2022年8月2日火曜日

《三遠地区使信 №1217》20220724 「収穫は多いが、働き手が少ない 」

先月、福岡、長野から続けて二人の方の召天の連絡がありました。
 

そのお一人の長野の方は、410日の使信に「私の前任地は、長野・松本教会でしたが赴任した最初の年の秋の礼拝後、信徒の方をご自宅にお送りする車中で、何気に『夏が終わり過ごしやすい秋が来ますね』と声をかけると、信徒の方は黙ったままでした。どうされたのかと思い、再び声をかけると『また、冬がやってくると』一言」と紹介した方で「となりびと」の支援先であった石巻から毎年送られてくる牡蠣をフライにしてくださり、教会の皆さんと被災地を覚えての食事会を共にした方でした。





 その被災地で、先月、一人の方が天に召されました。その方の名は長純一さん(56)、震災後、石巻市に移住し、地域医療に貢献してきた医師です。私も「となりびと」時代にお会いしたことがあります。


彼は、アフガニスタン復興支援に取り組んだ故中村哲さんに憧れて医師を志し長野県で19年間、農村地域の在宅診療に奔走しました。震災直後長野県医療団長として入った石巻の惨状を目にし「この街の命を救いたい」と移住を決意し、約五千人が暮らす最大の仮設団地で自ら市に設置を働き掛けた診療所の所長となり、被災者の心身のケアに24時間365日対応しました。

 その後、市包括ケアセンター所長を務め、医療や介護が適切に受けられ、高齢者や病気のある人も住み慣れた地域で暮らせる「地域包括ケア」を根付かせようと尽力してきました誕生日の先月21自宅のベッドから病状を明かし「石巻がこの先、光り輝く町として復興する姿をみられないのは残念。少しでも思いを引き継いでもらえれば」と伝えたいことを整理する中、容体が急変し天に召されました。天に召される2日前の先月26日の新聞の取材に、「死ぬのは全然、怖くない。ただ、やり残したことが多くある。発信する時間が稼げるなら」と6月上旬から3週間、外来で抗がん剤治療を受けた理由を語っています。ご自身の3歳の娘さんに対しては「成長を見届けられず、申し訳ない。子どもや命を守る社会をめざして闘っていたんだ、と知ってほしい」と言葉を遺しています。また、彼のパートナーがルーテル教会の信徒の方であることをある牧師とのやりとりの中で私は知りました。

イエスさまは十二弟子に「収穫は多いが、働き手が少ない」(マタイ 9: 37)言われていますが、その理由をマタイは「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(9:3537)と記します。「深く憐れまれた」のみ言葉は、「内臓を揺り動かすぐらいの共感をもって」という意味です。つまり、イエスさまは、打ちひしがれた群集を見て、居ても立ってもいられず、ご自身の思いをご自分の弟子たちに言われたのです。まさに、彼の石巻での働きは、このみ言葉通りの働きでした。

ご召天された方々を覚えてお祈りしたいと思います。 

みのり・岡崎 野口勝彦

 

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