2021年6月28日月曜日

聖霊降臨後第6主日礼拝のご案内。20210704

         聖霊降臨後第6主日礼拝  (7/4)は


野口勝彦牧師の

「絶望から希望へ

の説教で守られます。


愛知県には、7月11日まで「まん延防止等重点措置」が出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。
マルコによる福音書6章1節~13節

 

2021年6月21日月曜日

聖霊降臨後第5主日礼拝のご案内。2021062627

                     聖霊降臨後第4主日礼拝  (6/26・27)は


野口勝彦牧師の

「ただ、信じる

の説教で守られます。


愛知県には、7月11日まで「まん延防止等重点措置」が出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


イエスが舟に乗って再び向こう岸に渡られると、大勢の群衆がそばに集まって来た。イエスは湖のほとりにおられた。会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。 そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。
マルコによる福音書5章21節~43節 



今日のお土産は、田原礼拝所の信徒の方のお宅で採れた甘いプチトマトでした。感謝。




2021年6月20日日曜日

《三遠地区使信 №1160》2020620 「ひとりでに」 

        「ひとりでに」           

 教会の暦は今、聖霊降臨後の期節、典礼色は緑です。典礼色の緑は「希望と成長」を表しています。その「希望と成長」の期節を表すかのように、今、豊橋礼拝所の周りには様々な花々が咲いています。そして、玄関近くの木に初めて作られたヒヨドリの巣の卵が孵り、四羽の雛が親鳥に餌をもらい、巣立ち、そのうちの三羽が16日の雨上がりの早朝に旅立ちました。【このブログでご覧いただけます】

先週の主日の福音書の日課は、まさにその情景にぴったりなみ言葉でした。新共同訳の小見出しでは、「『成長する種』のたとえ」と「『からし種』のたとえ」、「たとえを用いて語る」という三つの小見出しがつけられ、そのすべてに「たとえ」という言葉が含まれていました。

「たとえ」、それは、分かりやすい例を用いて、物事の本質を説明することです。イエスさまは、この「たとえ」を多く語られました。そして、そのはじめの「たとえ」で次のよう言われます。

「また、イエスは言われた。『神の国』は、次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実をむすばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである」

 ここに登場する人物は、種を土の上に蒔くだけで、あとは自然と実が実るのをただ待っているという話になっています。普通、私たちが、何かの種を蒔くとき、ただ、蒔くだけではなく、その蒔いたところに、水を遣り、肥料を与え、時にはその周りの雑草を抜いたり、害虫を駆除したりと、様々な努力をするのではないでしょうか。

しかし、今日のこの「たとえ」では、種を蒔いた人は、ただ「夜昼、寝起きしている」だけで「種は芽を出して成長する」としか記されていません。何もしなくても「種は芽を出して成長する」というのです。そして、その理由について「どうしてそうなるのか、その人は知らない」と記され、さらに続けて「土はひとりでに実を結ばせる」と記されます。「土はひとりでに」、それは、種を蒔いた人の努力ではなく、「土」の方が自然とその「種の実を結ばせる」ということです。

つまり、「神の国」とは、私たちの努力ではなく、神さまが一方的に与えてくださるものであるということを。そして、私たちができることは、ただ、その神さまを信頼し、そのことを信じ続けることであるとイエスさまは、この「たとえ」を通して語っています。

そして、神さまは、それを証するギリシア語で愛の花を意味するアガパンサスを今年も「ひとりでに」教会の庭に、咲かせてくださっています。  

  野口勝彦




2021年6月17日木曜日

旅立ち!20210617

 昨日までの三日間、夜明けとともに雛たちの声で目覚めていましたが、今日(6/17)はやけに静かな、ご覧の通り雨上がりの快晴の朝でした。




もしやと思い、雛たちを見に行くと、そこは、ご覧の通り、もぬけの殻。


隣の家の方から親鳥たちの声がするので、どうやら、この雨あがりの快晴の中、旅立ったようです。
そう言えば、昨日の夕方、いつも同じ場所にいた一羽が飛ぶ練習?のためか動画のようにばたばたしなから周りを動き回っていました。その姿を親鳥が遠くから見守っていました。



