「まさしくわたしだ」
4月も半ばを過ぎ、間もなくゴールデンウイークがやってきます。私は、いつもゴールデンウイークが近づいてくると、一つの出来事を思い出します。前回の使信の中で、今年、神学校入学20周年を迎えたことを書きましたが、2006年当時、下関教会牧師であった神学校同期の牧師と電話で話をする機会がありました。その中で、教会にJR西日本の一人の社員の方が訪問されたという話がありました。その話は、4月25日、午前9時18分に教会の鐘を鳴らしてほしいということで訪問されたというものでした。今から16年前、つまり、2005年4月25日、午前9時18分。それは、尼崎JR脱線事故が起きた時間です。制限速度を大幅にオーバーした快速列車は脱線し、近くのマンションに激突しました。そして、その瞬間に、107人もの貴い命が失われることになったのです。
お母さんをこの事故でなくされた娘さんは、事故一年近くが立ってからの新聞社のアンケートの自由記入欄に亡くなられたお母さんへの思いを次のように綴っています。「お母さんもうすぐ一年だね。いろいろあったよ、ありすぎてうまく話せないけど・・・。お父さんね、あのとき、必死で探したんだよ。何日も朝晩関係なく。見つかった後は、気持ちと関係なく法要で追われてね。その間ずっとろくに寝られなくって、気づいたらね、お父さんが変わってたよ。あんなに亭主関白で子供にも弱さを見せなかった人が、毎日いろんな人に『すまんな、すまんな』って泣いてたよ。孫に『どうしておじいちゃんが謝るの?』って言われてまた泣いてたよ。お父さんは今もお母さんを探してるよ。どこにいてもお母さんの面影を探してね。お母さんがどうしたら今回のことを納得してくれるか?それを考えるのが今の生活のすべてのようです。お母さんのことをどれだけ愛しているか痛いほど、感じてしまうのよ。できることなら、お母さんに見せてあげたいぐらい・・・、お母さんなら見なくても分かったかな・・・。お母さんの存在が大きすぎて、わたしたちではなかなか穴埋めができないよ。なんとかしたいと走り続けてきたけど、さすがに疲れちゃった。一周忌が過ぎたら、少しゆっくりしていい?これからもお父さんを見ていくから。最後に・・・お父さん、お母さんが夢に出てこないって、寂しがってたよ。時々は夢に出てきてやって。それだけで励みにできるだろうから・・・。」
イエスさまを十字架の死によって失った弟子たちもこの親子と同じような苦しみに出会っていたはずです。そんな苦しみに出会った彼らの目の前に、いや、私たちの目の前に、今、復活されたイエスさまが現れたのです。そして、自分たちの常識に囚われ、その復活されたイエスさまに「疑い」をかける私たちに、その「常識」を「疑い」を取り去るために次のように言われるのです。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ」(ルカ24:39)私たちは、このイエスさまの言葉に感謝し、今年も尼崎JR脱線事故を覚え、祈りたいと思います。
みのり・岡崎 野口勝彦
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