2019年11月7日木曜日

『ともしび』再開131号。20191103

「心の貧しい人」

「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである」
マタイによる福音書5章3節

日本福音ルーテルみのり教会牧師 野口勝彦

   台風19号に続き、台風21号による豪雨による災害が千葉県を中心に発生しました。被災された方々のことを覚え、被災地の復旧・復興が一日も早く進みますよう祈りたいと思います。
   さて、『ともしび131号』が発行される今日は全聖徒主日です。天に召された方を覚え、共に礼拝を守る特別の主日です。礼拝後には、高山霊園で墓前記念会も行われます。
   天に召される日、つまり、この世での使命を終えた後、多くの人は、これまでのこの世での様々な恵みを与えてくださったことを神さまに感謝し、また、天に召された方のことを覚える葬儀を行います。
  そして、葬儀の最後、つまり出棺の時、私は牧師として「山上の説教」と呼ばれるみ言葉を唱えることにしています。それは、ここには私たちへの「祝福」つまり、神さまから与えられる幸福について記されているからです。
  このみ言葉は「心の貧しい人は、幸いである、天の国はその人たちのものである」から始まります。
  「心の貧しい人」、これは、ギリシア語原語から直訳すれば、「霊において乞食である者たち」、つまり、「自分に誇り頼むものが一切ない者」と言う意味です。
   この「心の貧しい人」と言うみ言葉には、次の三つの意味があります。
  一つ目は「実際に乏しく、苦しみ、悩む人」、二つ目は「神の前に心低く、謙遜である人」、三つ目は「神のため隣人のために貧しさを引き受け、戦う人」と言う意味です。
 そして、この三つの意味の人々が、続くみ言葉に現れます。つまり、「実際に乏しく、苦しみ、悩む人」とは「悲しむ人々」であり、「神の前に心低く、謙遜である人」とは「柔和な人々」、そして、「神のため隣人のために貧しさを引き受け、戦う人」とは「義に飢え渇く人々」であると。
 その彼らは、まさに、今、神さまから「幸いである」と祝福されるのです。
 「幸い」、このみ言葉は、本来、神々における不安・労働・死のない至福の状態を表す言葉です。「不安・労働・死のない至福の状態」、それは、まさに、パラダイスそのものです。
 そのパラダイスの門、つまり、天国への門が開かれた時、永遠の命を得、天に向かうその時にこの世の最後の言葉として私は唱えるのです。
 神さまに祝福され、永遠の命を得て、天に送られた方々は、今、神さまの身許で安らかな日々を送り、この世の私たちを見守ってくださっているのです。

