「敬老の日祝福式」
そのような中、礼拝の中でこの祝福に与ることができない信徒の方もお見えです。今年は、3人の信徒の方の所を訪問し、この祝福式を行いました。
そのうちお二人は、90歳を共に超えられ、長くみのり教会を支えてこられてきた信徒のご夫婦です。お二人は、奥様のけがによる入院をきっかけに、先月からサービス付き高齢者向け住宅に住まわれていますが、その居宅を訪問し、ちょうどお二人のお世話に来られていた長女の方と共に祝福式を行うことができました。
もう一人は長く病院に入院されている方で、昨年、長年連れ添われた奥様をみのり教会での葬儀で天に見送られた方です。その方を同じみのり教会員である娘さんご夫妻と教会員の方と一緒に訪問し、祝福式を行いました。
一時は肺炎による40度の高熱にうなされ、血行不良による左足の壊死をも危ぶまれていましたが、私たちが訪問したその日は高熱も下がり、血行不良も改善し、紫色になっていた足も、まだ十分とは言えないまでも肌色に戻りつつあり、意識もはっきりして、穏やかな様子で私たちを迎えてくれました。それは、まるで私たちがその日、祝福式をするために神さまが準備をされていたようでした。
私は早速、信徒の方に作っていただいた素敵な信州の雲海と高山植物の写真に詩編92編15・16節「白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし述べ伝えるでしょう/わたしの岩と頼む主は正しい方/御もとには不正がない、と。」が記された記念のカードをお見せし、祝福式を行いました。
そして、祝福式の中の最後に、手をその方のおでこに置いて祝福をするとその方の目からは、神さまからの祝福の喜びと神さまへの感謝の涙が溢れ出てきました。訪問した私たちは、この姿を通して、神さまはどんな時でも、どんな所でも私たち一人一人を忘れていないということをあらためて感じました。
敬老の日を迎えられたお一人お一人の上に神さまの豊かな恵みと祝福がありますに。
みのり教会 野口勝彦
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