2022年12月19日月曜日

《三遠地区使信 №1238》20221218「天には栄光、地には平和」

 「天には栄光、地には平和」

 今年もあと二週間となりました。そして、来週は、クリスマスを迎えます。2022年、今年は、近代的学校制度を定めた学制が交付されて150年の節目の年です。また、鉄道開業150周年の年でもあります。すべての国民が教育を受けることができる制度と鉄道開業は共に、日本の近代化を進める目的で行われました。

 その鉄道に関し、今年4月、「プロジェクトX4Kリストア版執念が生んだ新幹線〜老友90歳戦闘機が姿を変えた」が放映されました。1964(昭和39)に世界最高速度の256kmで営業運転を開始した「東海道新幹線」の開業は当時の日本の高い技術力を世界に見せつけることとなりましたが、その世界にも類を見ない開発に携わったのは、旧陸海軍の技術者たちです。そして、その中心人物の一人となったのは、戦時中、戦闘機の設計を担当した航空技術者の三木忠直です。彼は戦後、「人の役に立つものを作りたい」との思いから鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)に入所し、「飛行機」の理論を「鉄道」に持ち込み、当時の世界最高速度256キロの「夢の超特急」を実現したのです。

彼は太平洋戦争末期に、人間爆弾「桜花」の設計を担当させられました。「桜花」は終戦までに755機が生産され、55名が特攻して戦死したとされています。終戦後、彼は、自分が設計した航空機で戦火に散った多数の若い命に対して強い自責の念を感じ、思い悩む日々が続きました。そして、聖書の「凡て労する者、重荷を負う者、われに来たれ、われ汝らを休ません」(タイ11:28:文語訳)に出会います。彼の心はこの言葉に救われ、1945(昭和20)年1215日、37歳の誕生日に自らの重荷をキリストに預け、洗礼を受けました。そして、「とにかく戦争はもうこりごりだった。自動車関係にいけば戦車になる、船舶にいけば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんですよ」と彼は、自分の技術を戦争に使わせないと誓います。その後、90歳を過ぎても毎週日曜日の礼拝に出席し、2005年、95 歳で天に召されました。

 彼は自著『神雷特別攻撃隊』で「大戦は死に物狂いの新兵器の開発を通して科学技術・物質文明の飛躍的な発展を遂げさせる」「しかしそれらから発展した戦後の多くの成果も、果たして世界大戦という代償に値するだけの幸福を人類にもたらしたであろうか。永遠の平和が人類の願いであるにもかかわらず、終戦後地球上のどこかで局地戦は未だにつづいている。人間の救いがたい罪であろうか。『天には栄光、地には平和』を切に祈願しつつ筆を擱()く」と記します。私たちもクリスマスを迎えるこの時、地上に神さまの真の平和がもたらされるよう共に祈りましょう。             

 みのり・岡崎 野口勝彦



0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。