待降節第1主日礼拝
(12/3)は
「目を覚ましていなさい」
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
マルコによる福音書13章24節~37節
礼拝後、岡崎教会の方からいただいた三ヶ日みかんのプレゼントがありました。
キリスト教ルター派教会:1517年にマルチン・ルターの宗教改革によりドイツで誕生したルーテル教会は、ドイツだけでなく北欧にも広がり、国民教会となりました。その後、アメリカにも渡り、更にアジア、アフリカ、ラテン・アメリカなどに至って今日全世界に存在するようになっています。2017年10月31日に宗教改革から500年を迎えました。
待降節第1主日礼拝
(12/3)は
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
マルコによる福音書13章24節~37節
礼拝後、岡崎教会の方からいただいた三ヶ日みかんのプレゼントがありました。
聖霊降臨後最終主日礼拝
(11/25・26)は
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。"そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
マタイによる福音書25章31節~46節
聖霊降臨後第25主日礼拝
(11/18・19)は
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。"それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
マタイによる福音書25章14節~ 30節
聖霊降臨後第24主日礼拝
(11/11・12)は
礼拝に関し、感染防止のための対応を行っていますので、ご理解・ご協力をお願いします。
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。"そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
マタイによる福音書25章1節~13 節
先週日曜日、みのり教会宣教70周年記念礼拝・祝会が、みのり教会初代宣教師ご子息兄弟と前みのり教会牧師ご伴侶を迎えて51名の方の出席により神さまの恵みと祝福の中て行うことができましたことに心から感謝いたします。私は、昨年の岡崎教会宣教70周年に続き、今年はみのり教会宣教70周年にその教会の牧師として、その日を迎えることができますことに心から感謝しています。
みのり教会は、1953(昭28)1月9日に宣教師総会にてリチャード・ネルソン宣教師の豊橋への派遣が決定されたことから始まります。同じ年の11月8日、豊橋市旭町の同胞園内の幼稚園にて最初の礼拝が行われました。そして、翌年の1954(昭29)年11月28日に最初の洗礼式が行われ、1956(昭31)年10月27日に現在の豊橋礼拝所の地に最初の教会堂が献堂されました。その後、1955(昭30)年にネルソン宣教師によって小嶋一二三堂で定期集会が始められた田原教会と1963(昭38)年9月22日に第一回集会が行われた高師教会と合同し、現在のみのり教会へと発展しました。旧田原教会は宣教68周年、旧高師教会は宣教60周年となります。
みのり教会では宣教70周年(2023年11月8日)を迎えるにあたり、元みのり教会牧師(2000年~2003年)、宮本新牧師(現、ルーテル学院大学・日本ルーテル神学校准教授)の説教奉仕により宣教70周年記念聖餐礼拝・祝会を行うと共に、2021年には伝道30周年記念として高塚初美姉より献品されたリードオルガンの修繕を、2022年には豊橋礼拝所の外壁・防水塗装等の整備を行いました。また、田原礼拝所(田原教会)の母体である小嶋一二三堂集会の小嶋三義牧師より長年愛用されていたヒムプレヤーを70周年記念として献品していただきました。そして、宣教70周年記念誌を発行しました。この記念誌は、10周年、25周年、そして、50周年の記念誌に続く、4番目の記念誌です。特に、50周年後の20年間の教会での様々な働きが記された記念誌でもあります。つまり、21世紀のみのり教会の働きをこの記念誌によって改めて振り返り、神さまが21世紀を迎えたみのり教会をこれまで支えてくださった恵みに感謝するものとなりました。また、この20年間の内、15年間、みのり教会牧師として働かれた三浦知夫先生を覚えて、元みのり教会牧師(1963年~1966年)の北尾一郎先生から三浦先生が出版に関わられたご著書を献本していただきました。
みのり教会は2019年8月4日の豊橋礼拝所献堂20周年記念礼拝の記念品として信徒の方が献品された手ぬぐいに書かれた「元気を出しなさい」(使徒言行録27章25節)を主題聖句として、コロナ禍の4年間、礼拝を守ってきましたが、記念礼拝はこのみ言葉によって説教が語られました。今年洗礼を受けられた信徒の方が、今から70年前ごろの小学生時代に、豊橋の隣町の三ケ日の教会学校でこのみ言葉を二人の宣教師(一人はネルソン宣教師の可能性が高いようです)の方から聴かれたそうです。すべては神さまのみ心の通りの宣教70年です。感謝。
みのり・岡崎 野口勝彦