2021年7月31日土曜日

《三遠地区使信 №1166》2020801「平和の福音」

   「平和の福音」              

今日から8月、当初、東日本大震災の復興を世界に発信すると計画されたオリンピックが、コロナ禍の今、一年遅れで行われています。オリンピックは平和の祭典とも呼ばれますが、ルーテル教会でも8月の第一日曜日に平和を覚えて礼拝を守ります。

そのような中、先月18日の主日の朝、一つの訃報が届きました。その訃報は、東日本大震災被災地の仮設団地集会所で、ルーテルとなりびとが支援していた「*つるしびなプロジェクト」の中心メンバーの方ものです。そして、その訃報を知らせていただいた方は、現在、その復興公営住宅に住まわれている方で、その前週に北上川の名産であるしじみとあの大川小学校校区である長面浦(追波湾)のあさりを復興のしるしとして送っていただいた同じプロジェクトメンバーの方です。

「つるしびなプロジェクト」は、石巻市の河北ボランティア友の会の方が同じ地域の仮設団地に住む方々の支援のために行われたプロジェクトで、延べ1000名を超える方がこのプロジェクトに参加され、全国からも材料等を送っていただきました。

また、その訃報が届けられた同じ日に、児童74人と教職員10人が津波の犠牲となり、学校管理下で戦後最悪とされる事故の教訓を後世に伝えるための東日本大震災遺構「大川小学校」の一般公開が始まりました。先のプロジェクトが行われた仮設団地には、この「大川小学校」の地域の方も住まわれていました。

今、開催されているオリンピックでは、メダリストに副賞としてビクトリーブーケが授与されていますが、そのブーケには被災地の復興を願い、トルコギキョウ(福島県産)、ヒマワリ(宮城県産)、リンドウ(岩手県産)、ナルコラン(福島県産)などが使用されています。宮城県の花にヒマワリが選ばれたのは、先の「大川小学校」で子どもを亡くした親御さんたちが、子どもたちが避難するために目指した丘にヒマワリを植え、毎年そのヒマワリの世話をしながら子どもたちの思い出を紡いでいたからです。その中の8人のお母さんたちのわが子へ宛てた手紙や話をもとにつくられたのが絵本『ひまわりのおか』https://www.iwasakishoten.co.jp/book/b190789.htmlです。絵本にもなったこの話ですが、宮城県のヒマワリは、そうした被災者たちの思いも込められている花なのです。

先の天に召された方の葬儀の中で元東日本大震災ルーテル教会救援派遣牧師名の弔電が市長・市議会議員に続いて読まれたそうですが、この方から、プロジェクトのお昼の食前の祈りをお願いされ、毎回、その集会所でお祈りをしていました。お祈りをはじめて体験されたから「心が清らかになる」との応答もありました。

今日の第二の日課、エフェソの信徒への手紙 2章17節には「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げしらせました」と記されていますが、まさにこの方は、被災地にあって、被災者の方々に復興の平和の福音を、そのプロジェクトを通じて告げ知らせていたのです。

*詳細は本教会HP https://jelc.or.jp/jler/

 となりびとブログ https://lutheran-tonaribito.blogspot.com/2012/08/でご覧ください。

みのり・岡崎 野口勝彦





2021年7月27日火曜日

田原礼拝所の梅の実。20210724

 

田原礼拝所のシンボルツリーの梅の木。


毎年ご覧の通り沢山の梅の実を実らせてくれます。


今年は信徒の方が、この梅の実を使っておいしい梅干しとジャムにしてくださいました。

感謝です。






平和主日礼拝のご案内。202100801

                                                    平和主日礼拝  (8/1)は


野口勝彦牧師の

「平和の福音

の説教で守られます。


愛知県には「厳重警戒宣言」が発出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛した。私の愛にとどまりなさい。私が父の戒めを守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、私の戒めを守るなら、私の愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである。
ヨハネによる福音書 15章 9節~12節






2021年7月19日月曜日

聖霊降臨後第9主日礼拝のご案内。2021072425

           聖霊降臨後第9主日礼拝  (7/24・25)は


野口勝彦牧師の

「最も小さなものから

の説教で守られます。


愛知県には「厳重警戒宣言」が発出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。夕方になったので、弟子たちは湖畔へ下りて行った。そして、舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。既に暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところには来ておられなかった。強い風が吹いて、湖は荒れ始めた。 二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。
ヨハネによる福音書6章1節~21節




