2019年5月27日月曜日

昇天主日聖餐礼拝のご案内。20190602

昇天主日聖餐礼拝(6/2)は

野口勝彦牧師による

「心の目を開いて」

の説教で守られます。

どなたもご自由にご出席ください。


 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
ルカによる福音書24章44節~53節



2019年5月20日月曜日

復活後第5 主日礼拝のご案内。20190525・26

復活後第5主日礼拝(5/25・26)は

野口勝彦牧師による

「わたしの平和」

の説教で守られます。

どちらの礼拝も、どなたもご自由にご出席ください。



イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。
ヨハネによる福音書14章23節~29節



復活後第4 主日礼拝。20190518・19



ご覧の豊橋礼拝所のバラが開花した昨日、豊橋礼拝所で、一昨日、田原礼拝所と復活後第4 主日礼拝が守られました。田原礼拝所には新しく田原に引っ越された若いご夫婦を含めて11名の方で聖餐礼拝を守りました。


豊橋礼拝所では、礼拝後、様々な苦難の中にある方を覚え祈祷会を行った後、ご覧の通り、気になる方々へメッセージをお届けする「お手紙の集い」が行われました。


2019年5月17日金曜日

衣替え。20190517

季節は初夏となりました。豊橋礼拝所の花壇の花を信徒の方が季節に合わせたペチュニアに御覧の通り植え替えてくださいました。感謝です。




2019年5月14日火曜日

田原礼拝所ブロック・万代塀撤去工事。2019050809

先週の水・木曜日、懸案であった田原礼拝所ブロック・万代塀撤去工事が以下の通り行われました。これで南海トラフ巨大地震の不安が少し解消されました。感謝です。



2019年5月12日日曜日

復活後第4 主日礼拝のご案内。20190518・19

復活後第4主日礼拝(5/18・19)は

野口勝彦牧師による

「新しい掟」

の説教で守られます。

どちらの礼拝も、どなたもご自由にご出席ください。
尚、5/18の田原夕礼拝は聖餐礼拝となります。


 さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。 神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。 子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」
ヨハネによる福音書13章31節~35節

《三遠地区使信 №1050》201905122「導き」

「導き」

 10日間にも及ぶ大型連休も終わり、30年余り続いた「平成」から新しい時代「令和」に入りました。キリスト教の世界でもその新しい時代に合わせたかのように、昨年、12月に31年ぶりに0から翻訳された新しい聖書、聖書協会共同訳聖書が出版されました。私たちの教会でも、今月の『るーてる』にも掲載されていたように今年から改訂礼拝式文の公式使用が開始され、今年の待降節からは新しい聖書日課の使用が始まります。
そのような時代の変わり目の先月、1年ぶりに前任地である松本教会60周年記念式典に出席しましたが、その前日、同じ前任地の長野教会の信徒の方のお宅を訪問しました。みのり教会のある豊橋から片道360km、久しぶりの長距離ドライブに信州の遠さをあらためて感じましたが、その山々の美しさにも改めて気づくこともできました。
今回、長野教会の信徒の方を訪問したのは、その方からお葉書をいただいたからでした。元々、長野教会の最近の様子を訪問前にその信徒の方にお聞するためにお電話をしようと思っていた矢先にお葉書が届き、この一年いろいろなことがあったことを知りました。
長野教会は多くの信徒の方が車や新幹線で30分から1時間かけて礼拝に出席され、そして、その出席者が二桁になることはまれでした。私が牧会をしていた4年の間、その信徒の方、全員に様々な苦難が訪れました。そのお葉書も配偶者の方の病気で松本教会の60周年記念式典に出席できないということでしたので訪問することにしました。そして、松本に戻る途中に、やはり暫く教会に行くことができていないとお聞きしていた信徒の方のお宅も訪問しました。その方は突然の私の訪問に驚き、二度と会えないと思っていたと喜ばれていましたが、つい最近、私にお葉書を出されたということでした。結局、そのお葉書は、その方が投函されてから6日後に信州から豊橋に戻った私の手元に届きました。
その後、最初に訪問した方からお葉書が届き、そこには、ご主人の体調が回復されたことや長野教会のイースター礼拝になんと20名を超える出席者があったことなど、まさに福音が、グッドニュースが私のもとに届けられたのです。
今回の訪問は、まさに神さまの導きであり、神さまは必要な時に必要なものを与えて下さるということをあらためて実感するものとなりました。             
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな与えられる」マタイによる福音書633
みのり教会 野口 勝彦






