2021年10月24日日曜日

《三遠地区使信 №1178》20211024 「祈りあえる喜び、一枚のハガキ」 

 「祈りあえる喜び、一枚のハガキ」  

   みのり・岡崎教会の週報には毎週、「今週の祈りの課題」の一つとして「家庭礼拝のための聖書日課」https://seishonikka.org/に掲載してある教会の祈りを掲載しています。10月10日は日本福音ルーテル保谷教会でした。保谷教会は、私が神学校2年・3年時、熊本教会に宣教研修に行く前まで教会実習でお世話になった教会でしたので、懐かしくなり岡崎教会の礼拝後に皆さんに、保谷教会時代のお話を少しさせていただきました。

   その岡崎教会からの帰り際に、ある方から新しい女性会連盟会報を見せていただきました。何気にその裏表紙を見てみると今年、召天された方々のお名前が掲載され、その中に、鹿児島教会の梅北美智子姉のお名前を見つけました。

   梅北姉とは、私が九州教区で牧会している時に、博多教会で行われた九州セミナリオでお会いしたのが初めてで、その思い出を九州教区報*1に「以前に受けたセミナリオのテキストや提出したレポートを引っ張り出して読み返していると、いろいろなことが思い出されます」「福岡へは朝5時おきで1番のバスで行き、深夜に鹿児島に着くバスで帰るというちょっとハードなスケジュールでしたが、それが苦にならないほど楽しく有意義な時間を過ごすことができました。普段はできない学びを集中してできたことも、一緒に学んだ方々との出会いも貴重な宝です」と記されています。

   その梅北姉は、20年に亘り先の聖書日課に掲載された教会に、毎日、祈りの葉書を出されていました。そのことを女性会連盟会報*2に次のように書かれています。

 「『祈りのハガキ』 について書いてほしいと言われ、15年前の春の朝のことを思い起こしています」「4月に入って間もないある朝、いつになく早く目が覚めました。引きずられるように机の前に座り、聖書日課を読んでいるうちに1枚のハガキを思い出しました。それは数年前、教会のボードに貼られていたM先生からの『祈りのハガキ』でした。役立たずの私にもこれならできるかもとぼんやり思いました。ありあわせのハガキに一言書いて(何を書いたかは覚えていません)出しました。それから毎日、 いつもは朝寝坊の私がなぜか早くに眼覚め、聖書と日課を読み、黙想し祈り、ハガキを書き、1時間ほどがあっという間に過ぎました。何日か経ってある教会からー通のハガキが届きました。『あなたのためにもお沂りしています』との言葉に体が震えるほどの喜びが湧いてきました」「正直こんなハガキを出していいのか、下手な字で勝手なことを書いて失礼ではないのかと今も思います、それでも、日々み言葉に養われ、多くの方の祈りに支えられて、今日も私は元気でいることができ、ハガキを書くことができます。ハガキを受け取ってくださる皆様に感謝します。主にあってたくさんの方と結はれていることにも心から感謝します。ありがとうございます」

 来月7日は全聖徒主日です。これまで、毎日、各教会のことを祈り続けてくださった梅北美智子姉を覚えて、今年の全聖徒礼拝を迎えることができればと思います。

*1:2011年9月発行一部抜粋  *2:2014年10月発行一部抜粋 

  みのり・岡崎 野口勝彦




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