2018年10月11日木曜日

『ともしび』再開118号。20181007

  共に                                    
日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マタイによる福音書28章20節

私が、みのり教会に赴任して半年が経過しました。この間、様々な形でお支えいただいた皆様に心から感謝いたします。
さて、先月の27日、火山噴火としては、死者58人、行方不明者5人と戦後最悪の犠牲者を出した御嶽山噴火から4年となりました。その前日、遺族らでつくる「山びこの会」は、噴火後初めて山頂付近に入り、犠牲者の冥福を祈りました。
今から3年前、つまり、噴火から1年後の同じ9月27日、御嶽山の噴火被災者家族の会「山びこの会」の事務局代表・シャーロック英子さんは自らに言い聞かせるように「区切りをつけなくちゃ。前に進まなくちゃ」と言い、前日の26日に長野県王滝村で開いた一周忌の集いで「みんなで支え合って生きていきましょう」と閉会のあいさつで参加者に語りかけました。
義弟の伊藤保男さんを亡くした伊藤さんの妻で妹のひろ美さんと共に噴火の翌年の4月に会を立ち上げ、4月の発足式の2時間半の会合で、集まった15家族32人が遺品となった写真を見せ合いました。偶然写りこんだ米粒ほどの大きさの家族の姿を見つけ、涙を流す遺族もいたそうです。「この場所で、この時間に確かに生きていたと、皆、それを実感したいのだと」英子さんは強く感じ、そして、「私ができることは、あの日のことを忘れず、共有する場をつくること」と決意されたのです。
「悲しみはなかなか癒えない。でも、会の存在が少しでもケアにつながればいい」
噴火の翌年の5月から作り始めた会報の3号目の表紙に、犠牲者63人に向け、《変わらぬ悲しみをかかえながら、家族が少しずつ動き出しています。どこに居ようと家族を守ってくださいね》とメッセージを書かれました。
先日、岐阜の東濃地方を舞台にしたNHK朝の連続ドラマ『半分、青い。』が最終回を迎えました。そのドラマの中で、愛する妻を亡くした夫が、主人公から今の気持ちを尋ねられて次のように応えるシーンがありました。
「悲しみは深まるばかり、悲しみと共に生きるよ」
「悲しみと共に生きる」
私たちキリスト者も様々な苦難に遭い、愛する人を失い、御嶽山の遺族や先のドラマのセリフのように「悲しみと共に生きる」ことがあるかもしれません。
しかし、イエスさまは「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と言ってくださいます。私たちは、このみ言葉を信じ、御嶽山の遺族のことを覚えて祈ることができればと思います。
最後に一つの有名な詩を様々な苦難に遭遇し、悲しみと共に生きている方々に捧げたいと思います。

「あしあと」 マーガレット・F・パワーズ

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、わたしと語り合ってくださると約束されました。それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、ひとりのあしあとしかなかったのです。いちばんあなたを必要としたときに、あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」