2019年5月5日日曜日

復活後第3主日礼拝のご案内。20190511・12

復活後第3主日礼拝(5/11・12)は

野口勝彦牧師による

「救いの言葉」

の説教で守られます。

どちらの礼拝も、どなたもご自由にご出席ください。



そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。 わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」
ヨハネによる福音書10章22節 ~30節

『ともしび』再開125号。20190505

新しい時代

「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」
                ルカによる福音書21章33節
日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

   少し遅くなりましたが、イースターおめでとうございます。
  今年のイースターは先月の21日、例年よりかなり遅いイースターとなりましたが、イエスさまは私たちに約束してくださった通り、私たち一人ひとりの罪のために十字架に架かり、私たち一人ひとりのために復活してくださいました。
  その今年のイースターは、平成最後のイースターでしたが、30年余り続いた「平成」から新しい時代「令和」に入り、10日間にも及ぶゴールデンウイークも明日で終わろうとしています。
  キリスト教の世界でもその新しい時代に合わせたかのように、昨年、12月に31年ぶりに0から翻訳された新しい聖書、聖書協会共同訳聖書が出版されました。
  私たちの教会でも、今月の『るーてる』にも掲載されていたように今年から改訂礼拝式文の公式使用が開始され、今年の待降節からは新しい聖書日課の使用が始まります。まさに、キリスト教の世界も新しい時代に入りました。
  しかし、新しい時代がはじまったからと言って、これまでの時代が否定されるわけではありません。新しい時代は、それまでの時代を基礎に新たに積み重ねられていく時です。
   そして、私たちが信じているみ言葉は、時代が変わったからと言って変わるものではないことは言うまでもありません。新しい翻訳聖書が出版されたからといって、もちろんみ言葉自体が変わるわけではありません。そのことを今回の聖書協会共同訳聖書の案内チラシでは「変わらない言葉を 変わりゆく世界に」とのキャッチコピーで表現しています。
   世界は時代と共に変化しても、神さまの言葉は決して変わらないのです。私たちは新しい時代を迎え、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」のみ言葉を信じ、復活節のこの時、私たち一人ひとりのために復活されたイエスさまを「変わりゆく世界」に伝えていくことができればと思います。

