2019年2月3日日曜日

『ともしび』再開122号。20190203

「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす」
ルカによる福音書10章3節

日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口 勝彦

  この「ともしび」再開122号が発行される今日は、昨年1年間の神さまのからの恵みに感謝し、神さまから与えられた1年間の教会活動を振り返り、そして、新たに与えられた1年間の神さまのからの使命を確認する教会総会が行われる日です。
 このみのり教会では、2015年度から教会目標「恵に押し出されて」に、「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。」を主題聖句として、4年間、三浦牧師のもと、神さまから与えられた使命を果たしてきました。私は2019年年度の総会でも同じ教会目標・主題聖句を提案しました。
 「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす」、このみ言葉には、次のような厳しいみ言葉が続いていきます。「それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。」、「狼の群れに小羊を送り込む」、「小羊」、それは言うまでもなく、私たちのことです。私たちは、「狼」、つまり、「小羊」にとっては天敵である「狼」の、それも、「群れ」の中に遣わされるというのです。
 先日、テニスの世界四大大会の一つ全豪オープンテニスが開催されました。皆さんもご存知の通り、女子は大坂なおみが初優勝し、アジア人としてはじめて、テニスの世界ランキング1位となり、日本中が歓喜しました。また、男子も錦織圭がベスト8に進出しました。私は、そのベスト8に進出が決定した試合を偶然、テレビで観戦していましたが、その熱戦ぶりに思わず、時間を忘れて5時間5分の全中継に見入ってしまいました。
その試合について、元プロテニス選手で、錦織圭の才能を小学生の時から見出していたスポーツキャスターの松岡修造氏が1月22日、自身の公式サイトを更新し、逆転勝利した錦織圭への思いを次のように綴っています。
「錦織選手の試合はまさに崖っぷちの試合でした。正直に言います。ブスタのテニスを最後まで崩すことはできないのか、という思いと同時に、『ここまでか…』という思いが、僕の頭をよぎってしまいました…。(圭ごめん!)」「でも、圭は決して最後まで諦めることなく “勝てる!” と誰よりも自分を信じていたのです!」「けがをしていた時に培った“タフ”さが、圭の心を諦めさせませんでした」「マイケル・チャンコーチの目が潤んだのは、勝った!という歓喜というよりも、けがや不調でつらい時期を共に過ごし、圭を信じて見守ってきたからこその『よくぞここまで戻ってきてくれた!』という安堵の表情に見えました」と綴っています。
  私たちも、今年、この錦織選手のように、絶体絶命の試練、つまり「狼の群れに小羊を送り込」まれたような試練に遭遇するかもしれません。しかし、錦織選手にマイケル・チャンコーチがいつも共にいて、見守ってくれていたように、私たちにはいつも神さまが共にいて、見守ってくださっています。私たちは今年も、このことを信じ、主の「恵に押し出されて」に、「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。」のみ言葉に従っていけるよう互いに祈り合い、その使命を果たすことができればと思います。

