2024年1月3日水曜日

《三遠地区使信 №1292》20231231「年の終わりに」

 2023年も今日で終わります。今年は1月1日が日曜日、そして、今日が日曜日ですので、主日礼拝で1年が始まり、主日礼拝で1年が終わる珍しい年ですが、皆さんにとって2023年はどんな年だったでしょうか。そして、2024年はどのような年にされたいでしょうか。

ちょうど今から50年前に、日本でブームになった『日本沈没』という映画をご存知でしょうか。この映画は私が、はじめて、映画館で観た映画です。その映画を先日、50年ぶりに、偶然、見る機会がありました。その映画の中で東京を日本沈没の前兆の大地震が襲い、一人の老人が、関東大震災の経験から「火だけ出されなければいい、関東大震災では火でやられたんだ」と叫ぶシーンがあります。そして、その老人の家族が「おじいちゃん大丈夫、火はすべて消したから」と応えた瞬間、窓から大津波が襲ってくるところで、違うシーンに切り替わります。

そのシーンを、その映画から50年たった今、12年前に東日本大震災の大津波を福岡でテレビを通して目撃した私は、子どもの時に映画館で見た時とは全く違う思いで見ました。ちょうど、その映画を見終わった時、その大津波に遭い、ご自宅を失い、今は復興公営住宅に住む方から宅急便が届きました。その中身は、仙台名物の笹かまぼこでした。仙台名物の笹かまぼこは、宮城県内のいろいろな町でも製造され、今回、送っていいただいた笹かまぼこは石巻市の白謙(しらけん)蒲鉾のものでした。この笹かまは、2011年5月に私がはじめて石巻での泥かきボランティアに参加した時、そのボランティア先でいただいたものと同じもので、私がはじめて食べた笹かまでもありました。


その時のことを当時、私は記事として依頼され、機関紙『るうてる』2011年6月号に「震災ボランティアに参加して」として次のように寄稿しました。

 「2011年3月11日から2ヶ月が経過した5月11日。被災地では、地震発生の14時46分18秒に地震によって召天された方を覚えて一斉に黙祷がささげられました。私はちょうどその時間に、石巻の民家で津波による泥かきのボランティア作業に従事していました。その中で私が忘れられないのは、その民家のご主人のお話です。津波が襲った状況を延々と話をされるその姿に、その痛みの深さを感じました。また、どのお宅でも、被災されながらもボランティアの私たちに、*写真(笹かまぼこなど)のような軽食を用意し、感謝の気持ちを表されるその心も忘れることができません。地震発生から2ヶ月以上が経過しても、まだ、泥だけらの異臭がする自宅で生活せざる得ない方々が被災地では少なくありません。また、沿岸部は写真の通り、壊滅状態が延々と続いています。私は、これからも息の長い支援とお祈りを続けることができればと考えています。」*ルーテル教会HPhttps://jelc.or.jp/category/news_lutheran/

 その後、私は、思いもよらず東日本大震災ルーテル教会救援「となりびと」の派遣牧師としての働きを2年間与えられ、被災地で活動し、今もその方々との交流が続いています。


 コヘレトの言葉に「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある」

(3: 1)があります。2024年の時がどのような時となるか。私たちは、新しく与えられる年も

礼拝を通して、その与えられる時を神さまの恵みと祝福の中で過ごすことができるよう今年最後の今日の礼拝の中で祈ることができればと思います。    

みのり・岡崎 野口勝彦



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