2019年8月6日火曜日

『ともしび』再開128号。20190804


「元気を出しなさい」

日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

『ともしび』128号が発行された今日、豊橋礼拝所を献堂された末竹十大牧師をお迎えして、豊橋礼拝所20周年記念感謝礼拝が行われます。

みのり教会宣教50周年記念誌『みちびき』には、その献堂された豊橋礼拝所の全景が三浦知夫牧師の巻頭言に続く「50年のアルバム」と題されたページの最初に大きなカラー写真で紹介され、今から20年前の今週木曜日、つまり、1999年(平成11年)8月8日に行われた献堂式の様子が2ページにわたり紹介されています。
末竹十大牧師はこの『みちびき』の中で当時の思い出を次のように記されています。
「みのり教会は私が赴任した頃は『舟原の人』『高師の人』『田原の人』という三つの人種が生息しているところでした。そのうちみんなが『みのりの人』になっていった。それは建築を通してでした」
また、末竹十大牧師のパートナーの真木雅子さんは同じ『みちびき』の中で当時の思い出を次のように記されています。
「家族の中での妻として、母としての役割、牧師の妻としての役割、そして一人の人格としての私。これからどういう立場で教会生活をしていけばよいのか、夫と話し合った末、夫とは別姓の『真木』を名乗り、一信徒という立場でいこうと考え、あとは神さまにおゆだねしました。初めてみのり教会でご挨拶をした時『あら、別姓っていいんじゃない』という意外なほどあっさりとした皆さんの反応。そして、全く何の違和感もなく私達家族を受け入れて、小さかった子供も、未熟な私もかわいがって下さった。そんな皆さんと教会生活を共に送るうちに舟原の教会と高師教会、田原教会、少ない信徒で礼拝を守り、会堂掃除をし、なんとか教会を守ろうとする姿が見えてきました。そしてその静かな熱意が、みのり教会の新築という大きな夢を実現しました」
その献堂の日から20年を迎え、豊橋礼拝所献堂20周年記念感謝礼拝がいよいよ、今日、行われます。
この日のために朝倉ご夫妻が、記念品を準備してくださいました。その記念品には使徒言行録27章 のみ言葉、「元気を出しなさい」が大きく記されています。
使徒言行録27章、そこには、使徒パウロのローマへの困難な航海の旅が記されています。
みのり教会もこの豊橋礼拝所を与えられたこの20年間、様々な苦難に遭いながらも、今日のこの日を迎えることができました。
 それは、パウロが「ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります」と言われた通りです。
 私たちはこのみ言葉を信じ、元気を出して、神さまから与えられたこの豊橋礼拝所でこれからも、天に召されるまで、毎週、礼拝を守っていければと思います。

