2019年3月5日火曜日

『ともしび』再開123号。20190303

変 容

「イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」
  ルカによる福音書 9章29節

日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

『ともしび再開123号』の発行日、3月3日は雛祭りの日です。雛祭りは、日本において、女子の健やかな成長を祈る節句の年中行事です。教会の暦では変容主日、イエスさまが高い山に弟子たちを伴い、旧約の預言者であるモーセとエリヤと語り合いながら白く光り輝く姿を弟子たちに示したことを覚える特別の日です。
「変容」、それは、姿・様子を変えること、姿・様子が変わることを意味します。
   今日の午後7時、このみのり教会と関係の深い方がその「変容」を迎えます。その方の名は筑田仁さん、昨年の2月まで、このみのり教会で宣教研修をされていた神学生です。その神学生の彼が今日、東京教会で行われる教職授任按手式で按手を受け、その姿を神学生から牧師へと「変容」されるのです。
 その彼は、昨年2月4日に発行された『ともしび再開110号』の中で、『十字架の孤独と復活』と題して、変容後のイエスさまを次のように描いています。
 「主イエスはある面孤独な救い主でもありました。誰も理解してくれない使命、そして受けなければならない十字架という杯。これら全てを心に思い巡らしながら主イエスは子ろばでエルサレムへの道を歩んでいくのです」「孤独な主イエスの行きつく先はゴルゴダの丘での十字架という磔刑です。この十字架の磔刑によって、最後に主イエスは神からも見捨てられるのです」。
 しかし、その神からも見捨てられたように見える十字架のイエスさまの姿に「変容」させられた方がいます。
その方の名は小林セキさん、あの『蟹工船』の作者である小林多喜二のお母さんです。
 彼女は秋田県釈迦内村の小作農と小さなそば屋で生計を立てる貧しい家の娘には生まれました。当時の小作人は、地主に50%もの地代を払わねばなりませんでしたから、貧しい農家の娘たちは身売りするより仕方がありませんでした。セキの幼なじみの少女も売られていきました。
 そして、 学校へ行きたくても、学校は男の行くところだと親からは相手にされないセキは15歳で小林の家に嫁ぎ、三男三女を生み育てます。その次男が多喜二です。
セキは優しい母親でした。自分は字も書けませんでしたが、多喜二は叔父の世話で小樽高商(現小樽商科大学)まで卒業させてもらい、銀行に勤めます。当時の銀行は大変な高給で、一生涯楽に暮らせる程でしたが、多喜二は貧しい人の味方となって小説を書き、武器を作るお金で皆に白い米のご飯を!と反戦を訴え続けました。そんな彼の小説は危険思想とみなされ、遂に多喜二は国家権力によって殺されてしまうのです。
 セキは自分の息子が悪い事などするわけがないと多喜二を信じ続けていました。そんな折、長女のチマに教会へと誘われます。その教会でイエスさまは何も悪いことをした訳ではないのに、磔にされ、酷い殺され方をされたことを知るのです。
 そして、イエスさまは苦しい息の中で、イエスさまを十字架につける人々を見て「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と自分を殺そうとしている人々を赦してくださいと言われるイエスさまの言葉に出会うのです。
 また、その教会の牧師に「ピエタ」を見せてもらい、「母親のマリアさまはどんなにつらかったべかなぁ」と涙を流し、息子多喜二を殺された恨みの心を赦しの心に「変容」させられていくのです。
 私たちもこれから迎える四旬節の時、このセキのように、自分の中の恨みの心を赦しの心に「変容」させてもらえるよう、イエスさまの十字架の姿を覚えながら過ごしていけるよう祈ることができればと思います。
                                       
