2018年7月2日月曜日

『ともしび』再開115号。20180701


虹を見つめて     

日本福音ルーテルみのり教会牧師  野口勝彦

「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める』
創世記98節-17

今年の三遠地区の修養会のテーマは「聖書の世界で平和を考える」ですが、今から74ケ月近く前に、平和が全く失われた光景が広がっていた地域がありました。それは東日本大震災の被災地です。
昨年の7月、その衝撃とその後の様々な支援を受けた記録を残そうと一人の被災者の方が『津波のあとの十三浜―復興への道のり-』を出版されました。
その方の名は佐藤清吾さん、ルーテル教会救援が支援していた宮城県漁協北上町十三浜支所運営委員長をされていた方です。その著書の中で、佐藤さんは、ルーテル教会救援との出会いと支援について次のように書かれています。

「日本福音ルーテル教会には、大型テントの組合負担金の助成をいただき、大変助かった。後に結婚された佐藤文敬さんと遠藤優子さんは、当時、箱眼鏡、櫂の材料が不足した中、遠方からその材料の買い付けと運搬に八面六臂の活躍をして下さった。又、復興イベントのボランティア等の広範囲な支援の手を差し延べて下さった」

その著書を通じて様々な支援に感謝されている佐藤さんですが、ご自身も被災者として大きな痛手を受けられています。
この著書の扉には「妻、由美子に捧げる」と記されていますが、佐藤さんは、今回の震災で愛する妻とお孫さん、そして、姉と二人の甥、父方の従兄、母方の従兄夫婦を失っています。その時の様子を次のように記されています。

「海から三十メートルも無い我が家には、私の半生をかけた松柏の盆栽の棚が庭一杯に有る。その盆栽と我が家の姿を眼に焼き付けておきたくて、私は再び海岸の方に車を走らせた。(中略)妻に年老いた姉と兄、孫の世話を頼むと言い残して。まさかこれが別れの言葉になると気付かずに・・・」「漸く押し上げる波が弱まった事を確かめて、山陰にある家族の居る実家に向かって瓦礫の間を縫い歩き、その方向を見るも、家がない!・・・一瞬で妻も孫も、兄も姉も流された、と悟らざるを得なかった・・・」「山の中から何人か降りて来た。(中略)するとその中の一人から、私の妻と孫が避難した実家の後ろの家のニ階のベランダに居ながら流されて行った、と聞かされたのだ」


その後、佐藤さんは、妻とお孫さんの遺体探しを次のように行います。

「私と娘は、孫の年頃の子供を見ると足を止める。妻の身長と似た人、孫のように体格の良い男の子、もしやと思い慎重に遺体を見て回る。何体の遺体の前で足を止めて探し歩いたことか」

そして、そのような状況の中、地域復興の要である漁協の代表に復帰され、地域の復興活動に専心されたのです。

佐藤さんは「あとがき」の最後を次のように結ばれています。

「『清吾さん、震災後の十三浜と、清吾さんの記録を必ず残すようにね!』あの境遇の中で、復興と云う役目を担う気力を私に与えて下さった、我孫子の仲村さんが、またしても私の尻を叩いてくれました。そして五年半経って暫くその気が起ったのです。それまでは日々の仕事と役目、来客への対応、将来への暮らしに向けての物理的な準備と心の備え、それらは私個人だけを切り離して進められない事でもありました。住み続けるこの地域の未来が、少しでも住み心地が良くなる為の準備でもあるからです、家族も含めてこの地域の人々が細やかでも新しい住処で暮らせる喜びを感じて貰える事を願っております。この場を借りて全国のご支援頂きました皆様に、北上町十三浜の被災民になり代わり、限りない感謝の思いを申し述べさせていただきます。有難う御座いました」

今日、私が選んだみ言葉には次のように記されています。

『あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。 すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない』

「虹」、それは、神さまと私たちの契約のしるしです。
そして、それは、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してしない」との神さまの約束です。
「聖書の世界で平和を考える」今日その約束を信じ、その約束のしるしであり希望である「虹を見つめて」、これからも被災地復興の支援と祈りを続けていけるよう、私たちは祈りたいと思います。    
                (2018年度三遠地区修養会開会礼拝説教抜粋)