続、御心を行う者たち
               長谷川勝義

「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
マルコによる福音書3章34節

わたしはイエスの友会の活動に参加するようになって、もう十数年になっているが、その三河支部と言うのは、岡崎と豊橋の会員の集まりで、月一回例会を開いて、牧師や信徒の奨励や証を聞き、賛美をし、その後、簡単な夕食を取りながら、親睦を深めたり、活動の計画を話し合ったりしている。会場は、豊橋と岡崎で交互に開いていたが、今は、岡崎のアッセンブリーの教会を会場にして毎月開いている。
 メンバーは、当初は、20名から30名ぐらいいたが、今は、その半数ぐらいか。初めの頃、朝倉照雅兄も支部長をやられたし、岡崎の二村摂三兄が、長くされていた。この間、三河支部は、活発で、色々な活動をした。特に、三河市民生協と一緒に「賀川豊彦『一粒の麦』を再版する会」を立ち上げ、皆でお金を出し合い、絶版となっていた『一粒の麦』を3千部作り、全国の人たちに提供し、好評だった。
 また、豊橋市の公会堂で「死線を越えて」の映画会をしたり、豊橋、蒲郡、豊川、岡崎、浜松の五箇所で、特別伝道集会を行った。さらに、賀川豊彦が中心になって活動した世界連邦運動の三河支部の会を結成し、その講演会を何回か開催した。
 このような活動が出来たのは、三河支部のメンバーが皆、個性にあふれて、いろんな考えを出し合い、祈りあって、それを実施していったからである。碧南の近藤兄は、奥様と一緒に参加して熱心に活動してくださったが、今は、天に召されていない。支部長であった二村さんも、昨年、道代夫人の後を追うように召された。
 こうして、何人かの兄弟姉妹を天に送ったが、一緒に主の御用のために共に活動し、交わりをしたその温かい思い出は、忘れることはできない。それこそ、主にある兄弟姉妹であり、父であり、母でもある関係である。
 現在も、毎月の例会がJR岡崎駅近くのアッセンブリー教会の岡崎神召教会で開かれて、10名前後の仲間が集まっているが、すでに90歳を越えた、岡崎の足立兄や庄田姉も毎回元気に参加している。会場を提供してくれている教会の牧師は、佐野徳子先生だが、九州天草出身の先生で、すばらしい先生だ。いつも、祈り、いつも、み言葉を伝えている。ご主人の先生が脳梗塞で倒れて命が危ない時、「神の手」と評判であった名古屋の藤田保健衛生大学坂文種報徳会病院脳神経外科教授・医学博士の加藤庸子先生に電話し、先生でなければ、愛する主人の命が救ってもらえないからと頼み、ご主人の命が救われ、今は、自宅で療養生活の介護に当たっている。ご主人が名古屋で入院中、その後のリハビリの間中、一日も欠かさず、岡崎から名古屋の病院まで通われた。ご主人はほとんど、喋れず、立ち上がることもできない状況にありながら、リハビリの手伝いをしたり、食事を食べさせる。そうしたことで、普通なら滅入っていやになるところだが、そんなことにへこたれるどころか、病院に行くと、しょんぼりしている人を見かけるとすぐ声をかけ、励まし、「神様がいて、あなたを助けてくださるのよ」とみ言葉を伝え、また、たまたま見舞いに行った牧師や主の兄弟たちにそういう人たちのために祈ってもらう。
 このようにして、佐野徳子先生がご主人の看護に当たっている数ヶ月の間に、何人もの人が基督の言葉に触れ、何人かは、洗礼にまでいった。
 「二、三人集まるところにわたしもいるのである。」というみ言葉の通り、二、三人集まって、祈り、賛美し、交わり、活動することによって、いかに兄弟姉妹の交わりが出来、祝福されるか、わたしは、イエスの友会や朝祷会で、経験し味わうことが出来た。最高の喜び、祝福は、こうした兄弟姉妹の交わりの中でこそあるのだと思う。

10月の予定
□10日(水)聖書に聴き、祈る会
□11日(木)田原牧師滞在日
□13日(土)田原夕礼拝:講壇奉仕
□14日(日)日曜礼拝(講壇奉仕)、公開講演会、神学校世話人会
□17日(水)聖書に聴き、祈る会
□18日(木)田原牧師滞在日
□20日(土)田原奉仕、田原夕聖餐礼拝
□21日(日)日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い、地区宣教委員会:刈谷
□24日(水)聖書に聴き、祈る会
□25日(木)安藤享子姉納骨式、田原牧師滞在日
□27日(土)田原夕礼拝
□28日(日)日曜礼拝:宗教改革主日
□31日(水) 聖書に聴き、祈る会

編集後記 教会員・求道中の方々からの原稿がないと、よい「ともしび」はできませんので、すすんで原稿をお寄せください。どんなことでも、ささいなことでもいいですから、皆様の生の声を書き留めてお寄せください。ぜひぜひお願いします。

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