2021年4月27日火曜日

復活節第5主日礼拝のご案内。20210502

                               復活節第5主日礼拝  (5/2)は


野口勝彦牧師の

「まことのぶどうの木

の説教で守られます。



愛知県(名古屋市)には、4月20日からまん延防止等重点措置が取られていますが、礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
ヨハネによる福音書15章1節~8節



パラダイス。20210424

 田原礼拝所は、今、様々な花に囲まれ、ご覧の通りまさに地上のパラダイスとなっています。










2021年4月19日月曜日

復活節第4主日礼拝のご案内。2021042425

                            復活節第4主日礼拝  (4/24・25)は


野口勝彦牧師の

「良い羊飼い

の説教で守られます。



愛知県(名古屋市)には、4月20日からまん延防止等重点措置が取られますが、礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」
ヨハネによる福音書10章11節~18節



《三遠地区使信 №1151》2020418 「まさしくわたしだ」

 「まさしくわたしだ」

4月も半ばを過ぎ、間もなくゴールデンウイークがやってきます。私は、いつもゴールデンウイークが近づいてくると、一つの出来事を思い出します。前回の使信の中で、今年、神学校入学20周年を迎えたことを書きましたが、2006年当時、下関教会牧師であった神学校同期の牧師と電話で話をする機会がありました。その中で、教会にJR西日本の一人の社員の方が訪問されたという話がありました。その話は、4月25日、午前9時18分に教会の鐘を鳴らしてほしいということで訪問されたというものでした。今から16年前、つまり、2005年4月25日、午前9時18分。それは、尼崎JR脱線事故が起きた時間です。制限速度を大幅にオーバーした快速列車は脱線し、近くのマンションに激突しました。そして、その瞬間に、107人もの貴い命が失われることになったのです。

お母さんをこの事故でなくされた娘さんは、事故一年近くが立ってからの新聞社のアンケートの自由記入欄に亡くなられたお母さんへの思いを次のように綴っています。「お母さんもうすぐ一年だね。いろいろあったよ、ありすぎてうまく話せないけど・・・。お父さんね、あのとき、必死で探したんだよ。何日も朝晩関係なく。見つかった後は、気持ちと関係なく法要で追われてね。その間ずっとろくに寝られなくって、気づいたらね、お父さんが変わってたよ。あんなに亭主関白で子供にも弱さを見せなかった人が、毎日いろんな人に『すまんな、すまんな』って泣いてたよ。孫に『どうしておじいちゃんが謝るの?』って言われてまた泣いてたよ。お父さんは今もお母さんを探してるよ。どこにいてもお母さんの面影を探してね。お母さんがどうしたら今回のことを納得してくれるか?それを考えるのが今の生活のすべてのようです。お母さんのことをどれだけ愛しているか痛いほど、感じてしまうのよ。できることなら、お母さんに見せてあげたいぐらい・・・、お母さんなら見なくても分かったかな・・・。お母さんの存在が大きすぎて、わたしたちではなかなか穴埋めができないよ。なんとかしたいと走り続けてきたけど、さすがに疲れちゃった。一周忌が過ぎたら、少しゆっくりしていい?これからもお父さんを見ていくから。最後に・・・お父さん、お母さんが夢に出てこないって、寂しがってたよ。時々は夢に出てきてやって。それだけで励みにできるだろうから・・・。」

 イエスさまを十字架の死によって失った弟子たちもこの親子と同じような苦しみに出会っていたはずです。そんな苦しみに出会った彼らの目の前に、いや、私たちの目の前に、今、復活されたイエスさまが現れたのです。そして、自分たちの常識に囚われ、その復活されたイエスさまに「疑い」をかける私たちに、その「常識」を「疑い」を取り去るために次のように言われるのです。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ」(ルカ24:39)私たちは、このイエスさまの言葉に感謝し、今年も尼崎JR脱線事故を覚え、祈りたいと思います。 

みのり・岡崎 野口勝彦



2021年4月13日火曜日

復活節第3主日礼拝のご案内。2021041718

 復活節第3主日礼拝  (4/17・18)は


野口勝彦牧師の

「まさしくわたしだ

の説教で守られます。



愛知県独自の厳重警戒宣言は解除されていますが、完全に終息するまで感染防止のための新しい生活様式に従った形で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。
ルカによる福音書24章36節~48節




2021年4月6日火曜日

復活節第2主日礼拝のご案内。2021041011

  復活節第2主日礼拝  (4/10・11)は


野口勝彦牧師の

「真ん中に

の説教で守られます。


愛知県独自の厳重警戒宣言は解除されていますが、完全に終息するまで感染防止のための新しい生活様式に従った形で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。 これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
ヨハネによる福音書20章19節 ~31節