これが最後(6/16夕方)の姿となりました。



これで、雛からから解放されてほっとしましたが、寂しさもあります。
立派な大人に成長するようお祈りください。



2021年6月14日月曜日

聖霊降臨後第4主日礼拝のご案内。2021061920

 聖霊降臨後第4主日礼拝  (6/19・20)は


野口勝彦牧師の

「黙れ。静まれ

の説教で守られます。


愛知県には、6月20日まで緊急事態宣言が発出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。
マルコによる福音書4章35~41節 

昨日の礼拝後、田原礼拝所信徒の方のご自宅で採れたプラムをご覧の通り分かち合いました。感謝です。



田原礼拝所では、今、ひっそりと紫陽花の花がご覧の通りきれいに咲いています。



2021年6月12日土曜日

誕生~巣立ち20210612・14~16

ご覧の 豊橋礼拝所の玄関近くの木にヒヨドリが知らないうちに巣を作りました。






毎日、親鳥が昼夜をたがわず、卵を温めた結果



ご覧の通り三羽のかわいい雛が誕生しました。


毎日、ピーピーかわいい声で鳴いて、口をパクパクして餌をねだっています。


夫婦のヒヨドリは毎日、朝夕と、雛のために虫などを口に銜えて、ヒナドリにえさをせっせっと運んでいます。





三羽の雛が無事、巣立つよう、見守り、お祈りください。


今朝(6月14日)巣を覗いてみると、雛たちはこんなに大きくなっていました。




この直後(お昼頃)に、親鳥の異様な鳴き声で巣の方に向かうと、三羽のカラスが巣立ち直前の雛を襲い、1羽の雛が連れ去れるところを目撃しました。その後、玄関近くに一羽が落ちているのを見つけ、死んでいるものと思い、教会の庭に埋めようとしたところ、動きはじめていたので、助けようとしましたが、親鳥たちの攻撃もあり、とりあえずスコップと塵取りで安全な場所に移動させ、様子を見ることにしました。
そして、暫くするとその場所にはいなくなっていましたので、無事、巣立ったと思い安心していました。
すると、玄関側とは反対の牧師室で仕事をしていると、窓の外から親鳥の声が聞こえてくるではありませんか。ふと、窓の外を見ると、先程助けた雛がご覧の通り、巣立ち、こちらを見ているでのです。


そして、親鳥がご覧の通り、最後の餌を与えて、


親鳥夫婦もご覧の動画の通り、お礼を言うよにやってきて、雛は旅立ちました。


自然の厳しさと、神さまの計らいを感じた一日でした。

と思ったら、周りで親が鳴いているので裏口を出たら




調べてみたら、1カ月は親の保護下で過ごすとか、暫く、見守りは続きそうです。

今日(6/15)も親鳥は牧師室のすぐ横のモツコウバラの木にとまっている雛に
昼間は1時間毎にせっせと餌をご覧の通り運んでいます。その姿はまさに親の鏡です。



今朝、また違うところから、雛の餌を求める声がするので教会の周りを捜しましたが見当たりませんでした。ふと、お昼ご飯の時に、二階の牧師館から下を覗くとなんとご覧の通り



早速、兄弟姉妹のいるところにご覧の通り移動させました。


          親鳥たちも雛の世話を一度にできると思います。





これで、4羽の雛の内、カラスに連れ去られた1羽を除いた三羽の生存を確認できました。

巣立ちから三日目の今日は、本格的な雨。昨日雨除けを急遽、設置したおかけで、雨にも濡れずに二羽は寄り添ってご覧の通り雨宿りをしています。




雨の中、親鳥たちは子どもたちのために、今日も1時間毎に餌を運んでいます。






2021年6月7日月曜日

聖霊降臨後第3主日礼拝のご案内。2021061213

                               聖霊降臨後第3主日礼拝  (6/12・13)は


野口勝彦牧師の

「ひとりでに

の説教で守られます。


愛知県には、6月20日まで緊急事態宣言が発出されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。

また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。
マルコによる福音書4章26~34節 


昨日の礼拝後、田原礼拝所の梅の実をご覧の通り分かち合いました。


豊橋礼拝所の庭には、今、ヒヨドリ?の巣がご覧の通り作られています。教会は鳥にとっても安心できるようです。