2020年11月3日火曜日

《三遠地区使信 №1127》20201101 「命を愛し、平和を願って」

 「命を愛し、平和を願って」

今日は、全聖徒の日、各教会では召天者の方々を覚えて礼拝が守られていると思います。天に召された方々と共に、良き礼拝が守られますようお祈りいたします。

さて、突然ですが皆さんはNHK連続テレビ小説『エール』をご覧になっているでしょうか。新型コロナウイルスの影響で一時撮影がストップし、暫く再放送のような形で放送されていましたが、9月14日から新しい放送が始まりました。このドラマでは豊橋市が一つの舞台となっています。豊橋市をインターネットで調べるとウイキペディアでは「1885年(明治18年)には陸軍歩兵第18連隊が置かれたほか、1908年(明治41年)から1925年(大正14年)までは高師原に陸軍第15師団が置かれるなど、豊橋は軍都として繁栄した」と説明しています。

先日、そのドラマは、軍都豊橋の時代が舞台になり、市街地の7割が焼失した豊橋空襲が登場し、次のような場面が描かれていました。「豊橋では集会での礼拝を監視されるようになったクリスチャンたちが集まって状況を話し合っていた。光子(金子の母)は『信仰は捨てない』と明言した上で危険を犯さない方が良いと提案。するとほかの信徒から『都合が良すぎる』と批判され、馬具店として軍と取り引きがあることや五郎(後に金子の義弟に)が徴兵に取られないことを揶揄される。紛糾する集まりを同行していた五郎はただ見守るしかなかった。その夜、光子や梅(金子の妹)が信仰するキリスト教について知りたいと思った五郎は聖書を読むことに」

このドラマでは、主人公のモデルである作曲家の古関裕而の妻、金子(きんこ)の家は聖公会に属するクリスチャン一家として描かれています。そして、戦争中は金子の家は特別高等警察、いわゆる特高の監視対象として描かれています。「信仰か、身の安全か」、戦争当時のクリスチャンであった人々はその選択をまさに自分の信仰生命を懸けて求められました。その後、ドラマは次のように展開します。

「み言葉に出会った五郎はキリスト教に入信し、主人公の雄一に一冊の聖書を渡します。作業部屋に戻った裕一は、五郎が置いて行った聖書を開いてみました。『悪より心遠ざかりて善をおこなひ 平和を求めて之を追ふべし』」裕一は、この言葉をつぶやき、聖書を閉じると、引き出しの一番下に…しまいました」

このみ言葉はペトロの手紙一3章 11節の文語訳です。「平和のための行動義務」とも呼ばれるこのみ言葉は、新共同訳では10節から「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ」と記されています。

今、私たちは新型コロナウイルスに覆われ、「ウイズ・コロナ」の不自由な生活を強いられています。この全聖徒の日、召天者の方々を覚え、このみ言葉の通り、ひとり一人の「命を愛し」、一日も早い新型コロナウイルスの感染が終息した「平和を願って」祈ることができればと思います。

みのり・岡崎教会 野口勝彦




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