2021年7月12日月曜日

聖霊降臨後第8主日礼拝のご案内。2021071718

                                  聖霊降臨後第8主日礼拝  (7/17・18)は


野口勝彦牧師の

「飼い主のいない羊

の説教で守られます。


愛知県には「厳重警戒宣言」が発出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
 マルコによる福音書6章30節~34節

こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ。 一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。
マルコによる福音書6章53節~56節



礼拝後、田原の信徒の方の菜園のきゅうりをいただきました。感謝です。



《三遠地区使信 №1163》2020711「ルターの心を生きる」

「ルターの心を生きる」 

先月、私の手元に一冊の本が届きました。その本の名は『ルターの心を生きる』。著者は皆さんもよくご存知の元ルーテル学院大学学長の江藤直純牧師です。先生は、私の神学生時代の二年次からの神学校長であり、卒業論文の指導教官です。

その先生と最後にお会いしたのは、今から4年前の宗教改革500周年の年、つまり、20171111日、松本教会で行われた甲信地区宗教改革500周年記念礼拝・講演会*の説教者・講演者として先生をお招きした日です。私は、その当日の夜、松本教会に併設されている甲信地区センターに宿泊される先生を地元の温泉と食事にお連れしました。いつもとは少し違う様子の先生を記念礼拝・講演会でお疲れなのかと感じていましたが、翌日の松本教会での講壇奉仕*も滞りなく終わられ、帰京されました。

しかし、その翌月、ご病気で突然、学長を辞任されたことを知り驚きました。その後、先生との音信は途絶え、非常に気になっていました。

そして、今年、オンラインで開催されたルターセミナーに先生が参加されている姿に出会い、早速、お便りをしました。すると、お便りが届いた夜に先生からお電話をいただいたのです。そのお電話によるとセミナーに参加されたのも4年ぶりということでしたが、これまでの講演などをまとめた本を最近出版したので、その本を送ってくださるということになりました。

その2日後、聖文舎の方が『本のひろば』7月号を届けてくださり、中を見ると先生の本が紹介されていました。すると、その翌日、その本が届いたのです。早速、翌週の礼拝で教会の皆さんに紹介をさせていただき、このことを今日のこの使信に書いている最中に、先生から本の案内のお願いと『本のひろば』掲載の書評のコピーが届いたのです。

その案内には「もっとよく聴こう、もっとよく知ろう ルターの声を、その心を!」とキャッチコピーが掲げられ、本の「はじめに」には「歴史上の大きな節目である宗教改革500年の2017年を頂点に幾多の記念の礼拝や行事また学びの催しが、ルーテル教会はもちろんのこと、日本でも世界でも行われました。私もまたそれに奉仕するように招かれては、あちこちで語りました」と記されています。まさに、私は4年前に松本教会で、そのお話をお聞きしました。

また、本書の扉に「本書を謹んで、徳善義和先生に捧げる」と記されています。それは、徳善先生が神学校校長として最後の年に入学して20年を迎えた節目の今年、「宗教改革者ルターの信仰と神学は500年を経てなお何を語るのか」を改めてこの『ルターの心を生きる』を通して学ぶようにと、そして、それを伝えるようにと私を導いています。 

*長野・松本教会ブログhttps://naganomatsmoto.blogspot.com/search?updated-max=2017-11-22T00:25:00%2B09:00&max-results=5&start=10&by-date=falseでご覧いただけます》

 みのり・岡崎教会 野口勝彦








2021年7月7日水曜日

聖霊降臨後第7主日礼拝のご案内。2021071011

                        聖霊降臨後第7主日礼拝  (7/10・11)は


野口勝彦牧師の

「終わりが、始まり

の説教で守られます。


愛知県には、7月11日まで「まん延防止等重点措置」が出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている。」そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言った。実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。そこで、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。なぜなら、ヘロデが、ヨハネは正しい聖なる人であることを知って、彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていたからである。 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデが、自分の誕生日の祝いに高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと、ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり、ヘロデとその客を喜ばせた。そこで、王は少女に、「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い、更に、「お前が願うなら、この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。少女が座を外して、母親に、「何を願いましょうか」と言うと、母親は、「洗礼者ヨハネの首を」と言った。早速、少女は大急ぎで王のところに行き、「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが、誓ったことではあるし、また客の手前、少女の願いを退けたくなかった。そこで、王は衛兵を遣わし、ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持って来て少女に渡し、少女はそれを母親に渡した。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めた。
マルコによる福音書6章14節~29節