2019年7月9日火曜日

『ともしび』再開127号。20190707


大丈夫!

「神からの、メシアです」   
ルカによる福音書9章 20節

日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

7月に入りました。今年も半年が過ぎました。今年の梅雨は、5月末の異常な暑さと裏腹に東北や信州のような梅雨寒の日が続いています。そのおかげで礼拝時に冷房を使用したのは6月29日の田原礼拝所の夕礼拝が今年、初めてでした。
そのような梅雨の季節に、NHKみんなのうたとして「大丈夫」という曲が流れています。この曲は、前田健太など数多くのプロ野球選手が登場曲として使用している曲で、体操金メダリストの白井健三など多くのアスリートが自分の応援ソングとして明言しています。大阪出身ボーカルユニット「ベリーグッドマン」がNHKみんなのうたのために書き下ろした新曲です。3人のハーモニーとラップ、そして独特な歌詞で奏でられる、一味違った「応援歌」です。
この曲の歌詞には「どうして僕だけこんなめに」から「大丈夫」と言えるようになるまでに、誰にも言えない悩みを抱え、苦しんでいる人物が主人公として登場します。
そして、「桜(おう)梅(ばい)桃(とう)李(り)」の人生を歩んでいこうよ!と歌います。桜は桜らしく。梅は梅らしく。桃は桃らしく。李は李(すもも)らしく。そしてあなたは…あなたらしく。そのままでいい。いや、そのままがいい。
確かに、誰にも言えない悩みを抱え、苦しんでいる人は私たちの周りにも沢山います。先のプロ野球選手や多くのアスリートもその例外ではないでしょう。そんな人たちにとってこの曲は、まさに、自分への応援歌となるのでしょう。
しかし、この曲の中に「誰にも言えずに苦しんだ/誰にも見せずに涙した/誰にもわからない/でも僕は僕を信じる」と言う歌詞があります。この曲が大丈夫だという根拠は、結局は自分自身だと言うのです。そして、歌詞は次のように続いていきます。「桜梅桃李の人生を/感じるままに歩めばいい/『生まれ変わっても自分がいい』/そう思えるようになろう/何度転んでも大丈夫/幸せが僕を待っている/大丈夫、大丈夫だろう」
 結局、この曲は不安にある中の自分を救うために「大丈夫」という自己暗示をかけているようにも思えますが、最後の歌詞は「大丈夫、大丈夫だろう」です。「大丈夫」と言い切るのではなく「大丈夫だろう」と不安を隠しきれない状態で結ぶのです。
この「ともしび再開127号」が発行される日の日課は、新共同訳聖書では「ペトロ、信仰を言い表す」という小見出しがつけられたみ言葉ですが、その中で、ペトロはイエスさまの「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」という問いに対して、即座に、「神からの、メシアです」と応えます。
彼は、弟のアンデレと湖で魚を獲っている時に、目の前にイエスさまが現れて「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われて、その言葉を聴いてすぐに魚を獲る網を捨ててイエスさまに従いました。漁師にとって、魚を獲る網というのは自分の毎日の生活、少しおおげさに言えば自分の命と同じくらいに大切なものです。その大切な網を、イエスさまの言葉を聴いて、すぐに捨て、すべての人生をイエスさまに託して従ったのがペトロです。
なぜ、ペトロはそのようなことがすぐにできたのでしょうか。それは、彼が、自分自身を信じるのではなく、「神からの、メシア」イエスさまを信じていたからでしょう。だからこそ、漁師にとって命と同じくらい大切な網を、この人についていけば「大丈夫」と信じ、すぐに捨てることができたのです。
私たちも、これから与えられる今年の後半を「神からの、メシア」イエスさまから「大丈夫」と言われる毎日を過ごしていければと思います。

内村鑑三と平和論  そのⅠ
            長谷川勝義

内村鑑三は、社会の動きにも目を向け、必要な時には、声を上げて、自分の主張を公にした。その中で、明治から大正・昭和と向かう、日本の近代化のまっただの中にいた激動の時代である。彼の叫びは、特に、戦争・平和の問題について、大きなものがあった。基督者として、この世の平和・戦争についてどのように対処したかである。

