2020年1月20日月曜日

『ともしび』再開133号。20200119

「未来を生きる」
「皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。
私に告げられたとおりになります」 
使徒言行録27章25節
日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

   2020年代が始まって早くも三週間がたとうとしています。2010年代は東日本大震災をはじめ様々な自然災害が日本列島を襲いました。この原稿書いている今日(1/8)も季節外れの春の嵐と名古屋では40年ぶりの最高気温を記録しました。2020年代も異常気象が続く気配です。そのような中、三遠地区は4月より大きな変化を迫られます。
間もなく、教会定期総会を迎えますが、先日の役員会でその総会についての議題について協議しました。その中で、2020年度の教会目標を「元気を出しなさい」、主題聖句を「皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に告げられたとおりになります」使徒言行録27章25節を提案することにしました。
 「元気を出しなさい」、このみ言葉は昨年の8月に豊橋礼拝所献堂20周年記念の記念品として、現在、ケアハウスに居住するご夫妻が献品してくださった手ぬぐいに記されたものです。
 使徒言行録27章は、ローマ帝国に捕縛されたパウロが、ローマへと護送されていく、その船旅のことが記されています。当時の船旅は、現代では想像がつかないほどの困難と危険が伴うものでした。私たちの信仰生活も、その船旅に例えることができます。私たちの信仰生活は、現代においても、このパウロの船旅と同じように、逆風に悩まされたり、嵐に翻弄されたり、浅瀬に乗り上げたりし、時には、この世の荒波の中に沈没してしまうことさえあります。
 パウロは、嵐の中、人間的には「ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」時に、「皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです」と皆に語り、力づけ、励ましました。どうしてパウロはこのように確信をもって語ることができたのでしょうか。それはパウロが「わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ』ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。わたしたちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです」と困難な時だからこそ、この神さまからの使いの言葉を信じていたからです。
 私たちもこのパウロのように、新たに与えられた2020年代と言う未来を、み言葉に支え、励まされながら、元気を出して、共に神さまの恵みに満ちた信仰生活を歩む10年間になるよう、互いに祈り続けていけることができればと思います。
最後に、今号で「ともしび」は暫く休刊となる予定です。長らくご奉仕してくださった長谷川勝義兄に心から感謝いたします。