ガンジーとヒンドゥー教 その2       
長谷川勝義

 幼い時から母親の敬虔なヒンドゥー教徒としての信仰を見ていて、ガンジー自身もヒンドゥー教徒として厳格にその教えを守ったようだ。特に、18歳でイギリスに留学と言う時に、母親は、異教徒のイギリスに行けば、そちらの風習にそまってしまうからと留学に反対であった。しかし、酒・女・肉には触れないという約束を必ず守るならば、行ってもよいということで、ガンジーは、イギリスでの3年間の留学の間、この厳格な約束を守り通したということである。このイギリス留学の際に、カースト制度がまず、ガンジーの前に立ちはだかった。ガンジーの属するカーストの長老会議に呼ばれて、国外へ行くことは、カーストの掟に反することだから認められない。どうしても行くというならカーストから追放するという。
 ガンジーは、商人で外国に行って商売している人がいるではないかと反論したが、認められなかった。それでもガンジーは留学を諦めきれず、兄たちの応援もあって、イギリスに旅立った。その結果は、カーストからの追放という厳しいものであった。
 このようなこともあって、ガンジーは、カースト制度の古い因習や同じ人間でありながら、特にシュードラのような人権の認められていないような階級を許しているこの制度を見直すべきだと考えていた。
 しかし、インドのカースト社会は、現在でもその力は、絶大のようで、ガンジーやその他の先進的な考え方を持っているすぐれた指導者がいても改革はむずかしいようだ。それは、インド社会そのものが、カースト社会のしくみにのっかっているといことだろうか。各カーストが自治組織を持っており、成員を援助したり、寡婦や孤児の面倒を見たりする扶助組織としての役割を果たすと共に、カーストのタブーや掟を違反したりする者に対して罰金や体罰を加えたりする権限をもっている。だからこのカーストの掟に違反することは、このカーストから除外され、この社会で暮らすことができないということになる。
 ガンジーは、イギリスでの留学生活の中で、ヒンドゥー社会ではなく、キリスト教の社会の中で生活し、キリスト教文化を大いに体験したわけで、大きな影響を受けたと思われる。熱心なキリスト教徒の家庭とも親しく交わり、クリスチャンの友人もできた。しかし、ヒンドゥー教徒としての信念は生涯揺らぐことはなかった。そのことをヒンドゥー教の研究者で『ヒンドゥー教』―インドの聖と俗―の著者森本達雄氏は、あとがきの中で次のように述べている。
 「ガンジーがヒンドゥー教を自分にとって最上の宗教だと言った時、彼は決して自宗を我田引水的に理想化し、その欠点や俗性に目をつぶったのではなかった。彼は、宗教とその信者との関係を「結婚」になぞらえて言った。「宗教の絆は、結婚の絆よりはるかに固い。そして夫または妻は、それぞれ自分の伴侶が他の女性や男性と比べ物にならないほどすぐれた美点をもっていることを意識しているからではなく、言葉ではうまく言い表されないが、どうにも抗いがたい魅力を感じるがゆえに、夫は妻に、妻は夫に貞節であり続ける。・・・もしも、ヒンドゥー教の多くのの美点に気づいていなかったなら、多分私はヒンドゥー教徒であり続けることなかったであろう。他宗教に対する私の態度は、あらさがしをする批評家的なものではなく、他宗教の中にも類似の美点を見出すことを願い、さらに他宗教にあって、自分の宗教には残念ながら欠けているよいところを自分の宗教に取り入れたいと切望する、一人の敬虔な信仰者としての態度である。」
 このように、ガンジーにとってヒンドゥー教は、夫婦の絆よりもはるかに固いものであり、言葉では言い表せないほど、魅力をもっており、さまざまな美点をそこに見出すものであった。ただ、ヒンドゥーの教えが完全なものではなく、直したい欠点もあることも認める寛容さを彼は持っていた。ヒンドゥーの欠けている点が、何なのかということであるが、それが、カーストによる人間としての差別なのか、女性への差別なのか、はたまた、古い因習や、迷信的なことに未だに固執していることか等が考えられるが、それらは、未だにインド社会に残っているが、時代と共に改善されつつある。
それでは、ガンジーにとって「言葉で表されないほど魅力があるヒンドゥーの教え」とはいかなるものであったか。
 ガンジーのキリスト教徒の友人が「君はキリスト教の良さをそれだけ認めているのになぜクリスチャンにならないのか」と何度もすすめられたが、ガンジーは、「あなたたちは、なぜ、キリスト教だけが正しいというのか。それこそが高慢ではないか。ヒンドゥーは、そのような差別はしないからそれが美点であり、素晴らしいところなのだ。」と答えたということである。(続く)

《2月の予定》

    3日(日)  日曜礼拝、定期総会(豊橋礼拝所)、役員就任式、役員会
    6日(水)  聖書に聴き、祈る会
    7日(木)  田原牧師滞在日
    9日(土)  田原夕礼拝
  10日(日)  日曜礼拝、女性会、男性会
  12日(火)  三遠地区牧師会(浜名教会)
    13日(水)  聖書に聴き、祈る会
  14日(木)  田原牧師滞在日
    16日(土)  田原夕聖餐礼拝
    17日(日)  日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い、総会資料製本
    20日(水)  聖書に聴き、祈る会
    21日(木)  田原牧師滞在日
  23日(土)  田原夕礼拝
  24日(日)  日曜礼拝、三遠地区宣教委員会総会(刈谷教会)
    27日(水)  聖書に聴き、祈る会
    28日(木)  田原牧師滞在日

編集後記 
2月になると、梅の花が咲き、通りを歩いていると、その香りがしてきます。ほのかな春の香りです。スイセンの花も開いてきます。春が脈動してきます。再生の時と言うことがわかります。平和の年として、日本や世界が健やかに進む年であることを願っています。原稿をお寄せください。

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