ペンテコステおめでとうございます
「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」
6月に入りました。今年は5月から30度を超える日が続いており、先月の26日には北海道の佐呂間町で39.5度を記録しました。今後の暑さが心配になるところです。
さて、教会の暦では、来週、ペンテコステを迎えます。例年、ペンテコステは5月に迎えることが多いのですが、今年はかなり遅いペンテコステとなっています。
私は、毎年、このペンテコステを迎える時、ある問いかけを思い出します。その問いかけは、私が神学校1年の時に毎週日曜日、教会実習として通っていた東京にある蒲田教会のペンテコステ礼拝に出席した時に、一人の宣教師の方が発せられた問いかけです。
ペンテコステは、皆さんもよくご存知の通り、聖霊降臨祭、五旬祭とも呼ばれる、教会暦の中ではクリスマス、イースターと並ぶ三大祝日の一つです。
しかし、クリスマスやイースターに比べるとその存在感が教会の中でもやや弱い気がします。その一つの表れとして、クリスマスやイースターでは、当日、「クリスマスおめでとうございます」「イースターおめでとうございます」と言う挨拶が交わされますが、「ペンテコステおめでとうございます」と言う挨拶を聞いたことがありません。また、クリスマスやイースターの日には、礼拝後に多くの教会が祝会を行うのにペンテコステの日に祝会を行う教会も聞いたことがありません。
本来、ペンテコステは教会の誕生日と言われるように「おめでとうございます」という言葉がふさわしい日のはずですが、なぜ、お祝いの気持ちを言葉にして、表さないのでしょう。
宣教師の方の問いかけは、まさにそのことを的確に表す問いかけでした。それは、「神さま」、「イエスさま」と呼ぶのに、なぜ、「聖霊さま」とは呼ばないのでしょうかと言う問いかけでした。
確かに、「神さま」、「イエスさま」を「神」「イエス」と言うこともありますが、「聖霊」についてだけは「聖霊さま」と呼んでいることを聞いたことがありません。
キリスト教の神は三位一体、つまり、「神」、「イエス」、「聖霊」で一つの神です。その一つの神である「聖霊」だけを「聖霊さま」と呼ばない理由、それは何なのでしょうか。
「聖霊」、それは、命を与えられる息吹、風を意味し、それが神から人間に与えられるものです。ペンテコステ、つまり、聖霊降臨祭は、この聖霊が使徒たちに下り、教会とその宣教活動の始まりを記念する特別の日です。
私たちは、このペンコステを迎えようとしている今、この問いかけについて共に考え、心の底から「ペンテコステおめでとうございます」と互いに挨拶が交すことができればと思います。
内村鑑三の武士道的基督教
新保祐司著「明治の光 内村鑑三」(藤原書店)を参考にさせていただき、内村鑑三のいうところの武士道的基督教について考えてみたい。新保氏は、「武士道の上に接木されたる基督教」の箇所でつぎのように述べている。
「明治初年のキリスト教の三大地盤は、周知の通り、札幌、横浜、熊本の三つのバンドである。それぞれのバンドを代表するのは、札幌が内村鑑三、新渡戸稲造、横浜が植村正久、本多庸一、井深梶之介、熊本が海老名弾正、徳富蘇峰である。」
これらの人たちは、すべて、武士の出身である。彼らが明治初期のキリスト教を担い、広めたのである。それは間違いない。なぜ武士が基督教に惹かれたかと言うことである。
「海老名弾正は、大正15年に内村と会ったとき、内村が『海老名君、君と俺が死んでしまったら武士的基督教は無くなるよ』と語ったことを伝えている。」
「内村自身は、海老名と会って三年後の昭和3年に、『武士道と基督教』と題した文章に『明治の初年に当たって多くの日本武士がこの精神によって基督信者になったのであります。沢山保羅、新島襄、本多庸一、木村熊二、横井時雄等はすべて純然たる日本武士でありました。』と書いてある。『この精神』とは、『正義と真理との為には生命を惜しまざるの精神』のことである。」
この「生命を惜しまざる精神」こそが、明治維新を成し遂げ、革命的変化の推進力となったことを強調している。そして、日本に伝えられたキリスト教も、武士によってしっかりと受け止められ、日本で開花しようとしていると言っているのである。
だから、日本での基督教は、甘くなまくらなものではならないと言う。
「イエス、エルサレムにより、神殿にて牛、羊、鳩を売る者と両替する者の坐せるを見ければ、縄をもて鞭を作り、彼等及び羊牛を神殿より追い出し、両替する者の金を散らし、その台を倒し、・・・(ヨハネ2:13-16)と。これは、優しいイエス様ではなく、怖い恐ろしいイエス様であります。イエスは阿弥陀様とは違います。」