内村鑑三における宗教思想    
長谷川勝義
④仏教と基督教についての続き
 鑑三は、慈悲と愛の違いを「義」のあるか無しかで言う。基督教は、単なる無条件の愛ではない。無条件の愛は、盲目的愛であって、それは好ましくない愛であるとする。間違いがあったらそれを正す愛でなくてはならない。慈悲は上から下への一方的に与える愛だが、人が過ちや罪を犯したものであれば、それを正すのが本当の愛であるとする考え方だ。
   仏教にはその考えが少なく、基督教は、そこを厳然と区別する。仏教と基督教の違いは、この「義」「正しさ」を切り離さないかどうかである。義が無いところでは、無秩序となり、決まりは 守られず、国であれば、悪に走り、国が滅ぶもとを造ってしまう。義のない国はいつも滅びるのはこれまでの歴史が証明している。
⑤ 唯一の宗教について(『全集31 巻』より)
 世の中には様々な宗教がある。仏教、神道、基督教、イスラム教、ヒンドゥー教などである。その中で唯一の宗教と言えるものがあるかどうかと内村は問うのである。彼は、基督教こそ、唯一の宗教であり、何物もそれに代えられる宗教はないと断言する。基督教はキリストの宗教であって、キリストを他の釈迦やマホメットや他の神々が代用することが全く不可能であるが故にキリスト教こそが唯一の宗教であるとしている。
「私は憚らずして言う。基督教にキリストが在る。神と人との間に中保として立つイエスキリストがある。・・・これは他の宗教には無いものである。中保とは単に神を人に紹介する者ではない。故に大教師、大預言者でない。神と人との接触点である。聖き神が罪の人に接し給う所である。即ち神が人類の為に備え給えし殿(みや)であって、この殿に於いてのみ神は人に臨み、人は神に近づきまつる事が許さるるのである。即ち神人両性を備え給える人なるキリストイエスである。・・・釈迦も孔子もモハメットもキリストの職を果たすことはできない。」、「聖なる神の在ることがわかり、また自分の罪人なることがわかっていかにしてこの神を自分の神とすることが出来るかというむずかしい問題が起こるのである。そして、この問題に対して他の宗教が与える解決法は千篇一律である。即ち『汝まず、神の如くなるべし。然らば、神は己が僕として汝を受くべし』というものである。『人が神の如き者と成らんとするの道』それが世のいわゆる宗教である。」
 「しかしながら、実際のところ、人は自ら努めて神の如くに成りえないのである。自分の聖化を待って神に至らんとするは、百年河清を待つが如くであって、その目的は到底達し得られないのである。ここにおいて何か罪の我が聖き神に至るの道が無くてはならない。そして、神はキリストを以ってこの道を備え給うのである。神はキリストに在りて充分に我等人類の罪を罰し、キリストは正当の罰として之を受け給いしが故に、彼に在りて人類の罪は完全に赦され、神人の交通の道は開けて、神の恩恵はキリストを通して人に降るに至ったのである。しかし、人が人である以上、この恩恵は無意識に彼に降るものでない。
 人はまず、キリストを信ぜねばならない。即ち彼の苦しみを我が苦しみとして認めなければならぬ。我は彼の如くにその罰を正当と認めてこれに当たらねばならぬ。しかし、これ弱き汚れたる我の為す能わざるところであるが故に、我はキリストを以って我が罪を言い表し、その罰に当たるのである。これがキリストにおける信仰である。そしてこの信仰の故を以って神はキリストに在りて我を赦し、われはキリストに在りて神をアバ父よと呼びて彼に近づきまつることが出来るのである。これが限りなき生命である。人の最大幸福はかくのごとくにして得らるるのである。」
 「そしてこんな明白な救いの道は他の宗教には無いのである。基督教はキリストである。キリストの教え在りての基督教に非ず、キリストなる独特の性格と行為とありての基督教である。基督教に他の宗教に無いものがある。その意味において基督教は宇宙唯一の宗教である。」
鑑三は、基督教が唯一の真の宗教だと確信している。神に至る道は、キリストを通してしか考えられない。それは、人間は罪にまみれていて、神に近づくことはできないからである。キリストの十字架の死の贖いという出来事を信じる信仰によって、罪の赦しを得て初めて神の前に立つことができるという信仰である。このような信仰は前代未聞である。他の宗教とはまったく異なるもので、基督教を他の宗教で代用することはできない。この意味で、鑑三は、基督教こそ唯一の宗教と言うのであろう。

《今後の予定》
□1月 12日(日) 日曜礼拝、女性会、男性会
□  15日(水) 聖書に聴き、祈る会
□  16日(木)    田原牧師滞在日
□  18日(土) 田原夕礼拝
□     19日(日) 日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
□  22日(水) 聖書に聴き、祈る会
□  23日(木)   田原牧師滞在日
□  25日(土)   田原夕礼拝
□       26日(日) 日曜礼拝、総会資料配布
□  29日(水) 聖書に聴き、祈る会
□  30日(木)   田原牧師滞在日
□2月2日(日)  日曜礼拝、教会定期総会、役員会

編集後記 
   新しい年が始まります。みのり教会にとって、今までとは違った歩みが4月から始まります。どのような道であっても、主に導かれるならば、安全で確信を持って歩んでいけます。希望を失うことなく、さらに一歩前進するつもりで歩んで行けたらと思います。それには、一人一人の確固たる信仰が問われます。「しっかりしなさい。私がいつもあなたのそばについている」とのイエス様の声を聞きつつ歩んでいきたいと思います。今回を以ってしばらく休刊しますが、再開が近いことを祈っています。これまでのご協力・ご愛読を感謝します。

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