2022年5月4日水曜日

《三遠地区使信 №1205》20220501 「主の復活を覚える季節」

                                                   「主の復活を覚える季節」          

  今日から5月に入りました。世の中はゴールデンウイーク真っ最中です。この原稿を書いている今(4/23)、豊橋礼拝所の牧師室の窓からは、満開になったモツコウバラとジャスミンの香りが漂い、春、真っ盛りなことを伝えています。


 そのような中、先日、一通の機関紙が教会に届きました。その機関紙の名は『るうてるホーム後援会ニュース』。皆さんもよくご存じの西教区にある社会福祉法人です。そのホームページには「設立の目的と私たちの働き」が「日本福音ルーテル教会婦人会連盟(現在は女性会連盟)は、長年の間、高齢の方々の様々なご苦労を見聞きして心を痛めてきました。戦後の苦しい時代を経験し、自らは前の代の方々に仕えてこられ、いつか自分の順番になった時に疲れた心と体を休める場とすることができるよう、聖書にある長老者敬愛の教えに基づいた『るうてるホーム』を建てるに至りました。その後もルーテル教会をはじめとした、多くの方々の支援により、特別養護老人ホーム、デイサービスセンターなど高齢者福祉全般のサービスを展開してきました」と紹介されています。

 そのホームの評議員である徳野昌博牧師が、その機関紙に「主の復活を覚える季節に」と題して、巻頭言を次のように寄せられています。「この原稿を依頼され、着手したのは3月20日。母照代の命日です。亡くなったのは一年前。その日までの約十二年間、母は『るうてるホーム』を『終の棲家』として生活しました。百年の人生最後の日々を『るうてるホーム』で過ごすことができ、感謝しています」(中略)「そんな愛する母が亡くなったのは、イエス様の十字架の苦しみと死に思いをいたす四旬節最中の土曜日でした。週が明けた22日の月曜日に、ホームの礼拝堂で、大柴譲治牧師司式のもと、葬儀を営みました。母を主なる神様のみ手におゆだねすることができ、『これで大丈夫』と悲しみの中にあっても、私たち遺された者は安堵しました。」(中略)「その十字架のイエス様のゆえに、私は安堵したのです。母はただただ、『神様の憐れみ』のうちに生かされて生き、そして死にました。そこにこそ、彼女の復活があると思っています。彼女は、イエス様の生き方、あり方のすべてを、聖書を通して思い巡らしながら、一人ひとりが小さなキリストとなって生かされて、生きていることを感謝のうちに確信していたことでしょう。」

 この巻頭言を読んだ時、私も昨年3月2日に天に召された父親のことを思いました。

 今は、私たちひとり一人のために復活されたイエスさまを覚える復活節の時、私たちも、徳野先生のお母様のように天に召されるその時まで感謝して小さなキリストとなって毎日を過ごしていけるよう祈ることができればと思います。

 るうてるホーム「設立の目的と私たちの働き」は「このように私たちはルーテルグループの一員として、これからも地域社会に仕え、キリストの愛を伝えていくためにチャレンジを続けていきます」と結ばれています。 

みのり・岡崎 野口勝彦





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