今日から、豊橋礼拝所のエアコン交換工事が始まりました。
豊橋礼拝所は、今年献堂25周年を迎えますが、エアコンもその際、設置されたもので、昨年11月に遂にダウンしました。これまでの24年間の働きに感謝します。
キリスト教ルター派教会:1517年にマルチン・ルターの宗教改革によりドイツで誕生したルーテル教会は、ドイツだけでなく北欧にも広がり、国民教会となりました。その後、アメリカにも渡り、更にアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどに至って今日全世界に存在するようになっています。2017年10月31日に宗教改革から500年を迎えました。
今日から、豊橋礼拝所のエアコン交換工事が始まりました。
豊橋礼拝所は、今年献堂25周年を迎えますが、エアコンもその際、設置されたもので、昨年11月に遂にダウンしました。これまでの24年間の働きに感謝します。
四旬第3主日礼拝
(3/3)は
野口勝彦牧師の
「見えない神殿」
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
今月25日、宣教百年記念会堂(東京教会)で4年ぶりの「神学校の夕べ」が行われます。今年は4人の神学生が「共に在せ、わが主よ」のテーマで主のみ言葉を語ります。
私も今から19年前の2005年に「神学校の夕べ」でみ言葉を語る機会を与えられました。そのテーマは「十字架の喜望」。十字架をねがいのぞむ希望ではなく、十字架を喜び望む「喜望」です。私は、このテーマについて当時、「みなさんの中には、神学校の夕べのポスターやパンフレットを見て、間違いではないかと思われた方もおみえではなかったでしょうか。では、なぜ、十字架をねがいのぞむ希望ではなく、十字架を喜び望む『喜望』なのか。このテーマを決める時、私たち三人は、そこに二つの意味が込めました。その一つは、今日のこの神学校の夕べが、今ここにいる三人のためだけではなく、私たち三人にとってのもう一人、つまり、今、病床にいる榎津重喜神学生のためのものでもあると考えたからです。つまり、十字架を喜んで望む『喜望』の『喜ぶ』という文字は、榎津重喜神学生の重喜の『喜』の字を意味しています。みなさんもご存知の通り、榎津神学生は、昨年の4月、急性白血病により緊急入院をし、ご自分の娘さんからの骨髄移植を受け、その後、自分の体を異物として認識する免疫作用と戦いながら、その苦しみの中で、その不安の中で、これまで長期の入院生活をされてきました。そして、私たち三人は、その姿を見ながら、神学生として、何ができるのかをそれぞれ自分自身に問うてきました。私たち三人とってこの一年は、まさに、榎津神学生の闘病生活と共にあったといっても過言ではないかもしれません。そして、それは、まさに、これから宣教の場に、牧会の場に派遣される私たちにとって、一つの試練であったということができるかもしれません。」と語りました。
そして、その時の私の説教題は「十字架につけられたキリストを宣べ伝える」。み言葉はコリントの信徒への手紙一。このみ言葉は私たちに「十字架につけられたキリスト」を信ずること、それは、「人の知恵によってではなくではなく、神の力によって信じるようになる」ことであると語り、そして、このみ言葉を信ずる時、私たちのために十字架につけられ、私たちと同じように苦しまれたキリストの救いが、私たちの下にやってくると言うのです。そこにこそ、私たちの「十字架の喜望」、十字架を喜び望む「喜望」のもう一つの意味があるのです。
この世の重い苦難と恐れと不安を「十字架」において共に担ってくださるキリスト。このキリストを宣べ伝えることが、この19年間、私が派遣された二日市・福岡西教会、佐賀県・牛津幼稚園、東日本大震災ルーテル教会救援「となりびと」、長野・松本教会、みのり・岡崎教会の場で、私に与えられた使命であったのです。
今年「神学校の夕べに」臨まれる4人にも新たな使命が与えられ、宣教の場に派遣されます。新たに派遣される4人の上に神さまの祝福が豊かにありますよう祈りたいと思います。 みのり・岡崎 野口勝彦
四旬第2主日礼拝
(2/24・25)は
野口勝彦牧師の
「自分の十字架」
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。" しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。 自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」
マルコによる福音書8章31節~38節
四旬第1主日礼拝
(2/17・18)は
野口勝彦牧師の
「虹」
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。" 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。" それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。"イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、"「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
マルコによる福音書1章9節~15節
主の変容礼拝
(2/10・11)は
野口勝彦牧師の
「主の変容」
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すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。"シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。"シモンとその仲間はイエスの後を追い、 見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。
マルコによる福音書1章29節~39節