2020年7月1日水曜日

《三遠地区使信 №1109》20200628「神さまの想い」

「神さまの想い」

   6月も最後の主日となりました。今週水曜日からは7月、本格的な夏の季節を迎えます。今年の夏は、新型コロナウイルスの影響で、いつもの夏とは違う夏となりそうですが、そのような中、今月7日の三位一体主日に、みのり教会豊橋礼拝所で、イースターに洗礼・堅信式を予定していた方の洗礼・堅信式を、感染防止をしながら行いました。
  当日は、牧師も受洗者も教保も会衆もマスク姿という前例のない形での式となりましたが、「父と、子と、聖霊」の揃った洗礼にぴったりの三位一体主日を神さまは洗礼日として用意してくださり、「父と、子と、聖霊のみ名によって」という牧師の言葉に「アーメン」と受洗者は神さまから受ける喜びへの応答をすることことができました。そして、この式を通して神さまは、今、このような目に見えない閉塞感の中にいる信徒の方、お一人おひとりをも励ましくださったのです。

  司式を担った私も、その日与えられた第一の日課である創世記1章1節~2章4節を当日の礼拝の中で朗読しながら、自分自身がはじめて聖書を本格的に学んだ時のことを思い出しました。
 このみ言葉はご存じの通り、旧約聖書の始まりであり、聖書全体の始まりでもありますが、私にとってもその本格的に学んだ年のクリスマスに洗礼に導かれるきっかけとなったはじまりと言えるみ言葉です。そのみ言葉は、皆さんもよくご存じの通り、神さまがこの世界をどのように創り出したか、つまり「天地の創造」について記されています。
 私は今から23年前の1997年に、このみ言葉を、その後、入学することになる神学校のある三鷹市に、当時あったYMCA研究所で元青山学院大学教授のS牧師から学びました。
 YMCAは日本名で「キリスト教青年会」ですが、当時、キリスト者でなかった私は、1987年に入職してから日常業務に追われ、聖書を学ぶ機会はほとんどありませんでしたが、その後、入職10年を経過した1997年に2ケ月程、職場を離れ、全国の職員と一緒に研修を、箱根の東山荘と三鷹の研究所で受けることになり、その中の一つの研修として聖書の学びをする機会を得たのです。
 当時、ある分野の専門家を目指そうとその分野の大学教員の研究生になっていた私は、その聖書の学びの中で、聖書が、つまり、神さまが私たちに伝えていることは、その当時、私が目指そうとしていたものそのものであることを知り、このみ言葉に出会ったのです。
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」創世記1章 31節
 そして、このみ言葉は、私だけではなく、すべての人への神さまの想いでもあることをその時、知ったのです。
みのり・岡崎 野口勝彦

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