本間俊平(ほんましゅんぺい)のこと        長谷川勝義

 当、みのり教会の前身、豊橋福音ルーテル教会であった頃、日本人牧師として始めて赴任したのは、山中恵郎牧師であったが、そのお母さんも、牧師館で住まわれていて、九州弁でとても明るくて素敵な人で、学生だった私は、よくいりびたってお世話になっていた。 確か、そのお母さんに紹介されてこの本間俊平のことを知り、『本間俊平撰集』を買い求め、むさぶるように読んだ。いつしか、愛読書となり、「多米の水源地」(昔、豊橋の花見の名所)に上っては、大声をあげて、その中の説教集を読んだことが懐かしく思い起こされる。
 本間俊平は、新潟県出身で、幼い頃から苦労を重ね、基督者となり、後に山口の秋吉台で、石工としての事業を始め、刑務所あがりの人たちや、ぐれて手に余る若者たちの更正に力を注いだ。彼の全身からなる熱情と愛から感化された者は多く、全国各地の教育現場や会社・企業から講演依頼は絶える事がなかった。彼のことを秋吉台の聖者と言う人たちもいた。『本間俊平撰集』の中の説教のほんの一部をのせる。ぜひ、こうした、本物の信仰のツワモノのことを覚えて、学んでいきたいと思う。

『本間俊平撰集』17 「キリストの証人となれ」より

一、        主は説教せよとも演説せよとも仰せ給わず、ただ証人になるべしと命じ給うのであります。今更申し上げるまでもなく、キリスト教生成の大原因は、説明にあらずして実行であり、言論でなくして能力であります。実に主の血に救われたる活ける実験的確証ほど力あるものはない。いかに流麗なる弁舌も、いかに巧妙なる説教も、ただ人心をなめずり廻すに過ぎずして、決して起死回生の能力はないのである。真に忠信なる実験的立証は、聖霊に伴われての人心頑固の硬衣を突き破り、その内部に主の生命を貫通せしむるのである。今日必要なるものは、流暢なる弁舌の人ではない。鮮麗議論の人ではない。ただイエスの後に従い、人の子のために血だらけになって役わるる人である。ああ、流暢の弁と絇爛たる言論をもって、活ける血の宗教を粉飾糊塗し去りて、白粉コテコテたる売女の如くならしめたものは誰であるか。人をして真理のため、正義のため、進んで鉄火の苦痛を受くることを嫌わしめ、ただ宗教を玩弄せしむるの弊害に陥らしめたものは誰であるか、実に今日は危険なる時代である。さなきだにずるき人心を甘やかして、熟睡せしめてしまい、麻痺せしむるの道具としてしまい、罪に死せる心霊を復活せしむるの威力と尊厳をなくしてしまったのである。


二 この恐るべき危険なる時代に要するものは、何であるか。言論に非らずして能力である。能力の泉源なる聖霊である。少しにても霊火を湛ゆる人である。非人でも、乞食でも、我々の如き職工でも、何でもよろしい。殺されても構わぬ。大胆に主の証人になるものが必要である。日本ばかりではない。世界は彼が足下に拝伏して靴の紐を解かんと待構えているのである。人力の大なるものであっても霊なくんば何の働きもできないのである。日本にはすでに幾万という信者あり、大教会あり、小教会あり、大挙伝道あり、集中伝道あり、教会と教会の喧嘩伝道あり、何でも構わぬ水かけ伝道がある。されども我国のキリスト教は血を流して受けたのではない。天より直受したものではない。外国人宣教師が本国への報告の都合から甘やかして引っ張り込んだ耶蘇教である。またもの的キリスト教である。深奥なる霊魂の燃えこまないものである。聖化せられないものである。いくら騒いでも、主の聖貌が形造られるはずはない。

かくして人の子のために何が出来るか。かかるものがどうして仁愛喜楽平和忍耐等累々たる美果を結ばれようか。・・・略。

《7月予定》
  7月 1() 日曜礼拝・7月定例役員会
       4() 聖書に聴き祈る会(午前・午後)
       5() 田原牧師滞在日
       7() 田原夕礼拝
       8() 日曜礼拝・女性会・男性会
    11 () 聖書に聴き祈る会(午前・午後)
      12() 田原牧師滞在日
      14() 田原夕礼拝
      15() 日曜礼拝・祈祷会・お便りの集い
      19() 田原牧師滞在日
      21() 田原夕礼拝
      22() 日曜礼拝
      24() 地区教師会修養会(弁天島)
   ~25()
      26() 田原牧師滞在日
      28() 田原夕礼拝
      29() 日曜礼拝・教会フォーラム




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