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」すると、彼らは言った。「わたしたちはアブラハムの子孫です。今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
ヨハネによる福音書8章31節~36節






2020年10月12日月曜日

聖霊降臨後第20主日礼拝のご案内。2020101718

                            聖霊降臨後第20主日礼拝(10/17・18)は


野口勝彦牧師の

「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。




 それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。 そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。 税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。
マタイによる福音書22章15節~22節



20201011《三遠地区使信 №1124》「だれも雇ってくれない」

 だれも雇ってくれない

最近、芸能人の自死のニュースが社会に大きな衝撃を与えています。

1998年、バブル崩壊後、国内の金融機関破綻等により、年間自殺者数が32,863人(警察庁発表)となり、統計のある1897年以降で初めて3万人を突破しました。その後11年間3万人台は続きましたが、自殺の予防と防止、その家族の支援の充実のために制定された自殺基本対策法が2006年に公布・施行され、昨年は20,169人まで減少しています。ちなみに昨年の交通事故死者数は3,215人。

しかし、現在、新型コロナウイルスの影響によって、多くの人が仕事を失い、急速にその数が増加しています。910日に公表された20208月の警察庁の自殺統計(速報値)によると、全国で1,849人、愛知県では119人の方が自死されています。この数値は、愛知県の昨年同月と比較すると46人、率にしてなんと63%も増加しています。この危機的な状況に対応するために、先日、愛知県知事が、以下の通り緊急メッセージを発出しました。

【県民の皆様へ(知事緊急メッセージ)】新型コロナウイルス感染症の収束の見通しが立たない中、県民の皆様の中には、今後の生活について、大きな不安を感じている方が多くおられるのではないかと思います。本県では、大変悲しいことに自ら命を絶たれる方が急増しています。一人で、悩みや苦しい思いを抱え込まず、御家族や友人、職場の仲間など、あなたが信頼できる方に話をしてください。身近な人に相談しづらい、あるいは、相談できる人が周りにいない方で、生活でお困りの場合は、県や市町村の相談窓口に相談してください。つらくてたまらない、生きているのがしんどい、消えてしまいたいと思われる方は、「あいちこころほっとライン365」や精神保健福祉センター、保健所、「名古屋いのちの電話」などの相談窓口に、あなたの気持ちを話してください。あなたの「生きたい」という気持ちをどうか大切にしてください。自殺を考えている人は、「眠れない」、「原因不明の体の変調が長引く」など、何らかの危険を示すサインを発していることが多いと言われています。こうしたサインに気づき、声をかけ、その人の話に耳を傾け、そして専門の相談窓口につなぐことが、大切な命を守る一歩となります。皆様の周りの方を気にかけてください。そして「心配しているよ」の気持ちをぜひ伝えてください。

そのような今、イエスさまは、神さまは、次のように私たちに言われるのです。

「わたしは最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」

マタイによる福音書20 14

神さまは、「最後の者にも」ふさわしい賃金をこのこの「だれも雇ってくれない」今、その命さえ自ら絶とうとしている人にも必ず払って下さるのです。

私たちは、この神さまの大きな愛を信じ、今、自らの命を絶とうとしている人にこのみ言葉が届くよう心から祈りたいと思います。

 みのり・岡崎教会 野口勝彦



2020年10月7日水曜日

聖霊降臨後第19主日礼拝のご案内。2020101011

                               

 聖霊降臨後第19主日礼拝(10/10・11)は

野口勝彦牧師の

「婚礼の礼服」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。


中秋の名月

 イエスは、また、たとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。 王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
マタイによる福音書22章1節~14節

2020年9月30日水曜日

聖霊降臨後第18主日礼拝のご案内。20201004

  聖霊降臨後第18主日礼拝(10/4)は


野口勝彦牧師の

「最大の収穫」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。



もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』 だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。この石の上に落ちる者は打ち砕かれ、この石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてしまう。」祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。
マタイによる福音書21章33節~46節



2020年9月25日金曜日

聖霊降臨後第17主日礼拝のご案内。2020092627

 聖霊降臨後第17主日礼拝(9/26・27)は


野口勝彦牧師の

「分からない」

の説教で守られます。

どなたでも、ご自由にご出席ください。

尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。


 イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。」彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。『人からのものだ』と言えば、群衆が怖い。皆がヨハネを預言者と思っているから。」そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスも言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。 兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。 弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
マタイによる福音書21章23節~21章32節





2020年9月20日日曜日

敬老祝福2020091920

 明日は敬老の日、教会では例年、その前の主日礼拝の中で敬老祝福式を行っています。今年は新型コロナウイルスの影響で行うことはできませんが、例年通り、信徒の方が素敵なカードをご覧の通り作ってくださったので、75歳以上の信徒の方にお配りました。

敬老を迎えられた皆様の上に、神さまからの祝福が豊かにありますようお祈りいたします。





田原礼拝所整備。20200919

 昨日、ご覧の通り、久しぶりの秋空の中、田原礼拝所夕礼拝を守りました。



礼拝前には、信徒の方がご覧の通り、夏の間に茂った草刈りをしてくださり、たい肥置き場を設置してくださいました。これからこのたい肥を活用して、きれいな花壇づくりが始まります。感謝です。