内村鑑三と平和論 

その2 日露戦争における非戦論  


長谷川勝義

 日本は、日清戦争に勝利し、アジア各地に領土や権益を拡大していく。「大東亜文化共栄圏」つまり、日本が主導して東アジア諸国の近代化を図り、欧米の支配を退け、東アジアの国々の力で共に栄えていこうという論理で以って、日本の進出を正当化したのが、当時の伊藤博文や山県有朋などであった。当然の結果として、ヨーロッパの大国ロシアと、満州から朝鮮にかけての権益を巡って対立を深めた。
 このような日露の戦いが避けられないような状況の中で、世論は、勢いに乗って「戦うべし」の考えが強かった。日露戦争が始まる1年前内村は「万朝報」により、非戦論を主張した。義戦論の反省の上に立った非戦論である。
「余は日露非開戦論者であるばかりではない。戦争絶対的廃止論者である。そうして戦争は人を殺すことである。人を殺すことは大罪悪である。そうして大罪悪を犯して個人も国家も永久に利益を収め得よう筈はない。」
「世には戦争の利益を説く者がある。然り、余も一時はかかる愚を唱えた者である。然しながら今に至ってその愚の極なりしを表白する。戦争の利益はその害毒を贖うに足りない。戦争の利益は強盗の利益である。これは盗みし者の一時の利益であって、彼と盗まれし者との永久の不利益である。盗みし者の道徳はこれがために堕落し、その結果として彼はついに彼が剣を抜いて盗み得しものよりも数層倍のものを以って彼の罪悪を償わざるを得ざる至る。もし世に大愚の極みと称すべきものがあれば、それは剣を以って国運の進歩を計らんとすることである。」
 ここでは、戦争の悪なること、愚なることを道徳的見地から説き、さらに、それは、結果的にも、国の本当の利益にならないことを論じている。無理やり取ったものは、結果的に問題を起こして、国家の不利益となることを見通した明察の主張である。さらに、彼の主張は、徹底的非戦論にすすんでいく。同じ「万朝報」の「近時雑感」において次のようにキリストの教えに基いた無抵抗の考え方を述べる。
「もし他人が余を殴った時に余が彼を殴り返したならば余はその時既に彼に負けたのである。しかし余がその時忍んで彼をして余を殴打らしめ後喜んで彼を余の心より許したならば余はその時彼の上に大いなる勝利を得たのである。余はこのことを余の生涯の実験によって知った。そうして余は国民と国民の間においてもこのことの真理であることを信じて疑わない。君子国の外交とはかくの如きものでなくてはならないと思う。」
「もし余をして日本国の外務大臣たらしめば、まず、閣議において軍備の全廃を決するであろう。その後に、ロシア政府にこう通告する。『貴国の満州、朝鮮における行為の横暴を極む、余は日本国政府を代表し、ここに貴国の反省を望む』と。ロシア政府は笑うであろう。笑ってさらに満州の軍備を増強し、日本国を威嚇しようとするだろう。そこで『余は重ねて貴政府に忠告す。貴国は非紳士的行為を続けてあり、余は人道の名によりて貴国に改悛を勧告す。もしそれ、軍備に至っては我国はこれを大罪悪を行なうための凶器と認めたれば既にこれを全廃せり』と。」
 このように、かつて義戦論を唱えて、必要な戦争を容認していた彼が、その間違いに気づき、キリストの精神に戻り、悪人に対しても、右の頬を打ったら、左の頬も打たせよ、との教えを国家にも当てはめてという無謀ともいうべき軍備全廃を提案している。徹底した真剣さはわかるが、あまりにも現実離れした夢物語の提案である。内村の義戦論も、絶対的非戦論にしても、目指すその高みの理想は、わかるが、現実の困難さを踏まえつつも、どのようにその高みに持っていくかの方法論に甘さがあるのではないか。どうみても、内村の議論は、現場に身を置いた者としての十分な論理ではないような気がする。
 前田英樹氏はその著『信徒内村鑑三』(河出ブックス)  で、この内村鑑三の絶対的非戦論と同様の非戦論を貫き通したインドのガンジーを取り上げている。そこを引用させていただく。
 「ところで、私は、これと同じ同心円が、インドのマハトマ・ガンジーにおいてもまた見事に描き出されていることを見ないわけにはいかない。内村の『基督教』は、ガンジーの『ヒンドゥー教』であり、内村の日本は、ガンジーのインドであるに過ぎない。例えば、ガンジーは1920年『ヤング・インディア誌』に、『剣の教義』と題して次のように書いている。
『もしインドが剣の教義を採るならば、インドは一時的な勝利を得るかもしれない。だがその時は、インドはもはや私の心の誇りではなくなるであろう。わたしは、私のすべてをインドに負っているために、インドと固く結ばれている。私は、インドが世界に対して使命を担っていると断じて信じている。インドは盲目的にヨーロッパを真似るべきではない。インドが剣の教義を受け入れる時は、私の試練の時となるだろう。私は、思い残すことがないようにやりたい。私の宗教は地理的な限界を持たない。もし私が自分の宗教に生きた信仰を持っているとすれば、それは、インド自身への私の愛をも凌駕するであろう。私の生涯は、それこそがヒンドゥー教の本質であると信じている非暴力の宗教を通して、インドに奉仕するために捧げられているのである。』
 ガンジーの立派さは、非暴力の精神を貫いて、インドを最後まで、愛したことである。インドは、剣の力を用いないで、インドの独立を勝ち得た。そこには、ガンジーの非暴力の教えが広く国民に浸透していた結果かもしれない。ガンジーは、身をもって、民衆と一緒に行進し、断食をし、無抵抗主義を実践し、「マハトマ・ガンジー」つまり、「聖者ガンジー」の称号を勝ち得、国民の尊崇を得ていただけに、ガンジーの前言は、重みがあり、訴える力を持つ。それに比べると、内村の絶対的非戦論の趣旨は同じにしても、どうしても、空虚な言葉だけの理想論となってしまうのである。

《これからの予定》

□8月8日(木)  田原牧師滞在日
□     10日(土)  田原夕礼拝
□     11日(日)  日曜礼拝
15日(木)  田原牧師滞在日
□     16日(金)  朝祷会
□     17日(土)  田原夕礼拝
□     18日(日)  日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
22日(木)  田原牧師滞在日
24日(土)  田原夕礼拝
25日(日)  日曜礼拝
29日(木)  田原牧師滞在日

編集後記
新会堂建築20周年を8月に迎えました。20年前、まだ、お元気で写真に写っていた方々の何人かは、すでに、天に迎えられて行きました。20年は短いようで長いということです。この後、また20年たてば、私たちの多くは、ここにいません。天で、みのり教会を見守っていることでしょう。教会は無くなりません。永遠に存続します。若い人たちが受継ぐのです。みのり教会がこれからもこの地で良き働きが出来、神様の祝福の場所となりますように!

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