聖霊降臨後第6主日礼拝 (7/4)は
「絶望から希望へ」
キリスト教ルター派教会:1517年にマルチン・ルターの宗教改革によりドイツで誕生したルーテル教会は、ドイツだけでなく北欧にも広がり、国民教会となりました。その後、アメリカにも渡り、更にアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどに至って今日全世界に存在するようになっています。2017年10月31日に宗教改革から500年を迎えました。
聖霊降臨後第6主日礼拝 (7/4)は
聖霊降臨後第4主日礼拝 (6/26・27)は
「ひとりでに」
教会の暦は今、聖霊降臨後の期節、典礼色は緑です。典礼色の緑は「希望と成長」を表しています。その「希望と成長」の期節を表すかのように、今、豊橋礼拝所の周りには様々な花々が咲いています。そして、玄関近くの木に初めて作られたヒヨドリの巣の卵が孵り、四羽の雛が親鳥に餌をもらい、巣立ち、そのうちの三羽が16日の雨上がりの早朝に旅立ちました。【このブログでご覧いただけます】
先週の主日の福音書の日課は、まさにその情景にぴったりなみ言葉でした。新共同訳の小見出しでは、「『成長する種』のたとえ」と「『からし種』のたとえ」、「たとえを用いて語る」という三つの小見出しがつけられ、そのすべてに「たとえ」という言葉が含まれていました。
「たとえ」、それは、分かりやすい例を用いて、物事の本質を説明することです。イエスさまは、この「たとえ」を多く語られました。そして、そのはじめの「たとえ」で次のよう言われます。
「また、イエスは言われた。『神の国』は、次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実をむすばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである」
ここに登場する人物は、種を土の上に蒔くだけで、あとは自然と実が実るのをただ待っているという話になっています。普通、私たちが、何かの種を蒔くとき、ただ、蒔くだけではなく、その蒔いたところに、水を遣り、肥料を与え、時にはその周りの雑草を抜いたり、害虫を駆除したりと、様々な努力をするのではないでしょうか。
しかし、今日のこの「たとえ」では、種を蒔いた人は、ただ「夜昼、寝起きしている」だけで「種は芽を出して成長する」としか記されていません。何もしなくても「種は芽を出して成長する」というのです。そして、その理由について「どうしてそうなるのか、その人は知らない」と記され、さらに続けて「土はひとりでに実を結ばせる」と記されます。「土はひとりでに」、それは、種を蒔いた人の努力ではなく、「土」の方が自然とその「種の実を結ばせる」ということです。
つまり、「神の国」とは、私たちの努力ではなく、神さまが一方的に与えてくださるものであるということを。そして、私たちができることは、ただ、その神さまを信頼し、そのことを信じ続けることであるとイエスさまは、この「たとえ」を通して語っています。
そして、神さまは、それを証するギリシア語で愛の花を意味するアガパンサスを今年も「ひとりでに」教会の庭に、咲かせてくださっています。
野口勝彦
昨日までの三日間、夜明けとともに雛たちの声で目覚めていましたが、今日(6/17)はやけに静かな、ご覧の通り雨上がりの快晴の朝でした。
聖霊降臨後第4主日礼拝 (6/19・20)は
ご覧の 豊橋礼拝所の玄関近くの木にヒヨドリが知らないうちに巣を作りました。
ご覧の通り三羽のかわいい雛が誕生しました。
毎日、ピーピーかわいい声で鳴いて、口をパクパクして餌をねだっています。
夫婦のヒヨドリは毎日、朝夕と、雛のために虫などを口に銜えて、ヒナドリにえさをせっせっと運んでいます。
聖霊降臨後第3主日礼拝 (6/12・13)は