「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
マタイによる福音書28章20節
日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦
10月に入りました。教会の年度は1月から12月ですので、今年度も残り3ケ月になりましたが、日本の官公庁の会計年度は4月に始まり、翌年の3月で終わりますので、10月はちょうど年度の折り返す月となります。
皆さんは、NHKの連続テレビ小説をご覧になってみえるでしょうか。NHKの連続テレビ小説はその会計年度の半年単位で放映されています。先月の28日に、その100作目となる連続テレビ小説「なつぞら」の最終話が放送されました。
その中で、祖父代わりの泰樹(草刈正雄)に「東京を耕してこい」と背中を押され、開拓者精神を持って上京したヒロイン・なつ(広瀬)とのエンディングに用意された次の名場面に、ファンから感動の声が上がっています。
「なつ、わしが死んでも悲しむ必要はない」と口を開いた泰樹。戸惑うなつに、泰樹は「天陽と同じじゃ。わしの魂も、この大地に浸み込ませておく。寂しくなったら、いつでも帰ってこい。お前は大地を踏みしめて歩いていけばそれでいい」と語りかけ、「それに、わしはもうお前の中に残ってるべ?お前のなかに生きとる。それで十分じゃ」と微笑んだ。
さらに泰樹は「よくやったな、なつ。お前はよく東京を耕した。いつでも東京へ帰れ。わしはいつでも、お前とともにおる」と、温かく力強いねぎらいの言葉も。胸がいっぱいになったなつが「じいちゃん、大好き」と素直な思いを伝えると、照れ屋の泰樹は驚きのあまり「お…お…」と畑に倒れ込み、2人は十勝の空の下、大笑いしたのだった。
私たちも、イエスさまが「いつもあなたがたと共にいる」と言ってくださる言葉に、なつのように「イエスさま大好き」と言えるような日々を送りたいと思います。
想い出の花の人々
9月7日(土)・8日(日) 田原・豊橋礼拝所信徒礼拝立証
佐藤重子
私も、色々な方々の出会いと、別れを経験しました。昨年、4月には、母親との別れを、声もかけてあげられず、突然逝ってしまいました。
そういえば、私の別れは、ほとんど看取っての別れはありません。駆けつけた時は、皆すでに遠い場所の人でした。父親は、私が二十歳、名古屋に勤めていた頃、オートバイで転落死しました。近所の方が電話で、知らせて下さり、突然のことで、わけわからず、泣きながら家路を急いだことを記憶しています。唯一、祖父は、田舎から、豊橋へ出てきて、数年過ごし、後は老衰で、静かに病院で亡くなりました。私、一人看取りましたが…。(母親がずっと看病していて、たまたま自宅に戻っており、看取れなかった事、最後まで残念がっていました。)その後、私の出会いと別れの人々の中で、印象深く、その季節になると、必ず思い出す、花があります。
そよと咲き、ただそこに有るだけで、色、形、たたずまい、本当に美しく、私達に慰めを、癒しを、与えてくれます。花の優しさ、美しさは、神様そのもののよう、いや、神様が私達に与えて下さり、花を通して教えて下さり、愛を下さった。私にとって、花は、イエス様が教えて下さった、一つの愛であり、慰め、癒し、と言っても過言ではない気がします。
姑千鶴さんは、私に、色々なことを教えて下さいました。私の育った環境とは、180℃違う佐藤家にきて、千鶴さんの存在は、とても勉強になりました。花を、こよなく愛していました。俳句をたしなむ千鶴さんは、決して派手な、存在をあらわにする花でなく、風にそよぎ、首の細い、人知れず咲く素朴な花が大好きでした。特に、「吾(われ)亦(も)紅(こう)」、「重ちゃん、この花は涙が出るほど好き」といつも言っていたこと想い出します。その頃の私は、「吾(われ)亦(も)紅(こう)?」全然知りませんでした。
その当時、渥美にも咲いている場所が唯一有って、ある時、夫にその場所へ連れて行ってもらいました。夫が「あれが吾(われ)亦(も)紅(こう)だよ」と指を指した先に目を凝らすと、小さな流れの土手に、小豆色の穂のような可憐な花が風にゆれていました。秋の夕暮れ、紅(べに)紫色(むらさきいろ)の小さな花をつけ、いかにも、寂し気なそれでいて、とても美しく周りの風景にぴったり溶け込んでいました。私の母は、派手な大きな花が好きだっただけに、「地味な素朴な花の美」を改めて知りました。雑草の中で、個性的なたたずまいで咲いている「吾(われ)亦(も)紅(こう)」、その存在感は、とても感動しました。
もう一つ、千鶴さんとの想い出の花が有ります。父親違いの優秀な長男がいました。(一見、芥川龍之介の風貌です) 編集の仕事をしており、もちろん、私も何度かお会いしております。長男は、母親のために、千鶴さんが、毎日こつこつとしたためておいた俳句を製本してあげようと告げました。句集『桐の花』は、立派な本に出来上がりました。それは、千鶴さんの、人生そのものでした。
千鶴さんは、誕生日5月1日、召されたのが、5月31日です。その頃になると、高木の桐の花は、薄紫(うすむらさき)の何とも言えない品のいい花色で咲きます。私の通勤経路に一本の桐の木がありました。季節になると必ず、高い枝に、美しい薄紫色の花を咲かせます。その花色を見つけると、千鶴姑を想い出すのでした。
句集『桐の花』の中で千鶴さんの随筆の一文「花と私」。