信仰と俳句
竹内 輝

 俳人であった父の勧めで、20代のころから俳句を始めた。高浜虚子の孫にあたる稲畑汀子さん(現在朝日俳壇選者)が主宰する「ホトトギス」に投句していた。
 当時、芦屋の稲畑邸で、「ホトトギス」の若い俳句作家の育成を目的とした「野分会」の合宿が行われ、全国の若い俳人たちと句会や交わりをもったことが懐かしく思い出される。そのメンバーのなかから、現在、俳壇で活躍している俳人も生まれた。そのころは珍しい若い俳人ということで、どの句会に行っても大事にされ、俳句の先生方から随分と目をかけていただいた。とくに毎日新聞の俳句欄では、高校国語教科書にも句が掲載されている著名な山口青邨氏が私の句を度々入選に採ってくれた。はがきに年齢も記していたこともあり、作品の出来はともかく、青邨氏は若い私を励ます意図もあって、あえて私の句を採ってくれたのではないかと思う。
 20代前半に熱中した俳句であるが、教員になって仕事に追われるようになってく
ると、句会にも足がだんだんと遠のき、所属する俳誌への投句も終にやめてしまった。
 そして、それから40年近い長い中断。句作を再開したのは、ここ数年前である。再開といっても、ほそぼそとである。月に一度、現在会員となっている「香雨」「岬」という俳誌に7句を揃えて投句するのに精いっぱいである。句作力は20代の時より上達しているどころか、初心者の域のままである。この間のブランクがなければと後悔するばかりであるが、仕方がない。
 「老い」を感じる年齢となり、作る俳句も変わってきた。とくに最近は、信仰者として感じること、想うことを俳句に詠んでみたいと願うようになった。

絵硝子に待降節の光満つ 

リス族にリス語の聖書クリスマス

跪き旅人祈る聖夜ミサ

 昨年のクリスマスの頃にできた句である。1句目はみのり教会のクリスマス礼拝のときに、2句目、3句目は年末に訪れたヤンゴンでの吟行句。2句目のリス族はミャンマーの山岳部に住む少数民族である。3句目は、ヤンゴンには息を呑むような美しく荘厳なカソリック教会があり、その聖夜のミサにビルマ人に交じって祈る外国人の旅行者を詠んだ。
 按手礼受くる青年茨の芽 
 みのり教会で研修され、按手礼を受けた神学生を句に詠んだ。「茨の芽」という季語に、私なりの神学生への思いを込めた。俳誌「岬」に掲載したこの句に、クリスチャンではない俳人の方の次のような鑑賞文が添えられていた。
 ―「按手礼」とはキリスト教で、聖職任命の儀式のこと。この青年は聖職者となる儀式を受けたのだ。青年が聖職者として芽生えた時、窓越しに庭先を見ると、茨が芽吹いているのを見たのだ。イエスがゴルゴダ丘で十字架刑になった時、茨の冠をつけていたのだ。―
 私の拙い俳句が「祈り」にまで高められることを切に願いながら、これからも句作に励んでいきたいと思う。

3月の行事予定
3日(日)日曜礼拝、役員会、教職任按手式(東京教会)
6日(水)灰の水曜日、聖書に聴き、祈る会
7日(木)田原牧師滞在日
10日(日)日曜礼拝、女性会、男性会
13日(水)聖書に聴き、
    祈る会(20日~春休み、4月10日再開予定)
14日(木)田原牧師滞在日
16日(土)田原夕聖餐礼拝
17日(日)日曜礼拝(筑田牧師説教奉仕)、昼食会、
    お便りの集い
21日(木)教区総会(浜松教会)
23日(土)田原夕礼拝
24日(日)日曜礼拝
30日(土) 田原夕礼拝
31日(日)日曜礼拝

編集後記 
 3月は、一年のうちで一番わくわくする月ではないでしょうか。
 寒い日が過ぎ去り、日増しに暖かくなり、冬眠から目覚めた生き物が再び活動を始めます。枯れ草の中から、青々とした芽が吹き出てきます。梅の花や桜の花が次々に開いてきます。まさに、復活の時期です。イースターの意味が解る時期です。
 死んでいたものがよみがえります。これこそ、神のわざです。人がいくらがんばっても出来ないことです。科学の力でもまねはできません。天と地は、神の創造のわざを示します。                        




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