このように、武士道から見た、イエスは、義の神であり、正しさの前には厳しい神なのです。「阿弥陀様とは違う」と言ったところが、いかにも内村の武士から見た基督像である。
「死の直前、弟子の塚本虎二を分離する事件が起きるのだが、鑑三は塚本のキリスト教を『町人の宗教』と見ていた。『武士の基督教』とは、根底が違っていたのである。『阿弥陀様』が出てくるが、明治初年の激動期には、日本人もある意味で日本人らしくなく、激しい精神が燃え上がったのであって、『サムライ・クリスチャン』が輩出した。しかし、大正時代になり、大正デモクラシーの世となるに従って『基督教』も日本の『微温るき』精神風土に土着してきて、『キリスト教』とカタカナで書き分けた方がいいものと変質していった。」
大正15年の彼の日記には、次のようなことが書かれている。
「日本において、基督教は仏寺的基督教と儒者的基督教とに分かれつつある。愛即ちお情けに依る基督教と道義に依る基督教に分かれつつある。日本においては仏教は全体に町人の宗教であり、儒教は武士の道であった。そして、教会の基督教は寺院の仏教の代りに町人に迎えられつつあり、無教会主義の基督教は儒教の場所を取りつつある。いずれにせよ、近代の基督教会が著しくお寺化したことは争われぬ事実である。これに対して我らは厳格なる道義的の、純ピューリタン的の基督教の発達をはからなければならない。」
このようにはっきりと、内村の目指す基督教は、個人の安寧のみを求める基督教ではなく、もっと広く深く正義と道義に立った基督教であった。確かに、現在の基督教界を見ても、ピューリタン的な純粋さと、厳格さと、その覇気はない。個人の救いに汲々としている生ぬるさがある。そういう教会、信徒が多い。節制をし、断食をし、歯をくいしばっても初心を貫く意志に欠ける。まさに、内村鑑三の言う武士道的基督教精神が叫ばれてよい。
あまりにも、罪の赦しを乞うばかりではならない。体を打ちたたいても、義に従う勇気をキリスト者は持たなければならない。情けない状態ばかりで、いつも「我が罪を許し給え」の繰り返しでは、本当の救いは無い。
内村が目指す日本的基督教は、この武士道的基督教の精神に基いたものと言える。
さらに、この武士道と日本的基督教との関係を述べたところがある。
「武士道は日本国最善の産物である。しかしながら、武士道その物に日本国を救うの能力はない。武士道の台木に基督教を接いだ物、其の物は世界最善の産物であって、これに日本国のみならず全世界を救うの能力がある。今や基督教は欧州に於て滅びつつある。しかして物質主義に囚われたる米国に之を復活するの能力がない。ここにおいてか神は日本国にその最善を献じて彼の聖業を扶くべく求め給いつつある。日本国の歴史に深い世界的の意義があった。神は二千年の長きにわたり世界目下の状態に応ぜんがために日本国において武士道を完成し給いつつあったのである。世はつまり基督教によって救わるるのである。しかも武士道の上に接木されたる基督教によって救わるるのである。」
武士道そのものだけでは、不完全で、基督教と言う完全な内容を持ったものと接木されることによって、この新たに日本で生まれた基督教が日本を、そして全世界を救う基督教となることができると、内村は「おおぼら」を吹いたといってもよい。彼の武士道のイメージは何であったのであろうか。「質実剛健」「義のためには生命をかける」「無心で自己欲を求めない」こんなイメージであろうか。こんな精神は、今や世界に失われている。欧米は、物質主義に汚染されている。今こそ日本の出番であると武士道的基督教は言うのである。
《6月の予定》
□2日(日) 日曜(昇天主日)礼拝、6月定例役員会
□5日(水) 聖書に聴き祈る会
□6日(木) 田原牧師滞在日
□8日(土) 田原夕礼拝
□9日(日) 日曜(聖霊降臨祭)礼拝、女性会、男性会
□12日(水) 聖書に聴き祈る会
□13日(木) 田原牧師滞在日
□15日(土) 三遠地区修養会(浜松)、田原夕礼拝
□16日(日) 日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
□18日(火) 東海地域教師退修会(奥浜名湖)
~ 20日(木)
□23日(日) 豊橋信徒礼拝、田原日曜礼拝・昼食会
□26日(水) 聖書に聴き祈る会
□27日(木) 田原牧師滞在日
□29日(土) 田原夕礼拝
□30日(日) 日曜礼拝
編集後記
梅雨の季節も間近です。アジサイもそろそろ咲きだしています。豊橋では、夜店が始まります。賀茂の菖蒲園では、花しょうぶ祭りが開催されています。夏は、暑くて大変ですが、稲や夏の野菜がこの暑さでぐんぐん生長します。この暑さも必要なんですね。私たちもぐんぐんと生長できるように神様からのエネルギーをいただきたいと思います。
