新年合同礼拝 (1月1日午前11時~/豊橋礼拝所 )は
「新しい生き方」
キリスト教ルター派教会:1517年にマルチン・ルターの宗教改革によりドイツで誕生したルーテル教会は、ドイツだけでなく北欧にも広がり、国民教会となりました。その後、アメリカにも渡り、更にアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどに至って今日全世界に存在するようになっています。2017年10月31日に宗教改革から500年を迎えました。
新年合同礼拝 (1月1日午前11時~/豊橋礼拝所 )は
降誕節第1主日礼拝 (12/27)は
クリスマスおめでとうございます。
昨日、 クリスマス(待降節第4主日)礼拝を守りました。
礼拝後、女性会が用意してくださったクリスマス・プレゼントと昨年10月の台風19号で千曲川の決壊で被災した長野市内のりんご農園から送られたりんごによって、被災地の復興の喜びを分かち合いました。感謝です。
田原礼拝所の クリスマス・キャンドルサービス は
クリスマス(待降節第4主日)礼拝 (12/20)は
待降節第3主日礼拝(12/12・13)は
待降節第2 主日礼拝(12/6)は
待降節第1 主日礼拝(11/28・29)は
「神さまからのエール」
新型コロナウイルスの感染、第三波が早くも到来したようです。この原稿作成時点(11/13)で、愛知県内の新規感染者数が4日連続で100人を超えています。
さて、そのような中、NHK連続テレビ小説『エール』も佳境に入ってきました。このドラマのプロデューサーは、このドラマ名について「東日本大震災の被災地・福島をはじめ、日本各地で厳しい暮らしを強いられている方がいます。くじけずにがんばる人に、少しでも元気になってもらいたいという思いから『エール』と名付けました」と語っています。そして、9月14日から再開された番組も11月28日が最終日と、当初終了予定の9月26日から新型コロナウイルス感染拡大の影響に伴い、奇しくも今年の教会暦の最終日となりました。そのドラマの中で、『長崎の鐘』が先日取り上げられていました。
『長崎の鐘』は、長崎医科大学(現長崎大学医学部)助教授だった永井博士が原爆爆心地に近い同大学で被爆した時の状況と、重症を負いながら被爆者の救護活動を記録したものです。永井博士は、この時、妻を亡くしています。題名『長崎の鐘』とは、廃墟となった浦上天主堂の煉瓦の中から、壊れずに掘り出された鐘のことです。浦上天主堂、それは、今から3年前の2017年11月23日にカトリック・ルーテル宗教改革500年共同記念礼拝が行われた場所です。カトリック中央協議会のホームページでは「長崎は、キリスト教の弾圧と迫害を経験した町であり、20世紀の世界の悲劇を象徴する被爆地です。受苦と堅忍、信仰と希望と復活の町、長崎。この地を日本のカトリック教会とルーテル教会は、平和を実現する未来への歩みの出発点とします」としています。
ドラマの中では「鐘よ響け」のサブタイトルで次のように描かれました。
『長崎の鐘』原作の映画主題歌制作のため、長崎を訪れた主人公が博士に次のように問われます。「ある若者が、焦土化した長崎と広島を見て、『本当に神はいるのか?』と私に問いかた時、私はその彼に『どん底まで落ちろ』と答えました。あなたにその意味が分かりますか」。主人公はその問いに答えられず、原爆投下直後に博士が被爆者治療に当たった場所を訪れ、その壁に書かれた「どん底に大地あり」という文字を見つけます。そして、博士の妹の「原爆ですべてを失った人たちが瓦礫の中から鐘を掘り起こし、焦土と化した長崎の街に、鐘の音が再び響きわたったとき、その音色が多くの人たちに生きる勇気を与えてくれた」との話を聞き、「希望…ですか」と博士に答えるのです。博士はその答えに気づいた主人公に「希望を持って頑張る人に、エールを送ってくれんですか」と頼み、この場面は終わります。
私たちは来週からイエスさま降誕を待ち望むアドヴェントを迎えます。それは、神さまが、今、コロナ渦に苦しんでいる私たちのために、希望のエールをくださっているしるしなのです。
みのり・岡崎教会 野口勝彦
聖霊降臨後最終主日礼拝(11/21・22)は
聖霊降臨後第24主日礼拝(11/14・15)は
「命を愛し、平和を願って」
今日は、全聖徒の日、各教会では召天者の方々を覚えて礼拝が守られていると思います。天に召された方々と共に、良き礼拝が守られますようお祈りいたします。
さて、突然ですが皆さんはNHK連続テレビ小説『エール』をご覧になっているでしょうか。新型コロナウイルスの影響で一時撮影がストップし、暫く再放送のような形で放送されていましたが、9月14日から新しい放送が始まりました。このドラマでは豊橋市が一つの舞台となっています。豊橋市をインターネットで調べるとウイキペディアでは「1885年(明治18年)には陸軍歩兵第18連隊が置かれたほか、1908年(明治41年)から1925年(大正14年)までは高師原に陸軍第15師団が置かれるなど、豊橋は軍都として繁栄した」と説明しています。
先日、そのドラマは、軍都豊橋の時代が舞台になり、市街地の7割が焼失した豊橋空襲が登場し、次のような場面が描かれていました。「豊橋では集会での礼拝を監視されるようになったクリスチャンたちが集まって状況を話し合っていた。光子(金子の母)は『信仰は捨てない』と明言した上で危険を犯さない方が良いと提案。するとほかの信徒から『都合が良すぎる』と批判され、馬具店として軍と取り引きがあることや五郎(後に金子の義弟に)が徴兵に取られないことを揶揄される。紛糾する集まりを同行していた五郎はただ見守るしかなかった。その夜、光子や梅(金子の妹)が信仰するキリスト教について知りたいと思った五郎は聖書を読むことに」