苦難の僕イエス・キリスト (4月19日朝祷会での話) 
長谷川勝義

 今日は、受難週の受苦日に当たる日です。キリストの受難を思い、み言葉に耳を傾けたいと思います。
 イエスキリストは、伝道の最初においては、神の国の実現を目指していました。「神の国は近づいた。悔改めて福音を信じなさい」と人々に神の国の到来を告げていました。神から遠ざかっている人たちに、悔い改めて、もう一度神様の教えを聞きなさいといったのです。
 イザヤ書は、神の国の到来を預言しています。イザヤ書9章5節・6節には、ひとりのみどり子が生まれて、ダビデの王座に着き、正義に基いて、平和な王国が到来すると告げています。11章にも、主の霊がとどまって、正義をその帯として、真実をその身に帯び、そのようなメシアの到来によって、理想的な王国が実現することを預言しているのです。
 ですから、イエスキリストも、このような神の国の実現を期待して、人々に教えたのです。このときのメシアは、苦難のメシアではなく、栄光にあふれたメシアである救い主でした。
 しかし、このような、イザヤ書に描かれた王国は、実現したでしょうか。否です。ユダヤは、ローマの支配下に置かれて、自治すらできません。正義と憐れみに基いた国ではありません。貧しさと、不自由さの中での生活でした。
 キリストは、懸命に神の国のことを教えましたが、次第に人々との間、特に、宗教的な指導者たちとの軋轢が高まりました。祭司長や律法学者・パリサイ派の人々です。イエスのお教えがあまりに革命的で、律法を無視するかのように、真髄をついていたからです。形式だけを守る律法主義ではなく、律法のもともとの神様から与えられた霊的な意味をイエスが教えたからです。伝統ある自分たちの宗教やその権威を保つために、イエスとその教えは邪魔で排除しなくてはならないものとなったのです。
   ここで、もう一つのイザヤの預言がありました。同じ、メシアの預言なのですが、イザヤ書前半の勇ましい権威をもった正義の王とは違います。苦難の僕としての救い主をイザヤは伝えています。私は、この二つのギャップ、即ち大きな違いに驚くものです。
  この僕は「打とうとする者には、背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には、頬をまかせた。・・・顔を隠さず、あざけりとつばを受けた。」とあります。これが、正義と恵みの救い主の姿でしょうか。しかし、そうなのです。
  53章には、「彼が打ち砕かれたのは、私たちのとがのため、・・・彼の受けたこらしめによって、わたしたちは平和が与えられ、彼の受けた傷によってわたしたちは癒された」のです。
 結局、人々が望んだような、格好のいい、堂々とした神の王国、メシアが権威をもって、統率し、人々が安心と平和の中で暮らせる世界の実現を人々は望んでいたのです。捕えられて、みじめな姿になった姿になったイエスに失望して、「十字架につけろ」と人々は叫んだのです。ここに、私たちは、私たち人間の罪と弱さがあると思います。聖書にも、人々の罪や鈍さを述べています。ヨハネ12章39節・40節には、「彼らが信じることができなかった理由をイザヤはまた次のように言っている。『神はかれらの目を見えなくし、その心をかたくなにされた。こうして、彼らは目で見ることなく、心で悟らず、立ち返らない。』
 ユダヤ人たちは、イエスをピラトに訴えた時に、「彼は、ユダヤ人の王だと自称している」言いました。これは、明らかにでっち上げです。イエスは、神の国のことは、よく話されましたが、自分が王などとは言っていません。ピラトもイエスに尋ねます。「お前は、ユダヤ人の王なのか」と。しかし、イエスは、それは、他の者がそう言っているに過ぎない。私の国は、この世に属していない。わたしの国は、この世の国とは違うのだと言っています。
 結局、神の国は、この世では実現できませんでした。イエス様の十字架の死をもって、一粒の麦が地に落ちて死ななければ、実を結ばないように、イエスの死をもってしか、実現しなかったのです。ここでのメシアは、栄光の姿のメシアではなく、苦難の中にある、人々から返り見られないみすぼらしいメシアでした。まさに、イザヤ書53章に書かれたメシアでした。キリストの受難と死でもってしか贖われない人間の罪でした。人々は本当の神の国を見出すことができなかったのです。
  しかし、一粒の麦の死は、よみがえって実を結ぶことになるのです。十字架の死は、悲劇的な終わりではありませんでした。それは、復活と言う再生の始まりでした。つい先日まで、桜の花のすばらしさを味わいました。そのあとにすぐ、私の住んでいる多米の山すそでは、黄色い山吹の花も咲き、山藤のムラサキの花の蕾も、真っ白いコデマリの花も咲き出しました。それは、わずか一月前ぐらいは、冬枯れで死んだようなさびしい枝しかなかった山の木々が、春の暖かい息吹でまさに、復活したのです。人間の死も同じです。死は終わりではありません。復活という再スタートの日なのです。
  イエスキリストは、ご自分の死を通して、私たちに、本当の神の国の姿を示されました。そして、私たちのすぐそこにそれがあることを教えられました。なかなかこの世では実現不可能ですが、見方によっては、既に神の国はそこにも、ここにも、来ているのです。新しい天と地は、遠い未来だけのものではありません。すぐそこに、あるものなのです。
  イザヤ書60章19節「太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず、月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となり、あなたの神があなたの輝きとなられる。」
  私たちの復活は、未来ではなく、今、すぐに始まっているものだと思います。罪の体が死んで、霊の体となって、神の国の中で生かされているのです。そのことに感謝したいと思います。

今月の行事予定
□    8日(水)  聖書に聴き祈る会
□      9日(木) 田原牧師滞在日
□  11日(土)  田原夕礼拝
□    12日(日)  日曜礼拝、ギデオン立証、女性会、男性会
    15日(水)  聖書に聴き祈る会
    16日(木)  田原牧師滞在日
□  18日(土)  田原夕礼拝
     19日(日) 日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
     22日(水)  聖書に聴き祈る会
     23日(木)  田原牧師滞在日
□  25日(土)  田原夕礼拝
     26日(日) 日曜礼拝
     29日(水)  聖書に聴き祈る会
     30日(木)  田原牧師滞在日

編集後記 
  イースターを多くの方と祝うことができました。日本では残念ながらイースターに無関心で、メディアにも出てきません。皮肉なことに、スリランカでのあの悲惨な事件があったことで、それが、イースターの礼拝に多くの信者が集まった時のことで、それで、今日は、イースターと言う日なんだなと日本の人々は知ったのです。クリスマスは日本でも年中行事の一つとして堂々と存在を示していますが、イースターも、早く、最も価値ある日としてその存在を共に味わえるようになりたいと思います。原稿をお寄せください。



2019年5月4日土曜日

復活後第2主日礼拝のご案内。20190505

復活後第2主日礼拝(5/5)は

野口勝彦牧師による

「あなたがたに平和があるように」

の説教で守られます。

どちらの礼拝も、どなたもご自由にご出席ください。

 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
ルカによる福音書24章36節~43節