日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦
「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」
使徒言行録2章3節
6月に入りました。今年は5月から30度を超える日が続いており、先月の26日には北海道の佐呂間町で39.5度を記録しました。今後の暑さが心配になるところです。
さて、教会の暦では、来週、ペンテコステを迎えます。例年、ペンテコステは5月に迎えることが多いのですが、今年はかなり遅いペンテコステとなっています。
私は、毎年、このペンテコステを迎える時、ある問いかけを思い出します。その問いかけは、私が神学校1年の時に毎週日曜日、教会実習として通っていた東京にある蒲田教会のペンテコステ礼拝に出席した時に、一人の宣教師の方が発せられた問いかけです。
ペンテコステは、皆さんもよくご存知の通り、聖霊降臨祭、五旬祭とも呼ばれる、教会暦の中ではクリスマス、イースターと並ぶ三大祝日の一つです。
しかし、クリスマスやイースターに比べるとその存在感が教会の中でもやや弱い気がします。その一つの表れとして、クリスマスやイースターでは、当日、「クリスマスおめでとうございます」「イースターおめでとうございます」と言う挨拶が交わされますが、「ペンテコステおめでとうございます」と言う挨拶を聞いたことがありません。また、クリスマスやイースターの日には、礼拝後に多くの教会が祝会を行うのにペンテコステの日に祝会を行う教会も聞いたことがありません。
本来、ペンテコステは教会の誕生日と言われるように「おめでとうございます」という言葉がふさわしい日のはずですが、なぜ、お祝いの気持ちを言葉にして、表さないのでしょう。
宣教師の方の問いかけは、まさにそのことを的確に表す問いかけでした。それは、「神さま」、「イエスさま」と呼ぶのに、なぜ、「聖霊さま」とは呼ばないのでしょうかと言う問いかけでした。
確かに、「神さま」、「イエスさま」を「神」「イエス」と言うこともありますが、「聖霊」についてだけは「聖霊さま」と呼んでいることを聞いたことがありません。
キリスト教の神は三位一体、つまり、「神」、「イエス」、「聖霊」で一つの神です。その一つの神である「聖霊」だけを「聖霊さま」と呼ばない理由、それは何なのでしょうか。
「聖霊」、それは、命を与えられる息吹、風を意味し、それが神から人間に与えられるものです。ペンテコステ、つまり、聖霊降臨祭は、この聖霊が使徒たちに下り、教会とその宣教活動の始まりを記念する特別の日です。
私たちは、このペンコステを迎えようとしている今、この問いかけについて共に考え、心の底から「ペンテコステおめでとうございます」と互いに挨拶が交すことができればと思います。
内村鑑三の武士道的基督教
長谷川 勝義
「明治初年のキリスト教の三大地盤は、周知の通り、札幌、横浜、熊本の三つのバンドである。それぞれのバンドを代表するのは、札幌が内村鑑三、新渡戸稲造、横浜が植村正久、本多庸一、井深梶之介、熊本が海老名弾正、徳富蘇峰である。」
これらの人たちは、すべて、武士の出身である。彼らが明治初期のキリスト教を担い、広めたのである。それは間違いない。なぜ武士が基督教に惹かれたかと言うことである。
「海老名弾正は、大正15年に内村と会ったとき、内村が『海老名君、君と俺が死んでしまったら武士的基督教は無くなるよ』と語ったことを伝えている。」
「内村自身は、海老名と会って三年後の昭和3年に、『武士道と基督教』と題した文章に『明治の初年に当たって多くの日本武士がこの精神によって基督信者になったのであります。沢山保羅、新島襄、本多庸一、木村熊二、横井時雄等はすべて純然たる日本武士でありました。』と書いてある。『この精神』とは、『正義と真理との為には生命を惜しまざるの精神』のことである。」
この「生命を惜しまざる精神」こそが、明治維新を成し遂げ、革命的変化の推進力となったことを強調している。そして、日本に伝えられたキリスト教も、武士によってしっかりと受け止められ、日本で開花しようとしていると言っているのである。
だから、日本での基督教は、甘くなまくらなものではならないと言う。
「イエス、エルサレムにより、神殿にて牛、羊、鳩を売る者と両替する者の坐せるを見ければ、縄をもて鞭を作り、彼等及び羊牛を神殿より追い出し、両替する者の金を散らし、その台を倒し、・・・(ヨハネ2:13-16)と。これは、優しいイエス様ではなく、怖い恐ろしいイエス様であります。イエスは阿弥陀様とは違います。」
このように、武士道から見た、イエスは、義の神であり、正しさの前には厳しい神なのです。「阿弥陀様とは違う」と言ったところが、いかにも内村の武士から見た基督像である。
