2022年9月10日土曜日

《三遠地区使信 №1223》20220904 「月 」

  今日は9月の最初の主日です。今年の8月も暑い日が続きましたが、今週木曜日には、夜中に大気が冷え、草花や木に朝露が宿りはじめ、降りた露は光り、白い粒のように見える二十四節気の「白露」を迎えます。このように暦の上では、季節は本格的な秋へと移り変わっていきます。

 また、今週土曜日は、中秋の名月(十五夜)です。私はいつもこの頃になると初任地の一つである福岡・筑紫野市の「天拝山観月会」を思い出します。筑紫野市公式ホームページでは、この「天拝山観月会」を「菅原道真公が昌泰四年に太宰府は南館榎寺に流されて天拝山に百日間登り続け山頂の岩に立ち、天をふり仰いで自分の無実を訴えると共に天皇のご安泰と国民の平和を祈られた故事により管公の霊を毎年慰めるため、秋の夜に開催されます」と紹介しています。

 聖書でも月に関しての記述は多く、信仰の歌とも言われる詩編には「あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの」(8:4)「王が太陽と共に永らえ/月のある限り、代々に永らえますように。生涯、神に従う者として栄え/月の失われるときまでも/豊かな平和に恵まれますように」(72:5)「雲の彼方の確かな証しである月のように/とこしえに立つであろう」(89:38)「主は月を造って季節を定められた。太陽は沈む時を知っている」(104:19)「昼、太陽はあなたを撃つことがなく/夜、月もあなたを撃つことがない」(121: 6)「夜をつかさどる月と星を造った方に感謝せよ。慈しみはとこしえに」(136:9)「日よ、月よ主を賛美せよ。輝く星よ主を賛美せよ」(148:3)と記されています。

 また、ヨブ記には「太陽の輝き、満ち欠ける月を仰いで」(31:26)と記され、月明かりを利用して牧畜の群れを移動させることを常としたセム族では月の礼拝が行われていました。しかし、創世記では「神は言われた。『天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。』そのようになった。神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた」(1:14~16)と記され、月が神さまの創造による一個の天体に過ぎないとし、月を神とすることを否定しています。そして、ヨハネの黙示録で「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである」(21:23)と神の栄光が明らかにされるのです。                

 今年の中秋の名月は、聖書を片手に月に関するみ言葉に触れながら過ごしてみてはいかかでしょうか。

                      みのり・岡崎教会 野口勝彦        


 

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