2021年5月17日月曜日

聖霊降臨礼拝のご案内。2021051523

                                   聖霊降臨礼拝  (5/23)は


野口勝彦牧師の

「助け主

の説教で守られます。


愛知県には、5月31日まで緊急事態宣言が発出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
ヨハネによる福音書15章26・27節、16章4節~16章15節





2021年5月13日木曜日

主の昇天礼拝のご案内。2021051516

                                 主の昇天礼拝  (5/15・16)は


野口勝彦牧師の

「昇天

の説教で守られます。


愛知県には、5月31日まで緊急事態宣言が発出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。
ルカによる福音書24章44節~53節



2021年5月4日火曜日

復活節第6主日礼拝のご案内。2021050809

                             復活節第6主日礼拝  (5/8・9)は


野口勝彦牧師の

「わたしの命令

の説教で守られます。



愛知県(名古屋市)には、4月20日からまん延防止等重点措置が取られていますが、礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
ヨハネによる福音書15章9節~17節

 

2021年4月27日火曜日

復活節第5主日礼拝のご案内。20210502

                               復活節第5主日礼拝  (5/2)は


野口勝彦牧師の

「まことのぶどうの木

の説教で守られます。



愛知県(名古屋市)には、4月20日からまん延防止等重点措置が取られていますが、礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
ヨハネによる福音書15章1節~8節



パラダイス。20210424

 田原礼拝所は、今、様々な花に囲まれ、ご覧の通りまさに地上のパラダイスとなっています。










2021年4月19日月曜日

復活節第4主日礼拝のご案内。2021042425

                            復活節第4主日礼拝  (4/24・25)は


野口勝彦牧師の

「良い羊飼い

の説教で守られます。



愛知県(名古屋市)には、4月20日からまん延防止等重点措置が取られますが、礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」
ヨハネによる福音書10章11節~18節



《三遠地区使信 №1151》2020418

 「まさしくわたしだ」

4月も半ばを過ぎ、間もなくゴールデンウイークがやってきます。私は、いつもゴールデンウイークが近づいてくると、一つの出来事を思い出します。前回の使信の中で、今年、神学校入学20周年を迎えたことを書きましたが、2006年当時、下関教会牧師であった神学校同期の牧師と電話で話をする機会がありました。その中で、教会にJR西日本の一人の社員の方が訪問されたという話がありました。その話は、4月25日、午前9時18分に教会の鐘を鳴らしてほしいということで訪問されたというものでした。今から16年前、つまり、2005年4月25日、午前9時18分。それは、尼崎JR脱線事故が起きた時間です。制限速度を大幅にオーバーした快速列車は脱線し、近くのマンションに激突しました。そして、その瞬間に、107人もの貴い命が失われることになったのです。

お母さんをこの事故でなくされた娘さんは、事故一年近くが立ってからの新聞社のアンケートの自由記入欄に亡くなられたお母さんへの思いを次のように綴っています。「お母さんもうすぐ一年だね。いろいろあったよ、ありすぎてうまく話せないけど・・・。お父さんね、あのとき、必死で探したんだよ。何日も朝晩関係なく。見つかった後は、気持ちと関係なく法要で追われてね。その間ずっとろくに寝られなくって、気づいたらね、お父さんが変わってたよ。あんなに亭主関白で子供にも弱さを見せなかった人が、毎日いろんな人に『すまんな、すまんな』って泣いてたよ。孫に『どうしておじいちゃんが謝るの?』って言われてまた泣いてたよ。お父さんは今もお母さんを探してるよ。どこにいてもお母さんの面影を探してね。お母さんがどうしたら今回のことを納得してくれるか?それを考えるのが今の生活のすべてのようです。お母さんのことをどれだけ愛しているか痛いほど、感じてしまうのよ。できることなら、お母さんに見せてあげたいぐらい・・・、お母さんなら見なくても分かったかな・・・。お母さんの存在が大きすぎて、わたしたちではなかなか穴埋めができないよ。なんとかしたいと走り続けてきたけど、さすがに疲れちゃった。一周忌が過ぎたら、少しゆっくりしていい?これからもお父さんを見ていくから。最後に・・・お父さん、お母さんが夢に出てこないって、寂しがってたよ。時々は夢に出てきてやって。それだけで励みにできるだろうから・・・。」

 イエスさまを十字架の死によって失った弟子たちもこの親子と同じような苦しみに出会っていたはずです。そんな苦しみに出会った彼らの目の前に、いや、私たちの目の前に、今、復活されたイエスさまが現れたのです。そして、自分たちの常識に囚われ、その復活されたイエスさまに「疑い」をかける私たちに、その「常識」を「疑い」を取り去るために次のように言われるのです。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ」(ルカ24:39)私たちは、このイエスさまの言葉に感謝し、今年も尼崎JR脱線事故を覚え、祈りたいと思います。 

みのり・岡崎 野口勝彦