内村鑑三における宗教思想「ともしび129号」からの続き   
長谷川勝義
 (四) 何を信ずるか
 「『すべての事これ信じ』とは何事によらずこれを信ずとの意にあらず、すべての事これ信じとはすべての善き事はこれ信ずとの意なり。余輩は天に愛の父の在すを信ず、余輩は罪の赦しを信じ、霊魂の不滅と肉体の復活を信ず、余輩は万物の復興と天国の来臨とを信ず。余輩の信ずべからざることは悪が遂に世に勝たんとのことなり。この世が全滅に帰して混沌の再び宇宙を蔽うに至らんとのことなり。信仰は希望なり、善を望まざる信仰は信仰にして信仰にあらず。」
このように鑑三は、基督教の信仰の何たるかを述べている。 
 信仰は、希望であり、善なることを信じることであると言う。悪に打ち勝つのを信じるのである。正義と愛の神の内
に安心して過ごすことを信じるのである。
(五) 無教会
 「我は我が主イエスキリストに倣いて教会なるものを建てざるべし。教会は真理を制限す
るものなり。しかして、制限せられて真理の繁殖を計る難し、我は真理其物を伝えてその保存扶植を画せざるべし。我は単純なる伝道者たらんと欲す。」
 キリストは教会を作らなかった。それに倣って鑑三も無教会でいくと言う。教会は、組織であるから、決まりが必要となり、どうしても、色々なことを制限する。これまでの教
会の歴史がそれを物語っている。真理は制限されてはならないというのが、鑑三の無教会の意味なのである。基督の真理は、「教会」によっても制限されてはならないものである。
(六) 真理の自存
 「真理は其物自身の証明者なり、真理はまた、其物自身の拡張者にして且つ保存者なり、単純なる真理其物を伝えて吾人は衰退煙滅を懼るるの要なし、真理は其物自身の気付けを
取るべし。吾人はこれを天の雨と地の風とに任せて、その成長を疑うべからず。」
 鑑三の生涯は真理の追究に尽きると思う。基督イコール真理と信じた鑑三の生涯である。
 真理でありさえすれば、それは、自然と成長し発展する。消滅するようなものではないという確信があった。基督の教えも、真理である以上、衰退・煙滅の心配は全くないのであ
る。鑑三にとって、基督教が真理でなかったならば、それは滅び行くものなのである。
(七) 破壊者
 「真理は一種の破壊者なり、真理の破壊性を懼れてその伝播に従事する難し、真理は能く毀ちて能く建てるものなり、世に焼かざる火を求むる者あるなし、然れども毀たざるの真
理を求むる者の往々にしてあるを如何せん。」
 真理は破壊者あると言う。いかにも内村らしい言い方である。真理であればあるほど、そうでないものとぶつかる時がある。そういうときには、真理は破壊者となるか、妥協するかである。真理は妥協したのではそれは真理でなくなる。真理は敵を破壊するのを懼れてはならないというのである。
(八) 伝道唯一の方法
 「伝道の方法を講ずる者多し。然れども余輩はその浅慮に驚かざるを得ず、伝道唯一の方法は福音有りのままを確信してこれをこの飢えたる社会に供するにあり、この確信乏しく
して伝道せんと欲す、これ弾薬に乏しくして戦略を講ずるの類ならずや。」
 救いの真理である福音をそのまま人々に供すれば、それが伝道で、その成果に汲々することはないと言うのが鑑三の伝道であった。人々は本当の福音に飢えているはずだという確信が鑑三にはあったのである。
(九) 迷信と信仰の区別
 「道徳に関係なきもの、また、道徳に違反するもの、これ迷信なり。道徳と相い離れざるもの、また、道徳を助くるもの、これ信仰なり。福利を祈ることこれ迷信なり、正義を懇
求するもとこれ信仰なり。迷信、信仰の別は知識的ならずして道徳的なり。」
 鑑三は、迷信と信仰の区別を、それが道徳的かどうかで分けている。迷信は、己の望みや利得だけを求めるが、信仰は違うというのである。信仰は、正義でなくてはならないというところがいかにも、武士的信仰の内村の信仰を表わしている。信仰において求めるものは、それが個人的であっても、皆に広く益するものであるはずである。それにしても現代の世の中に、迷信を信じている者がいかに多いことか、己の利得を求める信仰者が多いことか、鑑三の嘆くところである。
③ 内村鑑三の無教会論
 内村鑑三がなぜ、教会を持たず、教会無しのキリスト教を推し進めたかは、なかなか理解しにくいところである。
ただ、解るのは、これまでの教会があまりに組織化され、制度化されて、使徒時代にあったような、信徒の生き生きとした交わりや、聖霊に押し出されて主の証人として人々に基督の福音を伝えることが見られなくなったという強い批判と懸念があったのではないかということである。極端に言うと、世の教会は、堕落しており、真の教会ではない。教会は、建物や組織や聖職者を必要としないということである。洗礼とか聖餐式とかそういう儀式すらも必要ではないという。これは、革新的なことである。
 彼は、明治34 年に『無教会』という小冊子を発刊して、世に無教会という教会があることを公にしたのである。この第一号によってなぜ、今、無教会なのかを見ていきたい。
(一) 教会のない者の教会
 「『無教会』と言えば無政府とか虚無党とかいうようで何やら破壊主義の冊子のように思われますが、決してそんなものではありません。『無教会』は教会のない者の教会であります。即ち、家の無い者の合宿所ともいうべきものであります。即ち、心霊上の養育院か孤児院のようなものであります。『無教会』の無の字は『ナイ』と読むべきものでありまして、『無にする』とか『無視する』とかいう意味ではありません。金の無い者、親の無い者、家の無い者は皆な可憐な者ではありませんか、そうして世には教会の無い、無牧の羊が多いと思いますから、ここにこの小冊子を発刊するに至ったのであります。」
 ここで言っていることは、教会を無しにするとか、無視するのではなく、教会を持たない人や、何かを求めている人たちが集える所の場所や時を提供するのが無教会の趣旨であるという。ここで言いたいことは、今までの教会ではないけれども、基督を求める人々が集まり、聖書の教えを聞いたり、賛美したり、信徒同士の交わりができる、そんな孤児院や養育院にあたるものを無教会は目指しているのは明らかである。

《みのり教会 11月の予定》
□ 3日(日) 日曜礼拝(全聖徒主日)、墓前記念会、役員会
□ 4日(月) 
 5日(火)東教区プロジェクト3.11「東北訪問プロム」 
□ 6日(水)聖書に聴き祈る会
□ 7日(木)田原牧師滞在日
□ 9日(土)田原夕礼拝(子ども祝福式)
□10日(日)日曜礼拝(子ども祝福式)
□13日(水)聖書に聴き祈る会
□14日(木)田原牧師滞在日
□16日(土)田原夕礼拝
□17日(日)日曜礼拝、祈祷会、お便りの集い
□19日(火) 海地域教師会役員会(豊橋)
□20日(水)聖書に聴き祈る会
□21日(木)田原牧師滞在日
□24日(日) 田原日曜礼讃美拝、豊橋信徒礼拝
□27日(水)聖書に聴き祈る会
□28日(木) 田原牧師滞在日
□30日(土)「熊本地震に学ぶ」~南海トラフ地震に備えて

編集後記
 今年は、風水害の被害が続いた年でありました。多くの方が被害に遭われ、その苦しみは耐えがたいものがあると思います。一日も早い復興を祈るのみです。
   今年もあとわずかです。これからやっと秋晴れも望めそうです。クリスマスに向けて、多くの人が教会に来られるよう祈りたいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。