今日は主のエルサレム入城(枝の主日)です。今日から受難週に入りますが、先月、みのり教会では二人の方を天に送り出しました。お一人は、高師教会時代からみのり教会の礼拝に毎週通われ、豊橋礼拝所の礼拝堂建築に深く関わられた方です。そして、もう一人は私の前任者である三浦知夫牧師です。みのり教会は今年11月8日に宣教70周年を迎えますが、その記念礼拝の説教者としてお迎えする予定でした。三浦牧師は今から20年前の2003年4月1日にみのり教会に着任されました。その年の4月6日の三遠地区使信に着任挨拶を次のように書かれています。「この度、みのり教会に着任し、この地区で皆様と共にあゆんでいくことになりました三浦知夫と申します。簡単に自己紹介をしますと、私は1967年に静岡県掛川市で生まれました。現在35才です」「生まれて間もなく、掛川教会で洗礼を受けましたので、私のスタートは東海教区なのですが、残念ながら赤ん坊のうちに転居をしていますので、私には記憶がありません」「牧師には、教会や時の移り変わりによって変わらねばならない部分もあると思います。しかし、変わってはならない部分もあるのです。このことは牧師に限らず、教会自体にも、また、ひとりひとりの信仰者にも当てはまることではないでしょうか。教会が変わろうとしている今、そんなことを確認しながら、皆様と共にあゆんでいけたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。主に在って」
その後15年間、みのり教会での伝道牧会をはじめ、東海教区長等も歴任されました。2018年3月11日の最後の使信では次のように書かれています。「4月より新しい任地での歩みを始めることになりました。この地区で、みのり教会で過ごした15年間を感謝応あふれる思いで思い返しています。私にとりましてこの15年は、教会の皆さんと―緒に歩んだ15年であったと感じているのです。牧師と信徒は、向かい合うという関係であるだけでなく、むしろ多くの時間を共に神様に向かい、共に人々に向かって過ごすということを経験した15年だったからです。教会に来られた方を教会の皆さんと共にもてなし、『またお越しください』とその方に共に葉書を書く、病床にある方、ご高齢の方を共にお訪ねし、その方々のために祈り、また 共に『お祈りしています』とお便りを書く、ということを続けながら、教会の皆さんと一緒に歩んだ15年だったのです」
三浦牧師はその言葉通り、天に召される25時間前に次のようなメールを私に出されました。「野口先生お差し支え(なけれ)ば教えて頂きたいのですが、Sさんらしき方の遺影をTのNさんのフェスブックに見つけたのですが・・。まさかと思っていますが、召されたのでしょうか?」
三浦牧師は、このように本当に最後の最後まで牧会者としての使命を果たされたのです。イエスさま「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」言われます。私たちは、十字架の道を進まれるイエスさまを覚えながら、このみ言葉を信じ、天に召されたお二人のことを覚えたいと思います。
みのり・岡崎 野口勝彦
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