聖霊降臨礼拝 (6/5)は
「永遠にあなたがたと一緒に」
キリスト教ルター派教会:1517年にマルチン・ルターの宗教改革によりドイツで誕生したルーテル教会は、ドイツだけでなく北欧にも広がり、国民教会となりました。その後、アメリカにも渡り、更にアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどに至って今日全世界に存在するようになっています。2017年10月31日に宗教改革から500年を迎えました。
聖霊降臨礼拝 (6/5)は
「 神さまの花壇 」
5月も残り10日となりました。間もなく6月、梅雨の季節となりますが、今(5/11)、五月晴れの青空の下、新緑からの木漏れ日がこの牧師室に差し込んでいます。この季節になると私はいつも、新緑に包まれた信州の牧会時代を思い出します。
カトリック教会では「5月は聖母月としています。聖母月の信心は近世からのもので、18世紀のイタリアで盛んとなりました。この5月は、四季折々の中で春の訪れとともに自然界の実りをもっとも感じさせてくれ、また主の復活の喜びと希望に満ちた月でもあります。そのような思いをもってこの月をマリアにささげ、マリア崇敬のために祈り続ける信心が伝統としてなされてきたことは当然のように考えられます。」(カトリック中央協議会HP引用)夏の代表的な花であるマリーゴールドは、聖母マリアの祭日に咲いていたため「マリア様の黄金の花」とも呼ばれています。
先日まで田原礼拝所は、今年もデージーなどの花々が庭一面に咲き誇り、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23:43)いるようでした。
田原や豊橋などの東三河は全国有数の花卉栽培が盛んな地域で、いつも、街中に花が溢れています。
みのり・岡崎教会でも、信徒の方々のご奉仕で、いつも花壇には花が満ちています。先日も、豊橋礼拝所の入口の花壇に、日々草など夏から秋にかけての花が植えられました。
この花壇について、当時の、豊橋教会(みのり教会の前身)の牧師であった高塚先生が宣教50周年記念誌の中で次のように語っています。
「私は転任になると必ず。まず朝祷会がどこで行われているか探します。当時は、豊橋朝祷会は豊橋駅のすぐ近くの『まきの屋』という食堂の二階で行っていました」「朝早く起き。駅に隣接する食堂まで歩いて行きました」「初めてだったので自己紹介をしました。『今度ルーテル教会に来た高塚と言います』と言うと一人の年配の方が」『あそこは幽霊屋敷だね』『近所に迷惑しているよ』と意地悪そうに言いました」「確かに見栄えの悪い教会でした。周囲の人たちが『幽霊屋敷』と呼ぶのも無理からぬことかもしれません」「何となく落胆しながらぶらぶら教会に戻りました。途中」「一人の魚屋さんのような格好をした中年の方が手際よく前日の野菜や魚の残りを片付け、あたりをほうきできれいにしていました。何ともない光景だったのですが、しばし心を奪われました。我に返り、『そうだ、幽霊屋敷を神様の教会にしよう。草をとりバス停の前に花壇を作り、花を植えよう』と言う思いにかられ、勇んで教会に戻りました」
それから50年、この花壇は様々な信徒の方々の奉仕で守られ、いつもきれいな花を咲かせ、教会の前を通る人々の心を和まし、神さまの平安を伝えています。
各教会での日頃の献花奉仕、花壇奉仕等の皆様に改めて感謝したいと思います。
みのり・岡崎 野口勝彦
主の昇天主日礼拝 (5/29)は
復活節第6主日礼拝 (5/21・22)は
復活節第5主日礼拝 (5/14・15)は
「主の復活を覚える季節」
今日から5月に入りました。世の中はゴールデンウイーク真っ最中です。この原稿を書いている今(4/23)、豊橋礼拝所の牧師室の窓からは、満開になったモツコウバラとジャスミンの香りが漂い、春、真っ盛りなことを伝えています。
そのような中、先日、一通の機関紙が教会に届きました。その機関紙の名は『るうてるホーム後援会ニュース』。皆さんもよくご存じの西教区にある社会福祉法人です。そのホームページには「設立の目的と私たちの働き」が「日本福音ルーテル教会婦人会連盟(現在は女性会連盟)は、長年の間、高齢の方々の様々なご苦労を見聞きして心を痛めてきました。戦後の苦しい時代を経験し、自らは前の代の方々に仕えてこられ、いつか自分の順番になった時に疲れた心と体を休める場とすることができるよう、聖書にある長老者敬愛の教えに基づいた『るうてるホーム』を建てるに至りました。その後もルーテル教会をはじめとした、多くの方々の支援により、特別養護老人ホーム、デイサービスセンターなど高齢者福祉全般のサービスを展開してきました」と紹介されています。
そのホームの評議員である徳野昌博牧師が、その機関紙に「主の復活を覚える季節に」と題して、巻頭言を次のように寄せられています。「この原稿を依頼され、着手したのは3月20日。母照代の命日です。亡くなったのは一年前。その日までの約十二年間、母は『るうてるホーム』を『終の棲家』として生活しました。百年の人生最後の日々を『るうてるホーム』で過ごすことができ、感謝しています」(中略)「そんな愛する母が亡くなったのは、イエス様の十字架の苦しみと死に思いをいたす四旬節最中の土曜日でした。週が明けた22日の月曜日に、ホームの礼拝堂で、大柴譲治牧師司式のもと、葬儀を営みました。母を主なる神様のみ手におゆだねすることができ、『これで大丈夫』と悲しみの中にあっても、私たち遺された者は安堵しました。」(中略)「その十字架のイエス様のゆえに、私は安堵したのです。母はただただ、『神様の憐れみ』のうちに生かされて生き、そして死にました。そこにこそ、彼女の復活があると思っています。彼女は、イエス様の生き方、あり方のすべてを、聖書を通して思い巡らしながら、一人ひとりが小さなキリストとなって生かされて、生きていることを感謝のうちに確信していたことでしょう。」
この巻頭言を読んだ時、私も昨年3月2日に天に召された父親のことを思いました。
今は、私たちひとり一人のために復活されたイエスさまを覚える復活節の時、私たちも、徳野先生のお母様のように天に召されるその時まで感謝して小さなキリストとなって毎日を過ごしていけるよう祈ることができればと思います。
るうてるホーム「設立の目的と私たちの働き」は「このように私たちはルーテルグループの一員として、これからも地域社会に仕え、キリストの愛を伝えていくためにチャレンジを続けていきます」と結ばれています。
みのり・岡崎 野口勝彦
復活節第4主日礼拝 (5/7・8)は