「 会 堂 」
今日は8月4日、みのり教会豊橋礼拝所献堂20周年記念感謝礼拝の日です。
現在の豊橋礼拝所を献堂された末竹十大牧師をお迎えして記念感謝礼拝を豊橋礼拝所で守ります。
現在、みのり教会は、この豊橋礼拝所と田原礼拝所の二つの礼拝所で礼拝を守っていますが、今から21年前、つまり、1998(平成10)年3月29日の高師会堂聖別解除式まで、高師会堂でも礼拝が守られていました。みのり教会の前身である豊橋教会の最初の献堂式は1956(昭和31)年11月11日、田原教会の最初の献堂式は1958(昭和33)年9月23日、高師教会の献堂式は1967(昭和42)年4月23日にそれぞれ行われています。三教会の会堂は、その後、それぞれ改築や新築、そして、解体されました。
教会とは言うまでもなく、建物ではなく、神さまを、イエスさまを信じる人々の集まりです。そういう意味では会堂はなくてはならないものではありません。
しかし、豊橋教会献堂25周年記念誌『みちびき』の巻頭言で内田隆之牧師は会堂について「教会堂や境内にも、宣教の言葉を語ってもらいたいものである。死を求めてさまよっていた人が、この教会堂を見て中に入り、牧師の話を聞いて生を決断した、ということがあった。もの言わぬ建物がみごとに語りかけた一例である。境内が荒れはて、近所で『おばけ屋敷』とささやかれていた時代があったそうである。教会としての聖徒の群れが『飼うもののいない羊の群』となってしまって、メッセージを語りかける生命の泉が枯渇していたのではなかろうか。教会堂も境内も、そこに連なる人々が語らせるのだ。われわれのこの教会堂は25年間にわたり、われわれの信仰の姿を語り続けてきた」と述べています。
また、みのり教会宣教50周年記念誌『みちびき』の巻頭言の中で三浦知夫牧師は「みのり教会の50年前の船出は、礼拝堂、十字架、聖壇、聖書、讃美歌といった、そのすべてを地域や近隣の教会から借り受けて始められたものだったことが分かります。しかし、50年を経た今、教会には、豊橋市の『日本福音ルーテルみのり教会』と田原市の『日本福音ルーテルみのり教会田原礼拝所』という二つの看板が掲げられ、その建物自体が街にメッセージを投げかけている二つの礼拝所を有しています。この二つの礼拝堂で神様から豊かに祝福を受け、喜びをもって地域に伝道と奉仕をしていく群れであり続けることを、この宣教50周年の節目の時に、新たに決意したいと思います」と記しています。
このお二人の言葉からも分かる通り会堂は単なる建物ではなく、その建物が教会のつまり、私たちの信仰を表しているものなのです。
みのり教会 野口勝彦
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