「白い花が好き、お茶の花、雪柳、かすみ草、白い山茶花、白(はく)木蓮(もくれん)。若し地上に花と云う物が無かったら、植物が種族存続のためのみであったなら、羊歯類や、海藻のやうに、胞子で繁殖して居ても良かったのに、神様は花を地上に賜りました。花が無かったなら蝶も舞わず、蜂も飛ばず、果物も穀類も実らない、行けども行けども唯(ただ)一色(いっしょく)の野山、そして光琳も描かず、西行も歌わず、あの美しい友禅模様も出来なかったでせう。神様は感謝すべきかな、花の中に毎日暮らして居られる私は倖せ者でございます。」
もうひとつ、亡き友人の想い出の花、[紫(し)蘭(らん)]。
私が、渥美に来て46年、そして、ホテルの事務職37年務めた中、その最初の頃、出会った友がいました。同い年で、最初は、彼女の方が積極的に声をかけてくれました。セクションが違いますが、同じ事務職でした。
彼女は、私と違い何事にも積極的でした。好き嫌いも、はっきりしていました。性格が違っても、お互い惹かれていたと思います。性格が強い反面、弱さもありました。鬱の面もあったと思います。彼女は、癌を患いました。手術をして、しばらくは、治りましたが、職場も何年か働きましたが、結局は亡くなりました。
元気な頃、彼女の家へ遊びに行った時の事です。庭に咲いていた、桃(もも)紫(むらさき)の花が目に留まりました。「きれいだね」と言うと彼女は、「持って行く?」とすぐに、鍬を持ち出し、慣れた手つきで抜いてくれました。熊笹のような長い葉の中央に細い枝を長く伸ばし、先端に濃(こい)桃(もも)色(いろ)の花、これも好きな花になりました。彼女が入院中、何度か病院へ見舞に行きました。彼女は、そのたびに、嬉しそうに迎えてくれ、見送りの時いつも、「祈ってね。」と言って手を振ってくれました。クリスチャンではなかったけど、私の立場をとても理解してくれました。
紫(し)蘭(らん)は、春になると、我が家の庭の片隅に、必ず咲いてくれます。桃(もも)紫(むらさき)の花が咲くと、「Kさん、今年も咲いたよ」と思わず声をかけ、涙ぐんでしまいます。
最後、母と花です。母は、田舎にいる頃から、花が大好きでした。育てるのが、とっても上手でした。昔のことだから、テキストもあるわけでもなく、教わる人も無かったけど、一生懸命愛情をかけて、育てていたと思います。豊橋にきて、一人暮らしが何十年と続く中、家の前は、全部お花畑でした。特に、春、パンジー、バラ、クレマチス、牡丹(ぼたん)、ものの見事に咲き誇っていました。花に話しかけている母を、よく見ました。愛情をこめて育てれば、必ず綺麗に咲いてくれる花々、声を掛ければ、最高の花姿で答えてくれる花々、母親にとっては、花は、最高の癒しで、あり、慰めだったと思います。私も、幸い、花が大好きになりました。どちらかと言うと、野の花が好きです。
登山をする私は、過酷な環境の中で咲く、可憐な花を見つけます。その山でしか咲かない貴重な花を見つけると、嬉しくて、カメラに収めます。悲しいかな、自分の目で捉えたその姿と、映像とは程遠いのに結構がっかりします。
山の花は、その場所にあって、その厳しい環境で育っているから美しいので、目にしただけで満足しなければなりません。あえて言いますと、好きな山での花は、北岳の「深山(みやま)花(はな)忍(しのぶ)」を筆頭に、白馬岳でほとんど出会えた「イワギキョウ、チシマギキョウ、ミヤマクワガタ、ミヤマオダマキ、タカネナデシコ、ミヤマアズマギク、ヒメシャジン」ほとんど薄紫色の花ですが・・・・。
もちろん、苦しみ喘ぎながらたどり着いた、3000メートル級の頂上の達成感、眼前の壮大さ、絶景、極上の感動です。嬉しくて、嬉しくて、山に向かって「イエス様、有難うございました」思わず手を合わせて、涙しながらお祈りをしてしまいます。
改めて、花の存在を考えます。花がそこに、有るだけで、どんなにか私達は、慰められるだろうかと。平安な気持ちになれるだろうかと。イエス様を知らない人でも、お花を目にするだけで、優しい気持ちになれ、慰められます。神様が創られた自然界、森も、山も、海も、川も、湖も、そこに育まれる全て、感動しないはずがありません。踏みにじられそうな小さな、小さな草も、花も、神様が創造されたものなのです。
神様は、あらゆる場所で問いかけている気がします。いいえ、常に私達に寄り添っていてくださいます。野の花は、こんなにも美しくけなげに咲いています。その中で生かされている私達、最近は、心地よい風さえも体に感じると、涙がでてきます。
今の私は、仕事も辞め、日々を過ごす中、1日が何と短い事か。神様に見出されなかったら、どんな空しい日々を送っていた事だろう。神様は、この鈍感な私に、寄り添ってくださって、あらゆる方法で御声をかけ、愛を、慰めを、癒しを注いで下さっています。感謝でいっぱいです。
《10月の予定》
□6日(日)日曜礼拝、役員会
□9日(水)聖書に聴き祈る会
□10日(木)田原牧師滞在日
□12日(土)田原夕礼拝
□13日(日)日曜礼拝、男性会、女性会
□16日(水)聖書に聴き祈る会
□17日(木)田原牧師滞在日
□18日(金)朝祷会
□19日(土)田原奉仕、田原夕礼拝
□20日(日)日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
□23日(水)聖書に聴き祈る会
□24日(木)田原牧師滞在日
□26日(土)田原夕礼拝(宗教改革主日)
□27日(日)日曜礼拝(宗教改革主日)
□30日(水)聖書に聴き祈る会
□31日(木)田原牧師滞在日
編集後記
今年は、残暑がいつまでも続いてなかなか涼しくはなりませんが、もう少しの辛抱です。皆様の原稿をお待ちしています。
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