2021年10月4日月曜日

《三遠地区使信 №1175》20211003「幸せなら手をたたこう」

  「幸せなら手をたたこう」      

 今日は10月最初の主日、緊急事態宣言が予定通り解除され、徐々に日常に戻りつつある中で、礼拝が守られていることを祈りながらこの使信を書いています。

   このような時にこそ、歌いたい歌があります。その歌は「幸せなら手をたたこう」。皆さんもよくご存知の故・坂本九さんが1964年(昭和34年)に歌ってヒットした歌です。当時、発売されたレコードには作詞者不詳と印刷されていました。その後、この歌の作詞者が、1959年4月から2カ月間、農村復興ボランティアとしてYMCA(キリスト教青年会)からフィリピン北部ルソン島ダグパン市に派遣された木村利人さんであることが判明しました。当時、早稲田大学の大学院生だった彼はその経験を「ぼくの本当の戦争体験の始まりだった」と振り返ります。終戦から14年後のフィリピンは、根強い反日感情と戦争の傷痕が残っており、彼はタガログ語で「日本人、死ね」と言われ、人に会うたびに「『家族が日本兵に殺された』と聞かされ、黙るしかなかった」と言います。戦争の被害者意識で凝り固まっていた彼は、自分の無知を恥じ、罪悪感を覚え、「アジアで正義の戦いをしていると教わっていたが、間違っていた。加害者だったと初めて知った」と言います。

 彼は、現地の同世代のボランティア仲間と、地域になかったトイレの設置などを行い、朝と夜の礼拝で聖書を読み、平和について語り合ったそうです。滞在期間終盤のある夜、現地のボランティア仲間の一人が彼に「日本人を殺してやろうと思っていたが、間違っていた。過去を許し、戦争をしない世界をつくろう」と言われ、彼はその言葉に感極まり、手を取り合って涙したそうです。

   そして、その夜、礼拝で「すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ」(詩47)を仲間と一緒に朗読した彼は、この聖句に友情を築けた喜びが表わされていると感じ、現地の子どもたちが歌っていた民謡のメロディーに、この聖句から歌詞のヒントを得て、この歌を作詞したのです。

    彼が、この歌詞の中で特にこだわったのが「態度でしめそう」の部分でした。「幸せなら態度でしめそうよ」の歌詞は、12番まですべてに登場します。彼は、日本人が行ったことを決して忘れないが、人間として尊重し、受け入れてくれた現地の人々が「態度で示してくれた」と感じた感謝の意を歌詞に込めたそうです。

 その彼は、1970年代後半、人間の尊厳を守る社会を作ることでフィリピンの人に応えたいとの思いから学問の枠を超え命に関わるあらゆる問題を考えるバイオエシックス(生命倫理)という分野を立ち上げ、「患者は本当のことを知る必要がある」とインフォームドコンセントの普及にも尽力しました。彼は、利人(ドイツ語で光の意味)の名の通り、まさにこの世の「光」としての働きを今も続けられています。

   このワークキャンプは今も全国のYMCAで行われています。私も、団長として参加予定でしたが、神学校入学により実現はしませんでした。

みのり・岡崎 野口勝彦


 


0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。