「死の直前、弟子の塚本虎二を分離する事件が起きるのだが、鑑三は塚本のキリスト教を『町人の宗教』と見ていた。『武士の基督教』とは、根底が違っていたのである。『阿弥陀様』が出てくるが、明治初年の激動期には、日本人もある意味で日本人らしくなく、激しい精神が燃え上がったのであって、『サムライ・クリスチャン』が輩出した。しかし、大正時代になり、大正デモクラシーの世となるに従って『基督教』も日本の『微温るき』精神風土に土着してきて、『キリスト教』とカタカナで書き分けた方がいいものと変質していった。」
大正15年の彼の日記には、次のようなことが書かれている。
「日本において、基督教は仏寺的基督教と儒者的基督教とに分かれつつある。愛即ちお情けに依る基督教と道義に依る基督教に分かれつつある。日本においては仏教は全体に町人の宗教であり、儒教は武士の道であった。そして、教会の基督教は寺院の仏教の代りに町人に迎えられつつあり、無教会主義の基督教は儒教の場所を取りつつある。いずれにせよ、近代の基督教会が著しくお寺化したことは争われぬ事実である。これに対して我らは厳格なる道義的の、純ピューリタン的の基督教の発達をはからなければならない。」
このようにはっきりと、内村の目指す基督教は、個人の安寧のみを求める基督教ではなく、もっと広く深く正義と道義に立った基督教であった。確かに、現在の基督教界を見ても、ピューリタン的な純粋さと、厳格さと、その覇気はない。個人の救いに汲々としている生ぬるさがある。そういう教会、信徒が多い。節制をし、断食をし、歯をくいしばっても初心を貫く意志に欠ける。まさに、内村鑑三の言う武士道的基督教精神が叫ばれてよい。
あまりにも、罪の赦しを乞うばかりではならない。体を打ちたたいても、義に従う勇気をキリスト者は持たなければならない。情けない状態ばかりで、いつも「我が罪を許し給え」の繰り返しでは、本当の救いは無い。
内村が目指す日本的基督教は、この武士道的基督教の精神に基いたものと言える。
さらに、この武士道と日本的基督教との関係を述べたところがある。
「武士道は日本国最善の産物である。しかしながら、武士道その物に日本国を救うの能力はない。武士道の台木に基督教を接いだ物、其の物は世界最善の産物であって、これに日本国のみならず全世界を救うの能力がある。今や基督教は欧州に於て滅びつつある。しかして物質主義に囚われたる米国に之を復活するの能力がない。ここにおいてか神は日本国にその最善を献じて彼の聖業を扶くべく求め給いつつある。日本国の歴史に深い世界的の意義があった。神は二千年の長きにわたり世界目下の状態に応ぜんがために日本国において武士道を完成し給いつつあったのである。世はつまり基督教によって救わるるのである。しかも武士道の上に接木されたる基督教によって救わるるのである。」
武士道そのものだけでは、不完全で、基督教と言う完全な内容を持ったものと接木されることによって、この新たに日本で生まれた基督教が日本を、そして全世界を救う基督教となることができると、内村は「おおぼら」を吹いたといってもよい。彼の武士道のイメージは何であったのであろうか。「質実剛健」「義のためには生命をかける」「無心で自己欲を求めない」こんなイメージであろうか。こんな精神は、今や世界に失われている。欧米は、物質主義に汚染されている。今こそ日本の出番であると武士道的基督教は言うのである。
《6月の予定》
□2日(日) 日曜(昇天主日)礼拝、6月定例役員会
□5日(水) 聖書に聴き祈る会
□6日(木) 田原牧師滞在日
□8日(土) 田原夕礼拝
□9日(日) 日曜(聖霊降臨祭)礼拝、女性会、男性会
□12日(水) 聖書に聴き祈る会
□13日(木) 田原牧師滞在日
□15日(土) 三遠地区修養会(浜松)、田原夕礼拝
□16日(日) 日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
□18日(火) 東海地域教師退修会(奥浜名湖)
~ 20日(木)
□23日(日) 豊橋信徒礼拝、田原日曜礼拝・昼食会
□26日(水) 聖書に聴き祈る会
□27日(木) 田原牧師滞在日
□29日(土) 田原夕礼拝
□30日(日) 日曜礼拝
編集後記
梅雨の季節も間近です。アジサイもそろそろ咲きだしています。豊橋では、夜店が始まります。賀茂の菖蒲園では、花しょうぶ祭りが開催されています。夏は、暑くて大変ですが、稲や夏の野菜がこの暑さでぐんぐん生長します。この暑さも必要なんですね。私たちもぐんぐんと生長できるように神様からのエネルギーをいただきたいと思います。
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