2022年4月28日木曜日

完全復活!20220428

先日から再修理していたリードオルガンが、本日、完全に復活して今、搬入されました。



綺麗に化粧直しもされて、来年の宣教70周年を迎えます。



 

2022年4月25日月曜日

復活節第3主日礼拝のご案内。20220501

                             復活節第3主日礼拝  (5/1)は


野口勝彦牧師の

「何もかもご存知です

の説教で守られます。

愛知県には、3月22日から「厳重警戒」における感染防止対策が取られています。礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでくださ



その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。 シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
ヨハネによる福音書21章1節~19節





2022年4月20日水曜日

復活節第2主日礼拝のご案内。2022042324

                         復活節第2主日礼拝  (4/23・24)は


野口勝彦牧師の

「見えないのに信じる人は、幸いである

の説教で守られます。

愛知県には、3月22日から「厳重警戒」における感染防止対策が取られています。礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでくださ



その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
ヨハネによる福音書20章19節~31節 





イースターおめでとうございます。20220417

 イースターおめでとうございます。

豊橋礼拝所では、主の復活聖餐礼拝を行うことができました。感謝です。


今年もコロナ禍のため祝会を行うことはできませんでしたが、

女性会の方々がご覧のイースター🥚などをプレゼントとして用意してくださいました。




2022年4月11日月曜日

聖金曜日(受苦日)の祈り・主の復活礼拝のご案内。20210415・17

   聖金曜日(受苦日)の祈り  (4/15)は

午前10時30分から

豊橋礼拝所

で行います。


愛知県には、3月22日から「厳重警戒」における感染防止対策が取られています。礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでくださ

 主の復活礼拝  (4/17)は


野口勝彦牧師の

「究極の愛

の説教で守られます。




 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。 天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
ヨハネによる福音書20章1節~18節



《三遠地区使信 №1202》20220410 「春が来た」

 春が来た

教会の暦では、今は四旬節。四旬節のことを英語でLentと言いますが、Lentとは日が長くなる季節、つまり、春を意味する言葉です。日本の春と言えば、桜です。この使信を書いている今(4/1)、豊橋・岡崎では桜が満開を迎えています。

桜の満開は、本格的な春の訪れを意味しますが、その訪れに喜び、思わず口ずさむ曲の一つに「春が来た」があります。

この曲を作曲したのは、岡野貞一。彼は、明治の終わりごろから,多くの唱歌を作った作曲家で、7歳で父親を亡なくし、姉について通い始めた鳥取教会で幼少より賛美歌に親しみ、14歳の時、洗礼を受け、宣教師からオルガンの演奏法を習いました。その後、岡山のキリスト教系の薇陽学院を経て、18歳で東京音楽学校に入学します。そして、卒業後、文部省から小学校唱歌教科書編纂委員を命じられ、『尋常小学読本唱歌』『尋常小学唱歌』などの編纂にたずさわり、多くの唱歌を作曲しました。国文学者、高野辰之の詞に曲を付けた「ふるさと」「おぼろ月夜」などは、100年以上経った今も歌い継がれています。

また、熱心なクリスチャンとして知られ、40年余りに亘って毎日曜日に東京の本郷中央教会で礼拝のオルガン演奏や聖歌隊の指導に当たりました。公務の都合以外で教会の務めを休んだ記録がないという逸話からは、信仰の深さが窺われます。

 その彼が、先の高野の次の詩に曲をつけたのが「春が来た」です。

春が 来た、春が 来た、どこに 来た。

山に 来た、里に 来た、野にも 来た。

花が 咲く、花が 咲く、どこに 咲く。

山に 咲く、里に 咲く、野にも 咲く。

鳥が 鳴く、鳥が 鳴く。どこで 鳴く。

山で 鳴く、里で 鳴く、野でも 鳴く。

この歌からは、春が来た喜びが素直に伝わってきます。この歌を作詞した高野は、長野出身です。

私の前任地は、長野・松本教会でしたが、赴任した最初の年の秋の礼拝後、信徒の方をご自宅にお送りする車中で、何気に「夏が終わり、過ごしやすい秋が来ますね」と声をかけると、信徒の方は黙ったままでした。どうされたのかと思い、再び声をかけると「また、冬がやってくると」一言。そして、はじめての信州の冬を体験した後、私も秋が来ると、「また、冬がやってくると」と思うようになりました。

この歌は、その信州の長い厳しい冬が去って、待ち望んでいた春が来たと、歌詞をすべて五文字に仕上げ、繰り返すことにより踊るような喜びの気持ちが伝わってきます。

 今日から受難週、いよいよ、イエスさまが私たちの罪のために十字架にかかってくださる厳しい冬の季節です。私たちは、イエスさまの十字架を覚え、「春が来た」と喜びのイースターを迎えることができるよう、この受難週を過ごしていければと思います。                    

 みのり・岡崎 野口勝彦



2022年4月5日火曜日

枝の主日礼拝のご案内。2022040910

                                             枝の主日礼拝(4/9・10)は


野口勝彦牧師の

「死に至るまで」

の説教で守られます。


愛知県には、3月22日から「厳重警戒」における感染防止対策が取られています。礼拝に関し、感染防止のための特別な対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。また、基礎疾患等により、感染リスクに心配のある方はご無理をされないでくださ


イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山に面したベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだ誰も乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、誰かが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。子ろばをほどいていると、その持ち主たちが、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言った。二人は、「主がお入り用なのです」と言った。そして、子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の上着を掛け、イエスをお乗せした。イエスが進んで行かれると、人々は自分の上着を道に敷いた。いよいよオリーブ山の坂にさしかかられたとき、弟子の群れは皆喜んで、自分の見たあらゆる御力のことで、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる王に/祝福があるように。/天には平和/いと高き所には栄光があるように。」すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱ってください」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶだろう。」
ルカによる福音書19章28節~ 40節