このドラマでは、主人公のモデルである作曲家の古関裕而の妻、金子(きんこ)の家は聖公会に属するクリスチャン一家として描かれています。そして、戦争中は金子の家は特別高等警察、いわゆる特高の監視対象として描かれています。「信仰か、身の安全か」、戦争当時のクリスチャンであった人々はその選択をまさに自分の信仰生命を懸けて求められました。その後、ドラマは次のように展開します。
「み言葉に出会った五郎はキリスト教に入信し、主人公の雄一に一冊の聖書を渡します。作業部屋に戻った裕一は、五郎が置いて行った聖書を開いてみました。『悪より心遠ざかりて善をおこなひ 平和を求めて之を追ふべし』」裕一は、この言葉をつぶやき、聖書を閉じると、引き出しの一番下に…しまいました」
このみ言葉はペトロの手紙一3章 11節の文語訳です。「平和のための行動義務」とも呼ばれるこのみ言葉は、新共同訳では10節から「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ」と記されています。
今、私たちは新型コロナウイルスに覆われ、「ウイズ・コロナ」の不自由な生活を強いられています。この全聖徒の日、召天者の方々を覚え、このみ言葉の通り、ひとり一人の「命を愛し」、一日も早い新型コロナウイルスの感染が終息した「平和を願って」祈ることができればと思います。
みのり・岡崎教会 野口勝彦
全聖徒主日礼拝(11/1)は
昨日、一昨日に豊橋・田原両礼拝所ではルーテル教会の誕生日でもある宗教改革主日礼拝を守りました。その誕生日をお祝いするような形で聖餐式も再開できました。感謝です。一日も早い、新型コロナウイルス感染の終息をお祈りいたします。
宗教改革主日礼拝(10/24・25)は
聖霊降臨後第20主日礼拝(10/17・18)は
「だれも雇ってくれない」
最近、芸能人の自死のニュースが社会に大きな衝撃を与えています。
1998年、バブル崩壊後、国内の金融機関破綻等により、年間自殺者数が32,863人(警察庁発表)となり、統計のある1897年以降で初めて3万人を突破しました。その後11年間3万人台は続きましたが、自殺の予防と防止、その家族の支援の充実のために制定された自殺基本対策法が2006年に公布・施行され、昨年は20,169人まで減少しています。ちなみに昨年の交通事故死者数は3,215人。
しかし、現在、新型コロナウイルスの影響によって、多くの人が仕事を失い、急速にその数が増加しています。9月10日に公表された2020年8月の警察庁の自殺統計(速報値)によると、全国で1,849人、愛知県では119人の方が自死されています。この数値は、愛知県の昨年同月と比較すると46人、率にしてなんと63%も増加しています。この危機的な状況に対応するために、先日、愛知県知事が、以下の通り緊急メッセージを発出しました。
【県民の皆様へ(知事緊急メッセージ)】新型コロナウイルス感染症の収束の見通しが立たない中、県民の皆様の中には、今後の生活について、大きな不安を感じている方が多くおられるのではないかと思います。本県では、大変悲しいことに自ら命を絶たれる方が急増しています。一人で、悩みや苦しい思いを抱え込まず、御家族や友人、職場の仲間など、あなたが信頼できる方に話をしてください。身近な人に相談しづらい、あるいは、相談できる人が周りにいない方で、生活でお困りの場合は、県や市町村の相談窓口に相談してください。つらくてたまらない、生きているのがしんどい、消えてしまいたいと思われる方は、「あいちこころほっとライン365」や精神保健福祉センター、保健所、「名古屋いのちの電話」などの相談窓口に、あなたの気持ちを話してください。あなたの「生きたい」という気持ちをどうか大切にしてください。自殺を考えている人は、「眠れない」、「原因不明の体の変調が長引く」など、何らかの危険を示すサインを発していることが多いと言われています。こうしたサインに気づき、声をかけ、その人の話に耳を傾け、そして専門の相談窓口につなぐことが、大切な命を守る一歩となります。皆様の周りの方を気にかけてください。そして「心配しているよ」の気持ちをぜひ伝えてください。
そのような今、イエスさまは、神さまは、次のように私たちに言われるのです。
「わたしは最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」
マタイによる福音書20章 14節
神さまは、「最後の者にも」ふさわしい賃金をこのこの「だれも雇ってくれない」今、その命さえ自ら絶とうとしている人にも必ず払って下さるのです。
私たちは、この神さまの大きな愛を信じ、今、自らの命を絶とうとしている人にこのみ言葉が届くよう心から祈りたいと思います。
みのり・岡崎教会 野口勝彦
聖霊降臨後第18主日礼拝(10/4)は
聖霊降臨後第17主日礼拝(9/26・27)は
明日は敬老の日、教会では例年、その前の主日礼拝の中で敬老祝福式を行っています。今年は新型コロナウイルスの影響で行うことはできませんが、例年通り、信徒の方が素敵なカードをご覧の通り作ってくださったので、75歳以上の信徒の方にお配りました。
敬老を迎えられた皆様の上に、神さまからの祝福が豊かにありますようお祈りいたします。
昨日、ご覧の通り、久しぶりの秋空の中、田原礼拝所夕礼拝を守りました。
礼拝前には、信徒の方がご覧の通り、夏の間に茂った草刈りをしてくださり、たい肥置き場を設置してくださいました。これからこのたい肥を活用して、きれいな花壇づくりが始まります。感謝です。