2021年12月28日火曜日

主の顕現主日礼拝のご案内。20220102

       主の顕現主日礼拝(1/2)は


野口勝彦牧師の

「喜びに溢れる」


の説教で守られます。

愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。 

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

マタイによる福音書2章1節~12節




《三遠地区使信 №1187》20211226 「今年一年に感謝して」

 今年一年に感謝して」

今日は1226日、今年最後の主日礼拝を各教会では守られていることだと思います。その前日、つまり、今から10年前のクリスマスに98歳で天に召された方と1年半前にこのコロナ禍の中、天に召された息子さんとの合同による墓前記念会を12月とは思えない暖かい日差しの中で今月11日に行いました。息子さんは、生前、みのり教会の修繕や教会行事の写真撮影などの奉仕をしてくださいました。また、そのお母様は、教籍番号4番、つまり、再来年11月に70周年を迎えるみのり教会4番目の信徒の方でした。みのり教会10周年記念誌には、昭和29(1954)1128日に行われた最初の洗礼・堅信式に4名の方の名前が記されていますが、その中に、その方のお名前とその際の集合写真が掲載されていました。記念会には、その方のお孫さんたちも参加されていましたが、20代の頃のおばあ様の写真にはじめて出会い、驚きと共にとても喜んでおみえでした。また、そのお孫さんの中のお一人は、今の豊橋礼拝所の新築された会堂で、新卒の宮本新牧師に結婚式の司式をしていただいたそうです。ちょうど今年のクリスマスイブ・キャンドルサービスは、その宮本牧師に司式等をお願いしました。

また、その記念会の二日後、母親の介護を終えた名古屋からの帰り道、お笑い番組『笑点』の宮城県石巻市からの公開放送が車中のワンセグから流れていました。その放送を聞きながら、東日本大震災から10回目のクリスマスを迎える被災地のことを考えていると、その放送直後に二本の電話が続き様にありました。1本目は、その石巻市北上町でわかめ養殖業をされていた方からのもので、例年であれば、わかめの種付けも終わっている頃だそうですが、今年は海水温の高さなどでまだ終わられていないということでした。また、もう一本の電話は同じ石巻市の牡鹿半島でかき養殖をされている方で、宮城県の牡蠣は海水温が高くても大丈夫ということで、今年は牡蠣の出来具合はとてもよかったということでした。そして、お二人からは今年もわかめ*と牡蠣*をいただきました。これも皆さんからもご支援していただいた「となりびと」での働きの成果であると、私も被災地の方々と共に、皆さんに改めて感謝しています。そして、この二つの出来事は、私にとって思いがけない神さまからの一足早いクリスマスプレゼントであり、まさに福音でした。

私は、今年、最後の主日に、103 1節~5節ダビデの詩により、コロナ禍の今年一年の神さまのみ支えを感謝したいと思います。わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。主はお前の罪をことごとく赦し/病をすべて癒し命を墓から贖い出してくださる。慈しみと憐れみの冠を授け長らえる限り良いものに満ち足らせ/鷲のような若さを新たにしてくださる。           

 *となりびとブログhttp://lutheran-tonaribito.blogspot.com/でご覧いただけます。     

 みのり・岡崎教会 野口勝彦






クリスマス礼拝・キャンドルサービス。20211219・24

 先週のクリスマス礼拝に2年ぶりに有料老人ホームに入居されているご夫妻がご覧の通り、出席されました。久しぶりに再会に信徒の方々大喜び、最大のクリスマスプレゼントとなりました。


