2023年4月24日月曜日

《三遠地区使信 №1256》20230423「ガリラヤで会おう」

  イースターから二週間が過ぎました。今年のイースターは、コロナ感染終息の兆しもあり、例年以上に喜び満ちたイースターになりました。そのイースターの日に、福岡から一つのプレゼントが届きました。そのプレゼントは、福岡の教会の90歳を超えた一人の信徒の方のからのプレゼントで、イースターに合わせて福岡銘菓のひよ子を送ってくださいました。

その方は、長く教会役員を務められ、私がその教会を牧会している時には、よく礼拝後に、教会に来られない信徒の方々への訪問や聖餐などのお供をしてくださいました。その方の配偶者の信徒の方の召天時は、教会定期総会の日でしたが、病室でその配偶者の方を囲み、ご家族と一緒に聖餐式を行い、最期の時を共に過ごしました。90歳を超えた今もお一人で、JRに乗って、毎週、礼拝に出席されています。

さて、今年のイースター(4月9日)の福音書には次のように記されていました。

「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました」(マタイ 28:7)

「ガリラヤ」、それは、イエスさまの生涯とその宣教活動の主要舞台となった土地です。そして、その土地は、イエスさまの生活の場であり、苦しみと喜びの場です。今、死から復活されたイエスさまは、その苦しみと喜びの場におられると言うのです。

私が牧師としてはじめて迎えたイースターは、先の信徒の方の教会で、今から18年前の2005年3月27日ですが、その日の礼拝は、笠井牧師の召天により、2001年度末からその年3月末までの約4年間にわたり牧会委嘱されていた園田牧師(2020年3月29日召天)の牧会委嘱最後の説教で守られました。その礼拝の中では、毎週献花の奉仕をされていた信徒の方のお母様の洗礼式が行われ、礼拝後、イースター祝会と共に、洗礼のお祝い、園田牧師ご夫妻の感謝会を共に持ちました。

この時の説教題は「ガリラヤで会おう」。その前週の主日、つまり、2005年3月20日10時53分、牧師としての初めての説教直前で最大震度6弱の福岡県西方沖地震が発生し、当時、牧会していた福岡市内のもう一つの教会の牧師館が大きな被害を受けました。

そして、その翌週のイースター、まさに復活されたイエスさまが、私たちの苦しみと喜びの生活の場である「ガリラヤ」で待っていてくださり、その後の福岡での様々な苦しみも喜びも共にしてくださいました。被災した牧師館も2年後には、その使命を終え、解体され、教会菜園として見事に復活しました。


私たちも私たちひとり一人の生活の場で復活されたイエスさまに支えられ、先の信徒の方のように、90歳を過ぎても毎週礼拝に出席し続けることができるよう祈りたいと思います。   

みのり・岡崎 野口勝彦

 

復活節第4主日礼拝 のご案内。20230430

                                                   復活節第4主日礼拝

 (4/30)は


野口勝彦牧師の

「本当に、本当に

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでください。尚、感染状況等によっては礼拝休止の場合もあります。 



「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。
ヨハネによる福音書10章1節~10節 




2023年4月17日月曜日

復活節第3主日礼拝 のご案内。2023041516

                   復活節第3主日礼拝

 (4/22・23)は


野口勝彦牧師の

「春のように明るい顔で

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでください。尚、感染状況等によっては礼拝休止の場合もあります。

 ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

ルカによる福音書24章13節~35節


礼拝後、信徒の方が掲示板の塗り替えと花壇の植え替えをしてくださいました。感謝です。




2023年4月13日木曜日

《三遠地区使信 №1253》20230402「復活と命」

  今日は主のエルサレム入城(枝の主日)です。今日から受難週に入りますが、先月、みのり教会では二人の方を天に送り出しました。お一人は、高師教会時代からみのり教会の礼拝に毎週通われ、豊橋礼拝所の礼拝堂建築に深く関わられた方です。そして、もう一人は私の前任者である三浦知夫牧師です。みのり教会は今年11月8日に宣教70周年を迎えますが、その記念礼拝の説教者としてお迎えする予定でした。三浦牧師は今から20年前の2003年4月1日にみのり教会に着任されました。その年の4月6日の三遠地区使信に着任挨拶を次のように書かれています。「この度、みのり教会に着任し、この地区で皆様と共にあゆんでいくことになりました三浦知夫と申します。簡単に自己紹介をしますと、私は1967年に静岡県掛川市で生まれました。現在35才です」「生まれて間もなく、掛川教会で洗礼を受けましたので、私のスタートは東海教区なのですが、残念ながら赤ん坊のうちに転居をしていますので、私には記憶がありません」「牧師には、教会や時の移り変わりによって変わらねばならない部分もあると思います。しかし、変わってはならない部分もあるのです。このことは牧師に限らず、教会自体にも、また、ひとりひとりの信仰者にも当てはまることではないでしょうか。教会が変わろうとしている今、そんなことを確認しながら、皆様と共にあゆんでいけたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。主に在って」
 その後15年間、みのり教会での伝道牧会をはじめ、東海教区長等も歴任されました。2018年3月11日の最後の使信では次のように書かれています。「4月より新しい任地での歩みを始めることになりました。この地区で、みのり教会で過ごした15年間を感謝応あふれる思いで思い返しています。私にとりましてこの15年は、教会の皆さんと―緒に歩んだ15年であったと感じているのです。牧師と信徒は、向かい合うという関係であるだけでなく、むしろ多くの時間を共に神様に向かい、共に人々に向かって過ごすということを経験した15年だったからです。教会に来られた方を教会の皆さんと共にもてなし、『またお越しください』とその方に共に葉書を書く、病床にある方、ご高齢の方を共にお訪ねし、その方々のために祈り、また 共に『お祈りしています』とお便りを書く、ということを続けながら、教会の皆さんと一緒に歩んだ15年だったのです」
 三浦牧師はその言葉通り、天に召される25時間前に次のようなメールを私に出されました。「野口先生お差し支え(なけれ)ば教えて頂きたいのですが、Sさんらしき方の遺影をTのNさんのフェスブックに見つけたのですが・・。まさかと思っていますが、召されたのでしょうか?」

 三浦牧師は、このように本当に最後の最後まで牧会者としての使命を果たされたのです。イエスさま「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」言われます。私たちは、十字架の道を進まれるイエスさまを覚えながら、このみ言葉を信じ、天に召されたお二人のことを覚えたいと思います。

                        みのり・岡崎 野口勝彦







2023年4月11日火曜日

復活節第2主日礼拝 のご案内。2023041516

                                                       復活節第2主日礼拝

 (4/15・16)は


野口勝彦牧師の

「あなたがたに平和があるように

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでください。尚、感染状況等によっては礼拝休止の場合もあります。

                   


その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

ヨハネによる福音書20章19~31節






 

                   


2023年4月3日月曜日

聖金曜日(主の受難日)・主の復活礼拝 。2023040709

              聖金曜日(主の受難日)礼拝

 (4/7)は


10時30分より豊橋礼拝所にて行います。




              主の復活礼拝

 (4/9)は

野口勝彦牧師の

「ガリラヤで

の説教で守られます。

礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでください。尚、感染状況等によっては礼拝休止の場合もあります。

                  


さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

                         マタイによる福音書28章 1節~10節


復活しました。


礼拝後、ご覧の信徒の方の手づくりの品々や福岡から届いたお菓子などが配られました。