2023年6月26日月曜日

聖霊降臨後第5主日礼拝 。20230702

                                                    聖霊降臨後第5主日礼拝

 (7/2)は


野口勝彦牧師の

「同じ報い

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。



 「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」
マタイによる10章40節~42節




2023年6月19日月曜日

聖霊降臨後第4主日礼拝 。2023062425

                                                    聖霊降臨後第4主日礼拝

 (6/24・25)は


野口勝彦牧師の

「神に対して生きている

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。


 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。 だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」 「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。 こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。 自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」
マタイによる福音書10章24節~39節

礼拝後、先週に続き、田原礼拝所の方からご覧の完熟のすももを沢山頂きました。感謝です。



2023年6月12日月曜日

聖霊降臨後第3主日礼拝 。2023061718

                                            聖霊降臨後第3主日礼拝

 (6/17・18)は


野口勝彦牧師の

「収穫は多いが、働き手は少ない

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。


 イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。 また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、 熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

マタイによる福音書9章35節~10章8節 


礼拝後、田原の信徒の方のお宅のすももを皆さんにお配りしました。感謝。


2023年6月6日火曜日

聖霊降臨後第2主日礼拝 のご案内。2023061011

  聖霊降臨後第2主日礼拝

 (6/10・11)は


野口勝彦牧師の

「罪人を招く愛

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。


 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マタイによる福音書9章9節~13

イエスがこのようなことを話しておられると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言った。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」そこで、イエスは立ち上がり、彼について行かれた。弟子たちも一緒だった。すると、そこへ十二年間も患って出血が続いている女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れた。「この方の服に触れさえすれば治してもらえる」と思ったからである。イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。「娘よ、元気になりなさい。あなたの信仰があなたを救った。」そのとき、彼女は治った。イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった。このうわさはその地方一帯に広まった。
マタイによる福音書9章18節~26節



《三遠地区使信 №1262》20230604「祝福されて」

 先月、5年ぶりに全国総会が開催されました。前回の5年前の全国総会は、みのり教会のA姉が全国総会直前に天に召され、私は東京に着いたその足で、豊橋に戻り葬儀を行いましたが、今回も岡崎教会のⅠ兄が全国総会直前に天に召され、東京から戻り、葬儀を行いました。天に召されたA姉・Ⅰ兄を覚えたいと思います。

その同じ月の26日、先日の使信でも紹介しました3月に天に召されたみのり教会のS姉の納骨式が行われました。当日は、雨予報でしたので、教会で納骨式を行い、後日、お墓に納骨する形で準備をしていましたが、出席者の方が教会に集合されると雨はぴったと止み、急遽、墓地で行うことになりました。雨上がりの曇り空、足場の悪さや、強風も心配されましたが、式が始まると雲の切れ間から光が差し込み、墓地の周りには青空が広がりました。出席者の方々はそのことに驚きながらも喜びに満たされました。その時、私は、昨年1月に天に召された岡崎教会のK姉の火葬場の扉が閉まる瞬間、曇り空が晴れ、K姉の棺が一筋の光で照らされた光景を思い出し、お二人共、神さまに祝福されて帰天されたのだと感じました。

また、今から18年前、私が牧師1年目の531日、神学校で同級生であった榎津重喜神学生が天に召されました。その葬儀は雨模様の中神学校で行われましたが、出棺の時雨は止み、光が差し込んできた光景を思い出しました。彼もやはり先のお二人と同様に神さまに祝福されて帰天したのだと今、改めて感じています。

さて、先週の日曜日、みのり教会では3人の方の洗礼・堅信式が行われました。3人の方は、コロナ禍の中、それぞれの思いで礼拝に出席されていましたが、私が、3人の方の洗礼志願を知ったのは、今年2月に3年ぶりに主日のお休みをいただいた東京滞在中に代議員の方からいただいたお電話でした。帰豊後、早速、礼拝時に3人の方に洗礼志願の意志を確認し、先週まで計7回の洗礼準備会を皆様もよくご存じの『LAOS講座第3号 真理を求めて-キリスト教の教理と信条-』を用いながら、洗礼志願者の3人の方と同時期に礼拝に出席されるようになった客員の方を含めて4人で行いました。これだけ多くの方と同時に洗礼準備会を行うことは私にとってはじめての経験でしたが、牧師から洗礼志願の方への一方的な学びの形にならず、洗礼志願の方々がお互いにそれぞれの感じ方などを共有しながら学ぶことができたことは、牧師の私にとってもとても新鮮で、貴重な体験でした。

洗礼・堅信式後には、同じコロナ禍の中202067日の三位一体主日に洗礼を受けられた方を含めて簡単な祝会を行うことができました。

洗礼は、信仰生活のはじまりです。受洗された方々おひりお一人が神さまに祝福されて帰天するまで与えられた信仰生活を守ることができますように、そして、今日の三位一体主日礼拝で転入式を行われるH姉も神さまに祝福された信仰生活を守ることができますよう祈りたいと思います。      

                             みのり・岡崎 野口勝彦