キャンドルサービスもみのり教会が初任地である神学校の宮本新牧師を迎えて、

感染防止の中、行われました。



サービス後は信徒の方、手作りのクリスマスカードやクッキー


一昨年の台風19号による千曲川氾濫によって被害を受けた長野市内からの復興りんごなど



のクリスマスプレゼントを受け取り、

イエス様の降誕の時を、それぞれのご自宅で迎えられました。


2021年12月18日土曜日

降誕節第1主日礼拝のご案内。2021122526

                     降誕節第1主日礼拝(12/25・26)は


野口勝彦牧師の

「神と人に愛される」


の説教で守られます。

愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。


 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
ルカによる福音書2章41節~52節

2021年12月14日火曜日

クリスマス・キャンドルサービスのご案内。20211224

                         クリスマス・キャンドルサービス 


 12月24日(金)午後7時~

宮本新牧師の

「闇の中にこそ光は輝いた」

のメッセージで

行います。

どなたでも、ご自由にご出席ください。


尚、礼拝は、感染防止のため「新しい生活様式」に従い行います。また、今後、緊急事態宣言等が再発出された場合、原則として礼拝堂での礼拝は休止となります。


そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
ルカによる福音書2章 1節~20



クリスマス礼拝(待降節第4主日礼拝)のご案内。20211219

   クリスマス礼拝 ( 待降節第4主日礼拝)

(12/19)

野口勝彦牧師の

「声たからかに

の説教で守られます。

愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。 わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
ルカによる福音書1章39節~45節



2021年12月7日火曜日

《三遠地区使信 №1184》20211205 「近づく」

 「近づく」           

先月の19日の夕方から宵にかけて、全国で部分月食が見られましたが、皆さんはご覧になられたでしょうか。月食自体が日本全国で観測でき、さらに食分が最大になる瞬間がどこの地域でも見られる「とても深い月食」は、国立天文台によると1881年12月6日以来実に140年ぶりだったそうです。

先週の福音書の日課には「それから、太陽と月と星に徴が現れる。地上では海がどよめき荒れ狂うので、諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。天体が揺り動かされるからである」(ルカ21:25・26)とありましたが、聖書時代の人々は今回のような月食に出会った時、そのように「不安に陥」、「おびえ、恐ろしさのあまり気を失」ってしまっていたのかもしれません。そして、現代に生きる私たちよりも自然の変化に敏感で、み言葉に対しても実感を持って受け取っていたことでしょう。

さて、今日は12月に入って最初の主日です。それは、今年も残り1ケ月を切ったことを意味しています。みのり教会豊橋礼拝所には十字架を掲げた尖塔がありますが、その尖塔の影が、日々、伸びています。それは、冬が近づいている「徴」です。まさに、先のみ言葉、「太陽と月と星に徴が現れる」。そのものの姿がそこにあります。先の福音書の日課には「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる」(ルカ21:29・30)と記されています。尖塔の影は、まさに、「いちじくの木や、ほかのすべての木」「葉」と言えるでしょう。また、その長さは「それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる」と記されている通り、冬が近づいたこと、つまり、クリスマスが近づいたことが分かります。そして、「それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい」(ルカ21:31)とみ言葉は、私たちひとり一人に語りかけるのです。

「神の国」それは、イエスさまが、昨年の教会暦の最後の主日、つまり、聖霊降臨後最終主日(11/21)で「私の国」(ヨハネ18: 36)と言われた国です。その国から、間もなくイエスさまが私たちのもとにやって来られるために、お生まれになるのです。

「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」(ルカ21:27・28)

私たちは、この時を、喜びを持って迎えられるよう、このアドヴェントの時を過ごすことができるよう祈りたいと思います。

     みのり・岡崎教会 野口勝彦




待降節第3主日礼拝のご案内。2021121112

 待降節第3主日礼拝(12/11・12)は


野口勝彦牧師の

「ふさわしい実」


の説教で守られます。

愛知県には当面の間、「警戒領域」での感染防止対策が要請されています。礼拝は、感染防止のための新しい生活様式に従った形(礼拝短縮・着席・讃美歌制限・マスク着用・手指消毒・換気・加湿等)で行います。基礎疾患等によりご心配な方はご無理をされないでください。尚、今後の感染状況等の変化によっては、礼拝休止等になることもあります。



そこでヨハネは、洗礼を授けてもらおうとして出て来た群衆に言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。」 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」 ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
ルカによる福音書3章7節~18節