日清戦争における義戦論の主張

日清戦争は、日本が近代において、初めて外国と戦い、勝利した戦争であった。この勝利は、明治維新政府のこれまでの努力が報いられた成果として国民全体を昂揚させ歓喜に満たせた。そして、だれもが、この戦いは、正義のための戦いで、封建制度で世界に取り残されて人民を圧迫し、不正不実な政治をしている清国に対する天の懲罰を日本が、天に代ってやったのだという主張が日本の立場であった。
日清戦争が起きる原因となったのは、日本が韓国に進出していたからである。明治新政府は、韓国に対して、開国を強く求めていた。それまで、韓国は、以前の日本と同様に鎖国政策を採っていた。日本の要求に韓国は応じようとしないので、力ずくでも開国させようとする強攻策が征韓論である。伊藤博文、江藤新平、後藤象二郎、西郷隆盛らがこの意見である。この中で西郷隆盛は、征韓論というよりも、自分が使者となって、説得に行くという穏健なものであった。その線でまとまりかかっていたのだが、欧米使節団が、帰ってきたときに、大久保利通や木戸孝允、岩倉具視などの反対にあい、まず、海外進出よりも内部充実に力を注ぐこととなり、西郷や江藤らが、
下野し、士族の反乱、そして、西南戦争へと進んだのである。しかし、その後、明治政府の富国強兵策により、軍隊の近代化がすすんで、結局は、韓国に対して強引に開国を要求して、鎖国を終らせることとなった。こうして、韓国に進出する足がかりを作ると、着々と、日本の勢力を高めていった。
もともと、韓国は、中国の属国のようなもので、中国が強い力を持っていた。当然のこととして、日本に友好的なグループと、中国に親しいグループとが対立することとなった。
こうした日本と清国との対立が高まる中、日本の進出に反対する宗教的団体のグループである東学党は、清国の助けをもらいながら、1894年、反乱を起こした。日本は直ちに軍隊を派遣した。これに対して、清国も軍隊を送って、一発触発の状況となる。このようにして、韓国の権益をめぐって日本と清国とがひくにひけない状況となっていくのである。
日清戦争が1894年に始まって、3ヶ月度経ったときに、内村は、『日本及び日本人』を世界に向けて発表したが、その末尾で「日清戦争の義」(Justification of the Korean Warを書き、日清戦争が義戦であることを世界に表明した。その中で、戦争に正義の戦いのあることの例を挙げている。例えば、旧約の時代のギデオンが12万人ものミデアン人を打破ったこと、ギリシアがペルシャの大軍をマラソン、サラミスにおいて倒したこと、これらは、正義のための戦いであった。この清国との戦いも義戦であって、清国は、常に朝鮮の内政に干渉し、日本の平和的な政略を妨害している。この戦いの目的は、一に朝鮮の独立を助けるためである。二に支那を懲罰してこれを再び頭をもたげることのないようにするためである。三に、文化を東洋に敷き、永くその平和を計るためである。なぜ支那を懲らしめるのか、それは、支那がいまだ迷妄なる政治が行なわれており、世界の進歩から取り残され、隣国の朝鮮や日本に対して傲岸無礼を働くからであるとしている。
「然り、吾人(我国)はアジアの救い主としてこの戦場に臨むものなり、吾人は既に半ば朝鮮を救えり、これより満州支那を救い、南の方、アンナン・シャムに及び、遂にインドの聖地をして欧人の羈絆より脱せしめ、以って初めて吾人の目的は達せしなり。東洋の啓導を以って自ら任ずる・・・」と
このように、日本の真意は、朝鮮を助け、その独立をうながし、中国に対しても、猛省を求め、遅れた治世を改めさせ、アジアの南の果てまでも、西欧の支配・圧制から解放するために働くことにあると強調している。これは、まさに、後に軍部や一部の政治家たちが「大東亜共栄圏」の構想を提唱したことと、同一の論理ではなかろうか。日本が本当にそこまで、アジアの友邦のことを考えていたのだろうか。むしろ、日本の進出を正当化するための、まやかしの構想ではなかったか。内村は、日本の優勢な状況に気分を昂揚させて、日本の正義感を独断的に感じ取っていたのではないか。韓国では、すでに、反日運動は、盛んになっているし、中国も日本の勢いを何としても止めないと、中国そのものも脅かされると感じていたに違いない。
日本が、義戦と主張できるような根拠には乏しかったのではないか。韓国や中国での日本の政府や軍部の強引なやり方を内村はどこまで知っていたのだろうか。そういう現実を見ないで、義戦であることを世界に公言したのであれば、これは、彼の失態と言うべきであった。
日清戦争を義戦だと公言した内村は、戦争が下関条約により、終結すると共に、日本が清国より多額の賠償金を得、台湾・澎湖諸島などの領土の獲得をするなど、華々しい成果を見て、日本国民が有頂天となっていたときに、さすがに、日本の真意に気づき、義戦と叫んだ自分の愚かさを反省したことが、アメリカの友人ベルにあてた手紙から読み取れる。 
「義戦は、海賊の如き戦いに変わりました。この戦争の義を著した一予言者(私のこと)は今や恥ずかしい思いです。」
内村に限らず、時の政治家たちも、この戦いを義戦だと強調していたのは間違いない。時の首相の伊藤博文は、以前からこの戦いは、東洋平和のための戦争だと言っていたし、陸軍大臣であった山県有朋などは、もっと露骨に表現していた。つまり、日本はアジアの盟主となるためには、軍事力を強めて、日本の利益線を拡張していくべきだと主張している。このような軍部や政府の意図に気づいて内村は、その後、義戦という言葉は一切使わなくなる。戦争そのものに対して、それは、許されないものだという考えに変わっていくのである。

教会の様子
○田原礼拝所の東側と南東部のブロック塀とコンクリート
  板塀が撤去されました。ロープで囲いを応急的に作りま
 した。
○田原礼拝所は、通常は、土曜日、午後7時30分から礼拝
  が行なわれていますが、年に2回、日曜礼拝を行なってい
  ます。今年は、6月23日、午前10時30分から日曜礼拝が
  行われ、15名の出席がありました。礼拝後は、昼食会が
  行われ、和やかなひとときを持つことができました。
○豊橋礼拝所は、6月23日、野口牧師の説教代読により信
  徒礼拝が行われ、10名の出席がありました。

《これからの予定》

□7日(日) 日曜礼拝、礼拝堂ワックスがけ、役員会
□10日(水) 聖書に聴き祈る会
□11日(木) 田原牧師滞在日
□13日(土) 田原夕礼拝
□14日(日) 日曜礼拝、女性会、男性会
□18日(木) 田原牧師滞在日
□19日(金) 朝祷会/アッセンブリー教会に変更
□20日(土) 田原夕礼拝   みのり教会は8月
□21日(日) 日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
□23日(火) 三遠地区牧師会(岡崎)
□25日(木) 田原牧師滞在日
□27日(土) 田原夕礼拝 
□28日(日) 日曜礼拝

編集後記
今年は、梅雨らしい日々が続いて、雨が多いです。時々の 晴れ間が貴重だと感じます。現在の会堂の20周年記念感謝礼拝が8月4日(日)に持たれます。良き祝福された礼拝となりますように!






0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。